今世も来世もジンバブエを守る

「火葬した後の遺灰はジンバブエ各地に撒いてくれないか。来世もこの困難に満ちた国を助けたいんだ……」
ジンバブエの慈済ボランティア・朱金財(ジュー・ジンツァイ)さんは、コロナウィルスに感染し、病が重症化した夜、妻にこう言った。

二〇二〇年三月、国内のコロナ禍がまだ深刻でなかった時、ジンバブエ政府は全国のロックダウンを宣言した。公共交通機関は全面運休し、各地に検問所が設けられ、警察が随時パトロールを行い、市民が一歩でも外出すれば取り締まりを受け、村や都市を越えた移動はできなかった。

朱さんは一歩も外に出られなかったが、飢餓に直面している貧困家庭のことが頭から離れられなかった。彼らは十分な食糧の蓄えがなく、死を待つしかなかったのだ。ロックダウン三日目、通関業者がコンテナ輸送の資料を届けに来た際、通関業者が通行証を持っていることに気づき、彼はその方法に従おうと申請機関の責任者に掛け合った。「慈済がジンバブエで慈善支援してきたことが功を奏して、現地官僚も既に慈済の行動に賛同していたため、私と五人のボランティアは前後して通行証を取得することができました」。

通行証を取得すると、朱さんは直ちに車二台分の物資をボランティアの家に届けた。コロナ禍の中で、物資の内容が分かってしまうと、途中で強奪される恐れがあったため、ボランティアは手押し車を使わず、布で物資をくるみ、頭の上に載せて一戸ずつ配付した。苦しんでいる人々が必要とする物は多くはなかったが、米、食用油、砂糖、塩などの物資は命を救う解毒剤のようだった。

ジンバブエのボランティアがマシンゴ省グトゥ地区で貧しい家庭に米や毛布を配付した。朱金財(左)は頭上に米を乗せて、人々と交流した。(撮影・フレンギシレ・ジヤネ)

ロックダウンが何度も延長され、五、六カ月続いた。人々は外に出て仕事に行くことも出来ず、あらゆる公共施設は休みになり、政府機関も十分の一のスタッフが勤務するのみだった。幸運なことに朱さんと五人のボランティアは通行証を持っていたため、困難を乗り越えて、物資の配付を続けることができ、地元ボランティアは幾つかの拠点で炊き出しを行った。クリスマス直前に十一の町で十四回配付し、全部で九千世帯の貧困者がクリスマスを過ごせるようにした。配付する時は必ず、「他人を助けると同時に、自分の安全にも気を付けて感染しないよう気をつけよう」と声をかけてボランティアたちは励まし合った。

「思ってもいませんでしたが、今年一月初め、私は感染してしまったのです」。と朱さんは語った。初めは少し咳が出る程度で、主な症状は発熱だったが、自分が感染したとは思っていなかった。十数日が過ぎてから、何かおかしいと思い始め、体調が益々悪くなったので、妻と子に促されて病院で検査を受けた。陽性が判明した時には病状は既にかなり重く、人工呼吸器をつけて治療を行わなければならなかった。

二日が経っても回復の兆しは見られず、三日目には呼吸困難に陥り、その夜を越せないのではないかとさえ思った。意識が朦朧とする中、遺灰は今まで訪れたジンバブエ各地に撒いてほしいと妻に託した。「そうすればジンバブエに戻って来るのを忘れることはない。ジンバブエは苦難が多過ぎる。来世もこの苦難の国を助けたいんだ」。

妻はとても心配したが、朱さんがジンバブエに移民して二十数年間、最も気にかけていたのはジンバブエ人の苦難であることを知っていたため、辛くても、彼に発破をかけるしかなかった。「あなたの言う通りにするわ。でも考えたことはあるの?もし今この世を去ってしまったら、こんなに多くの苦しんでいる人たちはどうすればいいの?来世でもじゃなくて、今もっと頑張って良くなって、コロナで苦しんでいる人たちを今すぐ救いに行かなきゃ」。

彼は意識が朦朧としていたが、「ジンバブエ人」と「苦しむ」と聞いて、深く息を吸うと、突然意識がはっきりし、「そうだな、もし私が今苦しんでいるジンバブエ人たちを見放したら、彼らは私が戻って来るのをいつまで待てばいいのか」。一言で夢から覚め、彼は必ず生き続けるのだと自分に言い聞かせた。

ボランティアたちは皆、敬愛する「ブラザー・ジュー」が感染したことを知り、見舞に駆け付けようとしたが、朱さんは「どうか諦めず頑張って下さい。私も直ぐに帰って来て皆さんと一緒に頑張りますから!」と家族を通じてボランティアたちに伝えてもらった。ボランティアたちは名残惜しく思い、その場で跪いて彼に祈りを捧げた。

二週間後、彼の病状は好転した。今回、生死をさまよった後、彼に生きる力が出て来たのは、苦難に喘ぐジンバブエの人々のためだった。

彼はボランティアたちに回復後の心境を話したが、実は自分に言い聞かせるものだった。「来世でもジンバブエで暮らすチャンスは大いにありますが、衆生を助けて菩薩道を歩みたいのであれば、慈済世界しかありません。ですからジンバブエの慈済は継承されなければなりません。そうすれば、私たちの世代が戻って来る時には、至るところに慈済があるのです!」

 
(慈済月刊六五五期より)