人は絶対に天に打ち勝つことができるのか?

アルゼンチンの新型コロナウイルス感染者數は、依然として世界の十位以内のままであるが、人々は既に外出禁止令に対して何も感じなくなり、経済と感染予防はバランスが取れていない。禁止令を緩和すると、感染者は増え、醫療従事者のリスクが高まる…。

昨年の二月、新型コロナウイルスがアジアやヨーロッパで猛威を振るい始めた頃に真夏を迎えていた南米のアルゼンチンは、まだ空港での検疫を強化しておらず、保健相のヒネス・ゴンザレス・ガルシア氏は、新型コロナウイルスよりも北部でのデング熱の方が心配だと話していた。

アルゼンチンで初めて感染が確認されたのは三月初め、イタリア旅行から帰国した四十三歳のブエノスアイレスの市民が最初のケースだった。三月八日に慈済ボランティアがブエノスアイレス州モレノ市で貧困家庭の児童へ文具の配付を終えた時は、喜びに顔をほころばせる児童たちを見て、間もなく始まる新學期に希望を抱くことができた。しかし、新学期が始まって僅か数日、新型コロナウイルスの感染拡大により學校は休校となってしまった。感染は他の州にも広がったことから、三月十九日にアルベルト•フェルナンデス大統領が、アルゼンチン全土に二十日から月末まで、民生必需品を販売している店以外は営業を停止することをはじめとした外出禁止令を出したのだ。

一日過ぎただけで、人で賑わっていたブエノスアイレス市は突然、静まり返り、人々を狼狽させた。そしてたまに買い物で外出する時でもマスクの着用が義務付けられ、一・五メートルの距離を保って並ばなければならなくなった。

外出禁止令は二週間だったが、更に二週間延長され、それが今日まで続き、既に八カ月余りが過ぎた。ウイルスが消滅するどころか、感染者数は三桁から四桁になった。店や工場の営業再開に伴って、感染者数は五桁まで膨れ上がり、連日、感染者數が世界で四位になった。感染者数は依然として世界で十位以内に留まったまま、十月下旬には百萬人を超えた。

長期的な外出禁止に対して、人々は何も感じなくなり、生活のために感染リスクを覚悟して仕事に出かけることを余儀なくされた。経済と感染拡大防止のバランスが保てなくなり、貧困者は益々増えて三食もままならなくなり、頻繁に抗議デモが起きた。政府は救済措置を取ってはいるが、焼け石に水で効果を発揮することができないでいた。以前は友人同士お互いに健康を気遣い合っていたが、現狀に慣れてしまうと、感染を恐れる気持ちが生まれ、自分中心か、無関心になるか、自分のことで精一杯になってしまって他人を気にかける余裕がなくなってしまった。

突然襲いかかってきた新型コロナウィルスに対して為す術もなく、病院では醫療物資が不足したが、アルゼンチン航空の輸送により海外から物資を獲得しようとする以外、どれほど工場を精一杯動かしても需要に供給が追いつかない。世界各国の狀況を予見した慈悲深い證厳法師は、アルゼンチン支部が醫療物資を必要としているのかどうかを把握するよう、本部の職員に指示した。支部は、アルゼンチン參議院のマーティン議員の協力の下、ブエノスアイレス大学と連絡をとりながら、四月初旬から七月末の数カ月間という長い時間を経て、ようやく醫療物資を受け取ることができた。

130年余りの歴史があるムニーズ病院は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにある伝染病治療専門の醫療機関であるため、多くの新型コロナウイルスによる肺炎患者を治療している。8月中旬、当病院は、慈済が共にこの難関を乗り越えようと防護服やパルスオキシメーター等の物資を届けてくれたことに感謝した。

終わりの見えないコロナ禍では、その醫療物資がいつ届いても、全て最良の時期であり、歓迎されるのである。私たちが、ブエノスアイレス大学付屬のサンマルテン病院のマルチェロ•メロ院長を訪ねた時、彼は、「十台の呼吸器で十部屋の病床を増やすことができる以外、N95マスク、醫療用マスク、防護服、保護ゴーグル等全て、法師と世界中の慈済人の愛と祝福が詰まったものです」と心から感謝した。

政府は、七十歳以上の人は免疫力が低下しているため、できる限り外出しないよう呼びかけた。そういう規定があるため、多くのボランティアは通行証を取得することができず、静思語の「善行は機を逃さず、縁も大切にしなければならない」という言葉が深く心に刻まれた。普段はそれらを惜しむことなく、感染症が広がると機も縁もなくなり、残念な結果に終わってしまう。

外出禁止令の中、医師たちが感染から身を守り、リスクを抑えながら、安心して患者を助けることに専念できるよう、ボランティアたちは精一杯愛を届け、自らの手で数多くの病院に医療物資を届けた。ペナ病院はブエノスアイレス市と州との界にあるので都市から離れているため、慈善団体が彼らの病院のことを気にかけてくれるなど、医療スタッフは思ってもいなかったそうだ。物資を届けたその日、一人のスタッフが、「防護フェースシールドが使えるようになる!」と喜んだ。この言葉を聞いたボランティアは、心を痛めながらも、同時に適時に届けたことが嬉しかった。

変化のきっかけを逃さないように

ヨーロッパで新型コロナウィルスの感染が拡大した後、ドイツで働いている娘のことが心配だった。普段は心配の要らない子だが、親の目から見ると、子供は幾つになっても子供であり、特にこのような状況の時は尚更である。彼女はとても気骨があり、食生活から自分を守ることを始め、コロナ禍でベジタリアンになって毎日豆腐や野菜、きのこ類などを楽しく食べているそうだ。彼女にこのような慈悲心があることが何よりも嬉しく、遠く離れていても安心して見ていられるようになり、私たちは気持ちが晴れた。

突然の外出禁止令により、全てが静まり返り、仕事のストレスはもうない。台湾から持ってきた野菜の種は芽を出し、今までになかった田園生活を楽しんでいる。コロナ禍で外出しない代わりに、野菜を育て、採れたての野菜をいつでも調理するという生活だ。そして、このような状況の中でも慈済は、日頃からケアしている弱者家庭や他の団体と連絡を取り続けている。外出禁止令が徐々に緩和されると、食糧を梱包し、それを必要としている人たちに通行証を申請して、連絡所に取りに来てもらった。

新型コロナウィルスは手綱が切れた野生の馬のようで、政府はこれ以上の対応策がない。組合が要求している経済補助も満足に提供することができず、各州で集会や抗議デモが起きている。私たちは毎日、オンラインでボランティア朝会に参加して祈り、人々の心が落ち着いてくれることを願うばかりである。

十一月になっても、南米での第一波コロナ禍は未だ終息が見えず、ヨーロッパでは第二波が始まり、猛威を振るっている。新型コロナウィルスは世界を覆い、人々の日常を変えてしまったが、人類は天に勝つことができるのだろうか?人類は欲望と無明によって生態系を破壊し、動物を屠殺し、環境を汚染してきたため、地、水、火、風の四大元素のバランスが崩れ、天災が絶えない。新型コロナウィルスは、人類に懺悔の機会を与えようとしているのだと言える。すべては人類がこの大いなる教育を受け入れるかどうかにかかっている。


(慈済月刊六四九期より)

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