最も貧しい場所で最も苦しい人をケアする

街にあふれかえる貧しい人々は、生き続けることよりも、この世を旅立つ時を待っているかのようだった。
教会の外では、一食分にも満たないわずかな食糧のために、いつも大勢の人々が行列をなしていた。
物資を手に入れた修道女たちは、毎日教会の扉を開け、街に出て配付を行うことにした。

神父さん、休息を取っていますか?」「休息?それは贅沢というものです」。

「外は暑いですから、よく水を飲んでください」。「水は飲みますよ。でも私たちが休息すると、貧しい人たちは増えていくので、急がなければなりません」。

今年の五月から六月にかけて、カミロ修道会主席のエリッカル神父とビデオ会議で話し、彼らが摂氏四~五十度の炎天下でも必ず制服を着て配付に出かけていることを知った。慈済と修道会は今年四月から救済プロジェクトで協力を開始していたが、五月には貧困者数が四月の六倍にも増加していた。コロナ禍により、貧困が深刻さを増しているのだ。

修道会と慈済は四月から八月までに、八万人に物資を配付した。これは延べ人数ではなく、実人数であり、物資は彼らが三カ月間生活するのに十分な量だった。政府が都市封鎖を解除しない限り、人々の収入は途絶え、お金も食べ物も手に入らなくなってしまうが、封鎖を解除すれば感染が益々広がり、真っ先に犠牲になるのはやはり貧しい人々なのだと神父が言った。「救っても救いきれるわけではありませんが、それでも救い続けなくてはなりません。私たちはインド全土のカトリック教徒だけでなく、プロテスタントや婦女協会にも呼び掛けて、共に力を合わせ、貧しい人々に尽くしています」。

神父はマスクの代わりにタオルで口元を覆っていた。不思議に思って「どうしてマスクをしないのですか?」と私が尋ねると、神父は「慈済から支援していただきましたが、マスクはそれを必要とする人々に譲りたいのです。節約が力を生み、愛を届けることができます」と答えた。

慈済が準備した小麦粉、白米、粟、そして1万枚余りの医療用マスクなどの物資は、神の愛の宣教者会が通行許可の申請と物資の通関に協力してくれたので、手早く住民に物資を届けることができた。

カミロ修道会とビデオ会議で話す度に、感謝する気持ちになる。神父や修道女たちは、常に感謝と節約を忘れずに、受け取る物資をすべて貧しい人々に配付しているのだ。神の愛の宣教者会の修道女たちにも、このような誠実さが見られる。彼女たちは、受け取った物資が何であれ、真っ先に貧しい人々に届け、自分たちのことは後で考えるのだという。彼らとのコミュニケーションを通じて、貧しい人がいかに多いかということを知って驚いた。

修道女の持ち物は、制服三着とサンダル一足、数珠一連、十字架一つ、聖書一冊、そしてお皿とスプーンのみである。彼女たちはカトリック教会に伝わる貞潔・清貧・従順の教えに従って生活するだけでなく、全身全霊で最も貧しい人に尽くすという四つ目の誓願を立てている。

教会の外に一歩出て目にするのは、乞食や貧しい人々だけなのだと修道女は言う。家もお金もなく、身に着けた貧しい服のほかには何一つ持たない彼らは、まるで生き続けることよりも、この世を旅立つ時を待っているかのようだ。貧困と病の悪循環が、貧しい彼らをさらに苦しめる。介護をする人のいない年寄りは、街中に放り出され、そこで死を待つばかりとなる。子供たちも、自分たちの未来が見えないままだ。

毎日、教会の外には、一食にも満たないわずかな食料のためにも静かに待って並ぶ人々がいる。「貧しい人々は街中にあふれるほど多いのですが、それでも助けなければなりません。見て見ぬふりなど、できません。貧しい人と同じものを、私たちも食べています」。修道女たちにとって、慈済からの物資は神からの贈り物であり、感謝の気持ちは言葉に尽くせない。修道女たちは会議を開き、毎日教会から街に出て、路上で配付することを決めた。

お腹をすかせた住民たちは、修道女たちの配付する食糧を受け取るために並んでいた。マスクは手に入らないので、衣服で口元を覆っていた。

疫病が蔓延しているのに、どうして路上で配付しなければならないのかと尋ねると、修道女は「そこが一番貧しい場所ですから、行かないわけにはいきません」と答えた。コルカタは広く、船でしか辿り着けない偏境の地もある。多くの物資を持った修道女たちに住民たちは座席を譲る。彼女たちが貧しい人々を救おうとしていることを知っているのだ。修道女たちは物資を携えて無事に川を渡った。船から物資の荷下ろしをすると、住民たちがリヤカーを引いて配付場所まで運んだ。

修道女たちは、持てるもの全てを病に苦しむ人や身寄りのない人々に分け与え、自分たちには何も残さない。防護グッズを身に着けて慎重に配付を行っていても、十二人の修道女に感染の疑いが生じ、そのうち二名が不幸にも命を落とした。だが修道女は、故人はこの世に思い残すことなく、天国で人々のために祈り続けているはずだと述べた。

神の愛の宣教者会の院長は、慈済は彼らが最も助けを必要としている時に逸早く支援に来てくれた非カトリック団体だったと言う。物資の輸送は困難続きだったが、みんなが心を一つに協力して困難を乗り越えた。修道女たちは、慈済は神の遣わした天使であり、證厳法師とマザー・テレサは共に、暗闇にいる人々の心を明るく灯す一大宗教家だと述べた。

この言葉を聞いた私は、エリッカル神父が「證厳法師と慈済の愛がインドの暗闇の中にいる貧困者に一筋の明かりを灯した」と言ったことを思い出した。配付に参加するたび、世の人々の苦しみが見える。身寄りのない年寄り、主人亡き後に家計と養育を一身に背負う未亡人や、その日の食べ物すら手に入らない貧困な不可触民が存在するこの世に、宗教を超えた協力が、これからも続くことを願う。これはカトリックだけなく、仏陀と慈済を代表する行為でもある。命の尊さは、自分も他人も同じなのだ。「一人はみんなの為に、みんなは一人の為に」と言う言葉を信じている。

路上や村々で配付する修道女たちは、家も身寄りもない病人たちを見つけると、まずは新型コロナウイルスに罹っていないことを確かめた後、修道院に連れ帰ってケアをする。

コロナ禍で世界中が都市を封鎖している。證厳法師は、慈済が直接行って貢献することができない場所では、過去に協力したことのある人道組織や医療機関などと連携を考えるべきだと言った。そこで、フランスに本部を置く世界医師会(MDM)を通じて、南スーダン、ベナン、イラク、マダガスカルなど二十六カ国に物資を届けた。国連難民高等弁務室と長年、協力関係にあるタイとマレーシアの慈済ボランティアのおかげで、愛の道が切り開かれた。このような非常事態には、自他の分け隔てなく、宗教を越えて協力することが必要だ。

善行には多くの挑戦がつきまとう。予想どおり物資の購買や輸送では多くの困難に遭遇したが、最も苦しんでいるのは自分ではないことを知っていたので、全身全霊で努力して成し遂げた。

慈済はインドの貧しい人々に対して、半年分の食糧を支援する予定だ。そして證厳法師は、疫病が続くかぎり中下層の貧困家庭は増していくのだから、支援を停止してはならないと言った。世界中の愛ある人々から少しずつ善意の寄付が集まり、功徳の海に入り、最も貧しい人々がこの最も困難な時期を乗り越えられることを心から願い、祝福したい。


(慈済月刊六四九期より)

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