マレーシア・ケダ人工透析センター ─数字が物語る 野菜と果物の健康効果

ケダ慈済人工透析センターでは、コロナ禍の期間中、毎週土曜日、患者たちに無料の菜食弁当を提供し、斎戒を呼びかけている。すると五~八週間後、予想外の結果が得られた。野菜を多く食べて肉を減らしたことで、腎臓病患者たちの高リン血症が改善したのである。血液検査の数値が彼らに、健康のために努力し続ける勇気を与えている。

マレーシア北部のケダ州に住む陳漢彬(チェン・ハンビン)さんは、遺伝性の糖尿病を患ったことで左足を失い、腎不全にかかり、そして失明した。心にも身体にも大きな打撃を受け、まるで自分が廃人になってしまったかのように感じ、一度は自ら命を絶とうとしたこともある。ケダ州慈済人工透析センターで治療を受けた後、命が長らえたことは嬉しかったが、慈済は仏教組織だと聞いていたので、こんな疑問が心に浮かんだ。「菜食者にならなければ、透析はしてもらえないのだろうか?」

不安な気持ちで来てみたところ、そこでは菜食が義務付けられているわけではなく、ただ互いを尊重するために、菜食以外の食事の持ち込みが禁止されているだけだと分かった。それで、安心して無料の透析治療を受けることができた。また、看護師や他の患者やボランティアの人たちは皆、親切でやさしく、陳さんの気持ちを明るくしてくれた。「ボランティアの皆さんは、全身全霊で私たちを助けてくれます。ですから、私もちゃんと生きなければ、申し訳が立ちません。気持ちも少しずつ晴れてきて、多くの人と知り合いになれたことが嬉しいです」。

陳さんは透析治療を受ける時、よく大愛テレビの番組を見ていた。そこから證厳法師の斎戒の意義についての教えを聞き、また看護師さんの熱心な勧めによって菜食のメリットを知り、菜食者になりたいと思うようになった。だが病気にかかってからは日常生活でさえ、家族に頼らなければならない状況になり、これ以上家族に負担をかけることは避けたかった。今年に入ってコロナウイルスの感染が拡大すると、慈済ケダ支部は腎臓病患者とその家族のために菜食弁当を提供し始めた。また、看護師の蘇志祥(スー・ジーシアン)さんと菜食を始める約束をしたことも、菜食との縁が築かれるきっかけになった。そこで透析治療がある日はいつも弁当箱を持参して、菜食料理を家に持ち帰った。治療がない日は、同居しているお姉さんに料理してもらった。

肉食でも菜食でも、「食」とは空腹を満たすことにすぎないと考えていた陳さんが菜食を決意したのは、生命を尊重したいという思いからだった。「證厳法師は、一秒間に二千以上の命が、人間の食糧として殺されているとおっしゃいました。一分ではなく、一秒です!これほど多くの鶏や牛、羊を殺しているなんて、とても驚きました。それに菜食は健康のためにもよいのです」。

菜食を始めてから最も強く実感したのは、毎日の便通が改善されたことだった。腎臓病患者は排尿量と体重によって飲み水の量を調整しなければならないため、水分制限と食物繊維の不足により便秘になりやすい。血液報告書はずっと赤字ぎりぎりだったので、菜食によって数値に改善が見られることを期待している。

菜食弁当が人工透析センターに届けられると、看護師たちは空き時間を利用して、予約した数量分を透析患者たちに配る。

調理ボランティアの大挑戦

ケダ州慈済人工透析センターは、證厳法師の菜食呼びかけに感銘し、実業家ボランティアのサポートの下、四月五日から腎臓病患者と家族のために菜食弁当の提供を始めた。より多くの人が菜食に関心を持つ呼び水となることに期待した。

ボランティアや看護師たちは普段から腎臓病患者たちに菜食のメリットを伝えているが、思うような反応は得られていなかった。「マレー人には、菜食の概念がなく、菜食がどんなものか分からなかったのです」。「菜食をしたことがありません」。華僑やマレー人の腎臓病患者たちに尋ねてみると、一様にこんな答えが返ってきた。これも看護師長の黄麗珠(ホワン・リージュー)さんを尻込みさせた。菜食の推進は順調に進むのだろうか。

マレーシアはコロナ禍で三月十八日から活動制限令が発令され、宗教活動の場の開放や集会が禁じられた。昨年初めに慈済ボランティアの認証を受けたばかりの腎臓病患者である陳南鸞(チェン・ナンルアン)さんは、四月に率先して菜食弁当の調理担当という重責を引き受けた。五月十日に政府が条件付きで活動制限令を緩和させた後、十七日、ソーシャルディスタンスを守るという原則の下に、少数の調理ボランティアが静思堂に集まって、菜食弁当の任務を引き継いだ。ケダ支部はこの菜食推進活動を「速速推素(素早く菜食を推進)」と名付けた。

南鸞さんは五時に起床して弁当を作る。得意分野を活かして多くの人々を菜食に招き入れることができるのなら、少々苦労であっても彼女は幸せだった。活動制限中に夫と子供の仕事にも影響が出ていたが、タイミングよくこの想定外の収入が得られ、家計も助かった。

タイ人の南鸞さんはここに嫁いで長いため、マレー人の味や好み、腎臓病患者に適した食材もよく知っていた。彼女の作ったおいしい料理が、人々の菜食に対する認識を一新した。黄看護師長は、二人のマレー人患者が先ず菜食を始め、その後は次第に治療後に菜食弁当を持ち帰る人が増えていった、と嬉しそうに語った。心配はこの瞬間安心に変わった。

ケダ州の慈済ボランティアたちは心を込めて菜食を呼びかけている。そのおいしさに、腎臓病患者たちは菜食に対する今までの偏見を改めた。

イクラムさんは、少しはにかみながらこう語った。多くの病気は食べ物から始まるが、誰もが恐れる新型コロナウイルスも動物から始まった。それに、菜食は省エネや二酸化炭素削減によって地球を救うことにもつながるので、できる限り肉食を減らして、野菜を多く食べるようにしたい、と。

活動制限令が緩和されると、毎週金曜日以外の六日間、調理ボランティアは決まった時間にケダ静思堂の厨房に集まり、腎臓病患者やその家族、そしてボランティア仲間のために菜食弁当を作るようになった。幹事の林育芝(リン・ユージー)さんによれば、腎臓病患者のためにいかにして、おいしくて体にもやさしい料理を作るかが一番の難関だったという。まずは油、塩分、糖分、調味料を減らすことが最大原則である。というのも、患者がナトリウム、カリウム、リンなどを取りすぎると不整脈、骨格異常、皮膚のかゆみやむくみなどの症状が出やすいからである。カリウムの多い野菜などは、まず熱湯で茹でてから調理する必要がある。

「インターネットで調べてみると、菜食メニューの中には腎臓病患者が食べてはいけないものがあることが分かりました。私たちにとっても、非常に勉強になりました」。料理好きの蕭美綢(シァオ・メイチョウ)さんも、最初は苦労したが何度も試行錯誤した結果、ついに腎臓病患者に適したメニューを作り上げることができた。

調理ボランティアはチーム毎に週二日当番し、毎日三種類のおかずが入った作りたてのお弁当ができるとその写真をSNSグループに投稿する。それは注目を浴びるためではなく、その日のメニューをグループメンバーに見せてメニューが重ならないようにするための工夫であるが、知らず知らずのうちに同じ食材から新しい料理を作る励ましにもなっている。綺麗に盛られた彩り豊かなお弁当を見ると、その味と香りまでもが画面越しに美味しそうに伝わってくる。

調理ボランティアは、食事制限を守りつつも変化のある味付けをすることができる。心のこもった料理が、陳漢彬さんの菜食に対する頑固な見方を変えた。「豆腐だけをとっても、さまざまな料理に変化でき、肉も野菜も同じだと思います。肉を豆腐に取り替えて調理しただけで、同じようにおいしいのです」。

菜食弁当を食べた腎臓患者は四十二名に上った。五週間後、黄看護師長は驚くべき結果を目にした。「腎臓病患者は三カ月に一回血液検査をするのですが、五月の検査の結果を見ると、多くの患者さんの血清リン濃度の値が明らかに改善していました。彼らは皆、菜食に参加した患者さんたちでした!」。

腎臓病患者によると、血清リン濃度が高い状況が続くと骨格の痛みが生じ、ひどい場合には骨折に至ることもあるという。八週間後、もう一組の患者たちの血液検査結果でも改善が見られた。「やってみようか」という軽い気持ちで始めた菜食が、意外にも腎臓病患者の健康が改善したのだ。透析センターのスタッフたちは更に自信を深め、今後さらに菜食を推進していく気持ちを固めた。


(慈済月刊六四九期より)

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