台湾全土に7千カ所余りの慈済リサイクル拠点があり、それぞれが大家族のようである。ボランティアたちは心して資源回収を行い、互いに関心を寄せ合い、協力していた。さらに、リサイクルステーションを自分の家だと思って、日々の出来事を記録に残している。実際に訪れて写真を撮り、リサイクルステーションの皆の思い出を残すために「ファミリーアルバム」を制作した。
東原リサイクルステーションでの集合写真。左から劉秀琴、呉美雲、鄭秋源、李淑珠、羅尤惠、鄭宗智、李麗琴、尤葉敏。
二〇二二年十月六日、初めて台南市東山区の東原リサイクルステーションを訪ねた。到着して気づいたのは、私がイメージしていたリサイクルステーションとは少し違うことだった。もし、案内人がいなかったら、そこに慈済のリサイクル拠点があることが分からなかっただろう。山奥の田舎道の脇で、住所も標識もなく、フェンスさえもない場所なのだ。唯一判別できるのは三つの大きなコンテナ小屋があって、その横の小路を入ったところがリサイクルステーションなのである。スペースは広くなく、一見すると、分別エリアが一カ所と回収資源置き場が二、三カ所あるだけで、周りは草むらと樹木に囲まれている。ボランティアに分別時間帯を尋ねると、毎週木曜日の午後だけだと教えてくれた。山の中は広く、ボランティアの家は近隣の市町村に点在しているので、毎週決まった日の半日に時間を割いて資源回収するのが長年の暗黙の了解になっている。こうして皆が集まって奉仕をしている姿を見て、このめずらしい「午後の風景」をしっかりと記録しようと思ったが、集合写真を撮る時になって、ボランティアの人数は十人にも満たないことに気付いて驚いた。しかしそれ以上に、それが今回の取材で最も美しい光景となった。
初めての取材は、住所も標識もフェンスさえもない場所だった。コンテナ小屋の横の小路から入った奥がリサイクルステーションだった。
言葉は不要 阿吽の呼吸で
東原リサイクルステーションでは、週に半日しか資源の分別をしないが、現場には既に多くの回収物が積み上げられてあった。ボランティアが普段少しずつ夫々の回収拠点から運んでくるものだけでも、三トン半の収集車数台分になるのである。ボランティアの人数が限られている中で、既に対応策ができているのだ。今週は雑多の回収物を分別したら、翌週はペットボトルのキャップリングの取り外しだけをするというように。
資源分別の当日、ボランティアたちは午後の決まった時間に遅れることなく、やって来た。女性は積み重ねられた回収物の横に座って分別し、男性は分別された物を収集車に乗せる。回収物のぶつかり合う音が聞こえ、皆の作業の協調性が感じられた。後で聞いたことだが、ボランティアたちは皆、普段は農作業をしており、眼の前の光景は彼らが収穫物の仕分けをしているようなもので、誰もが手足を機敏に動かし、話さなくても暗黙の了解ができ上っていたのである。
回収量がどんなに多くても、夕方までに分別を終えるそうだ。ステーション内のスペースが限られているので、大量の回収物を置くのが難しく、その日のうちに仕分けした回収資源を山麓の回収業者の所に運んでやっと、順調に仕事が終わるのである。
揺るぎない信念
よく見ないと、年配者だとは分からない(次ページの写真)。編笠を被った羅尤恵(ロー・ヨウフエイ)さんは体を深く前に屈めていて、山のように積み上げられた回収物の中に隠れて資源の分別をしていると、顔さえよく見えない。彼女よりも低くしゃがんでやっと見えるのだ。最年長の羅さんは設立以来のメンバーの一人で、十六年前にこのステーションが設立された時から奉仕を続けている。今年九十歳になる彼女は滅多に欠席することがないだけでなく、身体機能の衰えによる痛みに耐えながらもリサイクル活動をしている。長時間、同じ場所で回収物を分別するのは、腰が曲がったお婆さんにとって更なる試練だ。彼女は腰の痛みを和らげるために、数分間おきに低い腰掛から立ち上がり、また仕事を続ける。皆が敬服しているのは、彼女がそれでも活動への参加を止めることを一度も考えたことがないことだ。彼女の揺るぎない信念は、子孫の代に汚染された環境を残したくないと言う一念から来ている。
地元住民との約束
各村落に点在している小さい回収拠点からリサイクルステーションへの運搬は、地元ボランティアの発心に頼らざるをえない。三つのボランティアチームはそれを勇敢に引き受けている。鄭宗智(ヅン・ツォンヅー)さんと鄭秋源(ヅン・チュウユェン)さん、尤景輝(ヨウ・ジンフエイ)さんと尤葉敏(ヨウ・イェミン)さん、王超永(ワン・ツァオヨン)さんと陳素娟(チェン・スゥジゥェン)さんの三チームである。皆夫々、異なった地区と道順を担当し、平時に仕事の合間を利用して収集車を運転して集めている。十一月三十日の午後、私は二人の鄭さんの運転する収集車で、各回収拠点を回って収集した。その時、曲がりくねった山道を運転し、道端に停車して収集することの難しさがよく分かった。特に回収場所が広範囲に散在している場合である。村民の自宅はもとより、果物加工工場、車やバイクの整備工場などの他、最も標高の高い所にあるお寺にも回収するものがあるのだ。
東山区は果物の一大産地で、多くの農民は山に入る時に、水を持参する代りに、利便性から市販のペットボトル飲料を持っていく。そのため資源回収物の中では、ペットボトルや紙パックの回収物が特に多い。短期間に農民の習慣が変えられないなら、せめて回収に協力してもらい、ゴミを山に残さないよう呼びかけている。また、住民が回収し易いように、大きな網袋を提供している。周囲に散らばらないだけでなく、資源回収の習慣を人々に根付かせる効果があり、それがボランティアと地元住民の間にできた、「故里を共に守る」という美しい約束になっている。
2人の鄭さんは親戚同士で、志を同じくした2人は一緒に収集車で回収物の運搬を請け負っている。
尤葉敏さんと尤景輝さん夫婦は、普段は農作業で忙しいが、それでも発心して、各収集拠点に回収物を集めに行く。
電動車椅子の横で休んでいた羅お婆さんが、顔を上げ、胸を張っている様子を初めて見た時は本当に感動した!
脳裏に焼きついた風景
夕方に近付き、ボランティアたちが少し残っていた回収物を急いで分別し終わった時、羅お婆さんが分別エリアの席にいないことに気づいた。彼女は自称「ベンツ」の電動車椅子の置き場に向かって歩いていた。立ち止まると、両手で座席の肘掛けを握ると、ゆっくりと大きく曲がった腰を起こした。初めて彼女が顔を上げて胸を張る姿を見て、本当に感動した。笑顔で「大丈夫ですよ、少し痛みますが、暫く休めばよくなりますから」と言った。しかし皆、我慢強い彼女の性格を知っており、限界まで我慢しながら、眼の前の環境保全のことばかり気にしているのだ。
今、写真の中から、お年寄りたちがリサイクルステーションを振り返っている表情は、まるで東原リサイクルステーションの美しい光景を検証しているようだ。彼らボランティアはこの土地に対して、離れ難く、捨て難いという気持ちを持っている。人数が限られている中で、勇敢に自分の故里を守る使命を担い、資源回収を日常生活の中に取り入れて、次の世代のために肩を並べて頑張っている。
(慈済月刊六七五期より)