善行するには心が定まっていなければならない。
心と行いが正しければ、人同士の是々非々から遠ざかることができる。
子供が自分を称賛する
十二月二十八日、北部第三合心区のリサイクルボランティアが感想を分かち合い、上人は皆が精進して菩薩道に励んでいることを称賛しました。
彼らは、道端で腰を屈め、資源を拾って回収していますが、人の目や言葉を気にすることなく、自分がしているのは人間(じんかん)に幸福をもたらすことだとよく分かっているのです。ですから心が揺れ動くこともないので、智慧でもって他人の批判を払い除けることができ、心も行いも正しいのです。
上人は常々、コミュニティのお年寄りたちを見舞うよう、師兄や師姐たちに託しています。特に子供たちが傍にいない一人暮らしの高齢者には、法縁者が殊更関心を寄せる必要があり、それによってその隣近所と良縁を結ぶこともできるのです。また、高齢ボランティアの状況に注意を払ってもらうことで、お互いに関心を持ち合うようになることができるのです。「法縁者だけでなく、普段から居住地域で一人暮らししているお年寄りがいれば、同じように関心を寄せなければいけません」。
上人は法縁者ケアでも引き継ぎを行うよう念を押しています。「私たちは人々の慧命を伸ばし、若い人たちが善行に投入するよう啓発し、導かなければなりません。次の世代に対して、常日頃から慈済がしていることを話し、親の健康は子供の幸せだということを理解してもらうのです。地域や社会のために奉仕している親は、子供にとって誇れる存在なのですから。そして、子供たちが自ら称賛し、親や先輩たちの後ろ姿に倣って、善行を発願するよう導くのです」。
汐止で目にした人の「和」
汐止の静思堂は三年間を経て再建され、十二月二十九日に除幕式を迎えました。上人はご自身の足で一階から三階まで歩き、来場していたボランティアたちと親しく交流すると共に、二階の応接室で人々に開示しました。「私は皆さんを信じていますし、喜びを覚えます。この道場はとても新しいものですが、深い歴史的な縁があります。皆さんで最初の頃を思い出し、完全な歴史を残してください。ここに来ると、人が「和」し、心が繋がっているのを目にすることができます。私は一歩ずつ前に進み、手でとても滑らかなテラゾー仕上げの壁を触りました。百年、千年経っても、この壁の見た目と感触は変わることなく、重厚で清潔且つ美しいままなのです」。
上人はこう言いました。「茶道と花道の教室はとても優雅な感じで、将来コミュニティでは女性たちの先頭に立って、大和撫子のような品のある人々を育んでくれるでしょう。仏堂に来ると、『宇宙大覚者』の像が目に入りました。それは慈済独特の形をした仏像で、仏陀が大地や衆生を愛おしんでいる精神を表しています。「人は誰でも仏性を備えています。皆さんが同じような心でもって、大地と人間(じんかん)を愛おしみ、仏陀が導く方向に向かって精進するよう願っています」。
「私たちの道場が成就するために、私たち自身の力だけに頼るのではなく、大衆の愛のエネルギーを結集させるのです。慈済ボランティアなら誰でもこの道場を護ることができ、仏陀の正法を人間(じんかん)に根付かせていけるでしょう。修行して成仏するには、菩薩道を歩まなければなりません。菩薩は自ら悟ると共に、人を悟りに導くのです。従って、私たちは途切れることなく、新たな菩薩を導き出さなければなりません。既存の菩薩は広く未来の菩薩を募り、心して菩薩の精神を伝承していくのです」。
「菩薩は人に与える印象が大事で、道場に帰ってくる時だけでなく、外で出歩いている時も、一般の人が一目見て、『ああ、慈済の方ですね!』と言われるようにならなくてはいけません。そうしてこそ、本当に法を心に入れていることを表し、それは行動する時に表われるのです。慈済ボランティアは人間(じんかん)菩薩の模範とならなければいけません」。また、こう言いました、「汐止の菩薩道場である静思堂も皆さんの家です。今日、この家の扉を開ければ、直ちに旺気に溢れ、隅々まで人文教育の良能を発揮するでしょう。次に私がここに来る時には、どの教室も空間も活気に満ちて、人文教育の効用を発揮していることを期待しています。そして、法縁者同士がお互いに関心を寄せ合い、心温まる間柄になるだけでなく、慈済の道場で仏道修行者の威厳正しい姿を大いに表現してください」。
師父が愛する人を愛す
上人はこう言いました。「二千五百年余り前、仏陀は《法華経》を講釈し、菩薩法を教えました。今、慈済ボランティアは身を以って実践しており、仏陀の精神と力を台湾だけでなく、世界各地にまで発揮しています。例えば、トルコの胡光中(フー・グアンジョン)師兄のように、敬虔なムスリムでありながら、慈済の精神を受け入れてからは、トルコで心して慈済の志業を推し進め、苦難にある人々を支援してきました。イスラム教と仏教は、共に無私の奉仕を教えています。そして、愛は宗教や国、地域を超えて、あらゆるものに行き渡り、人々の力を結集して苦難にある衆生を助けることができるのです」。
「慈済人はいつも私に『師父、愛しています』と言います。そして続けて、『師父の愛する人を愛し、師父が願っていることをします』と言います。あなた方は本当にやり遂げたのです。師弟の心が一つになりました。私たちの今世での縁は過去に結ばれたものだからこそ、ここで私に出会い、話を聞き、私を信じて発願し、身でもって実践し、皆で心を一つに福田を耕しているのです。私は感謝すると共にいつも、自分は本当に幸せ者だと感じています」。
(慈済月刊六七五期より)