誕生日

誕生日に蝋燭を吹き消して願い事を言う人もいれば、美味しい食べ物やプレゼントで喜ぶ人もいるが、何もしない人もいる。

あなたはその日をどう過ごしているだろうか?

静思精舎の接客室では、慈済教育志業の先生たちが證厳法師と座談した。慈済大学付属中学の李玲恵校長が、「誕生日」についての話をした。

「私は長女ですが、戸籍上は「次女」なのです。私が生まれる前に姉が一人いて、難産で亡くなっていました。母は私を生んだ時、三日三晩苦しみ、祖母が跪いて観世音菩薩に加護を祈ってやっと、私が生まれたのだそうです。私はこの話を聞いて、幼い時から誕生日には『観世音菩薩普門品』を唱えて母と祖母に回向していました。成長してからは、誕生日になると必ずボランティア活動に参加しました。そして、慈済に戻ってからは、誕生日は法師様と行動を共にする日になりました」。李校長は続けて、「娘も私と同じように、幼い時からバースデイケーキで祝ってほしいと言ったことはなく、プレゼントも欲しがりませんでした。彼女が十八歳の誕生日の時は米国にいて、慈済の先輩にお願いしてボランティア活動に参加しました」。

「誕生日はお祝いしなければならないのでしょうか?」。李校長は学校を「人」に例えた。今年の三月で慈済付属中学校は二十二歳になり、もう大人だが、どうやって誕生日を過ごしたら良いだろうか?

この数年来、慈済中学の創立記念日は、全校の教師と生徒が静思精舎のボランティアをすると共に、花蓮市内の道路や路地でゴミを拾って掃除をしている。李校長は、「子供たちに自分たちの手を使って花蓮という土地にお返しをする方法で、学校の誕生日を過ごしてもらっています」と説明した。

慈済大学付属中学の学生は毎年、学校の創立記念日(誕生日)に学校周辺の道路を清掃している。(写真の提供・慈済大学付属中学)

慈済中学には幼稚園から高校まで千九百人の生徒がいるが、学校の誕生日には実際の行動でもって町の清掃をしているほか、李校長は積極的に菜食を奨励し、子供たちに一連の面白い活動を通して、動物愛護の教育をしたり、家族と一緒に菜食するよう進めている。

今年の創立記念日は、コロナ禍のために保護者は学校に来られない上に、ウクライナ戦争が勃発した。そこで、大学祭として菜食バザーを開催して愛の心を募り、同時に保護者に健康的で美味しい料理を知ってもらうために、ネット注文できるようにした。

李校長はまたこう言った。「この数年、敬虔な心でお経を唱えてから創立記念日の行事を始めています。今年は精舎の常住師父が《三十七助道品》を唱えてくださり、皆が静思法脈の源に立ち返って善念を共にして、学校と衆生の平安を祝福し、世界の平和を祈りました」。

李校長の自分と慈済中学の誕生祝いの方法を聞いて、とても意義のあることではないだろうか?
誕生日は即ち母親の受難の日である。私は自分の誕生日を祝ったことがなく、子供たちにも私の誕生日祝いをさせない。この考え方は私の母親と関係がある。母親は九十一歳で亡くなるまで、誕生日がいつなのかを私たち兄弟に教えてくれなかった。以前の戸籍や身分証に書いてあるのは本当の誕生日ではなく、母はよく、「私には誕生日はないのよ」と言っていた。

というのは、母は生まれた後、祖母が病に倒れたため、生後四カ月で他の家の養女になったのである。そして、三、四歳の時に実の母親が亡くなった。十四歳の時に再び旅館を経営する家庭に「召使い」として売られ、朝から晩まで働かされただけでなく、よく殴られ、とても辛い日々を送った。

祖母は生前に一枚も写真を残していなかったので、母は何時も嘆いていた。「私は自分を生んでくれた母親がどんな人だったかも知らないのよ」。幼い頃から実母の愛を知らない母は、もしかしたら、誕生日を祝わないことで、自分の母親を懐かしんでいたのかもしれない。
誕生日を日常の一日としている私は、両親がくれた体で慈済の志業を行うことで、両親の恩に報いているのである。


(慈済月刊六六七期より)

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