一本の手すりが晩年を支える

台南の慈済ボランティアは浴室に入って手すりを取り付けた。年配の家主は付き添いながら、何度も感謝の言葉を繰り返した。

薄暗くて凸凹のある通路、不便な和式トイレ、滑りやすい浴室の床……これらは家の中に隠れているリスクで、お年寄りの日常生活に影響を与えるものだ。

里長のお蔭で、慈済は慈善支援を直接家庭に届けることができた。

里長(里は台湾の行政区画)が提供したリストに従って、四十三人の慈済ボランティアが台南市東山区高原里を訪れ、慈済人でもある現地の七人の住民の案内で、五十世帯の一人暮らしのお年寄りや身障者を訪ねた。

台南市郊外の片田舎、東山区に差し掛かると、道中は稲作の農地や果樹園が山の斜面に広がっていた。ここに工場はなく、若者は就職が容易でないため、大半はよその土地へ働きに行くので、故郷に留まっているのはほとんどがお年寄りである。数年後には、老いた連れ合いを亡くして独りになるか、或いは祖父母で孫の面倒を見る隔世世帯になっているかもしれない。

ボランティアが初めて高原里を訪れた時、そこは名実共に地勢が高く、道路は湾曲していた。里長の羅献龍(ルォ・シエンロン)さんはボランティアに、その里(村)には約二百七十世帯の住民がいると説明した。「戸籍上は八百人強いるが、実際に住んでいる人は半分にも満たないのです。それに一人暮らしの高齢者や老夫婦、隔世代家族が四、五十世帯もあります。家は一軒一軒山に散らばっており、隣人といっても、実際は百メートルあるいはもっと遠く離れていますから、お年寄りの安全が本当に心配です!」。

高原里に住んでいる慈済ボランティアの鄭宗智(ヅン・ヅォンヅー)さんは水道・電気が専門で、「安美プロジェクト」における住環境安全修繕チームのメンバーでもある。彼は「一本の手すりでも命を救うかもしれない」ことをよく知っている。そのため積極的に、年齢が近くて、数年前北部から故郷に戻って来て里長に就任した羅さんにコンタクトし、一緒に高齢者の居住環境の改善を提案した。滑り止め、転倒防止などを施すことで、多くのアクシデントの発生を減らすことができるのである。

「不便な和式トイレ、暗い照明、朽ちかけた扉、凸凹のある通路、緩んだ石やレンガが敷かれた段差など、どれを取ってもお年寄りの日常生活に影響を及ぼすものであり、慈済がコミュニティの安全に関心を寄せている理由です」。鄭さんのこの言葉は、若い時によその土地に行って事業に奮闘していた羅さんにとって、とても感じるところがあり、以前から誠意を込めて里民と交流して来た彼は、実は早くから心の中で多くの修繕が必要な高齢者世帯のリストを作っていた。

羅さんは先ず逐一戸籍調査を行い、慈済の居住環境修繕の条件に合致するかどうかを理解した。二、三日の訪問期間中、住民の中には不在の人もいたが、彼は諦めることなく、日を改めて出直した。または住民の間で支援の要請を互いに連絡でも取っているのか…ボランティアが家庭訪問する当日の午前中になっても、彼が提供してくれた数字は変化を続け、最終的に五十世帯を最初の訪問リストに記載した。

手すりの設置をするのを待っているお年寄りのことを思うと、どんなに重い道具を担いで坂を上ろうとも、慈済修繕チームは歩みを緩めるわけにはいかない。

ボランティアの許茂忠さんは、正確に手すりの設置位置を印し、一本一本の手すりがお年寄りの手に馴染むよう願った。

タオル掛けを手すりの代わりに

張お爺さん夫婦は独身の長兄と同居していて、一家三人は皆七十歳を超えている。行動が不自由な張お爺さんは両方の手に杖を突いて、やっと坂の上にある家に辿り着くことができる。

ボランティアが彼らの部屋から浴室とトイレに行く経路を詳しく調べたところ、浴室のタオル掛けに何本か結び目のある紐があるのに気づいた。それはお爺さんがシャワーを浴びて立ち上がる時の補助道具だったのだ。訪問ケアの経験が豊富なソーシャルワーカーの翁銹雅(オン・シュウヤ―)さんは、直ぐ鄭さんと、縦型の手すりの設置と特注のシャワー用腰掛を提供することを相談した。

鄭さんは張お爺さんに、タオル掛けの紐を使う時は気をつけるように、と念を押すことを忘れなかった。というのも、「紐の耐久性にも限度がある」からだ。そして、慣れた手つきで巻き尺を取り出して測り、それからお爺さんに試しに座ってもらい、手すりを設置する位置を手が届く高さに決めた。部屋を一つ一つ通って行くと、突き当りにトイレがあったが、ボランティアはセメントの床に凸凹があり、何カ所か剥がれて緩んでいるところを見つけた。ボランティアは直ちに次回来て全て修繕することを約束した。

自分の家にも高齢の父親がいる鄭さんは、同郷のために喜んで奉仕したそうだ。「同じ住民ですから互いによく知っていますが、各家庭の条件とニーズは、家庭訪問の時にしか理解する機会がありません。お年寄りの安全を一番に考えて、今できることを先にやれば、設置の進度も少しは早くなります!」。

胡お婆さんは一人暮らしで、彼女の家に行くには先ず、一面に苔が生えた石段を通る必要がある。彼女の手足は敏捷な方なので、ボランティアは実年齢の八十六歳よりも若いと称賛した。彼女に二十八人のひ孫がいるようには見えない。

古民家(閩南式赤レンガの家)の軒下には、何脚か休憩用の椅子が置かれてあった。十数年前、胡お爺さんが家と庭の行き来に便利なようにと自分で作った上がり段があった。そこに上がった時、ボランティアの許茂忠(シュ・マオヅォン)さんは足元がふらついた感じがしたので、直感的に相当危ないな、と思った。

古民家の裏には浴室とトイレがあり、扉を開けると、許さんは直ぐプラスチックの防水マットが滑りやすいことに気づいたが、胡お婆さんは笑いながら、「そうだよ。この間滑ってしまったよ!」と言った。僅かな調査時間だったが、指で数えて既に三カ所に安全面の心配があった。苔に覆われた石段、庭から家への上がり段、浴室の防水プラスチックマットだ。

ボランティアはリストに逐一修繕が必要な項目を記録し、お年寄りに家から一番近い子供たちとの連絡方法を詳しく聞いた後、施工前には里長を通して知らせることを約束した。

住居の修繕は単純そうに見えるが、実は考慮しなければならないことが少なくない。時には壁に穴を開けて手すりを固定する必要があったり、古いバスタブを取り外したり、和式トイレを洋式トイレに変えたりするなどの工事をする。そのため、先ず、持ち家かどうか確認する必要があり、もし賃貸であれば、家主の同意が必要だ。もちろん借家人も然りである。訪問調査の時に施工方法を決めてから、世帯主と里長、ボランティアの三者が確認とサインをして初めて、プロジェクトが成立する。そして工事が終った日、必ず本人または家族に試験的に使ってもらってから検収している。

ボランティアは、張お爺さんと胡お婆さんの住居を修繕すると同時に、新営、塩水、白河、柳営、後壁などの各里も訪問してアセスメントを行った。工事終了後も再度あいさつのために訪問し、日常生活や修繕、補強した部分などに関心を寄せた。お年寄りの立ち居振る舞いが安全であるのを見て初めて、ボランティアは安心するのだ。

この二年間に、大新営地区で計二十九の里長から慈済に訪問調査の要請があり、その数は五百世帯余りを数えた。そして、今までで既に三百七十世帯の修繕を終えた。

台南市東山区へ修繕に訪れたボランティアは、張家のお年寄りの日常生活におけるニーズと健康状態に関心を寄せた。以前、張お爺さんはロープを使って立ち上がっていたが、手すりができてからは、それほど苦労する必要はなくなった。

年配者の機能低下がもう少し遅くなることを願う

今年二月、慈済台南支部のソーシャルワーカーである張育慈(ヅァン・ユーヅ―)さんと徐雅鈴(シュ・ヤ―リン)さんは、修繕チームと一緒に東山区水雲里に来て、五世帯のお年寄りたちのために手すりの設置を行い、それが終った後、更に高原里に向かった。車は草木が生い茂った山道を走り、風光明媚な景色に春の日光が降り注いでいたが、時々遭遇する上り下りが急な坂を見ていると、ボランティアたちには、住民が普段どのようにして外部と往来しているのか想像できなかった。

一行は春の陽が降り注ぐスモモ園に着いた。入り口にあるインド桜が満開だった。坂の上の庭に入るゲートの側で、車椅子に座った張お爺さんと彼のお兄さんが手を振りながらボランティアを出迎えていた。

二年近く会っていないが、当時、お爺さんがシャワーを終えて起き上る時に力を使わなくて済むように、安定した縦型手すりを取り付けたが、ロープはまだ残っていた。張お婆さんによると、お爺さんは老化で少し認知症になっているとのことだった。

張お爺さんは行動が不自由なので、あまり外出しない。親しい友人が家に来ると、お茶を飲みながら座談するだけだ。新型コロナウイルスの感染拡大が酷くなってからは、子供たちが休日に帰ってくる以外、友人と交流する機会はほとんどなくなった。人と接することが少なくなったことで、お爺さんの心身は衰え始めた。

張お婆さんによれば、お爺さんが歩行のために使っていた二本の杖の代わりに車椅子を使うようにしたのは、熟考した結果、その方が良いという結論からだった。歳月は人を待たず、ボランティアは、お年寄りの健康状態が衰える速度はまるで滑り台のようだと嘆いた。

張お婆さんの家からの道を幾つか曲がり、胡お婆さんの家はあまり遠くない場所にあった。広々とした庭は静寂に包まれ、ボランティアは「お婆ちゃん!いらっしゃいますか?」と呼ぶと、胡お婆さんはボランティアが取り付けた手すりに掴まりながら立ち上がったが、明らかに動きは遅くなっていた。

胡お婆さんの軒下に吊るされた、春節の爆竹に似せた飾りと大小様々な赤い提灯を見つけたボランティアが、好奇心から、「子供たちは皆、旧正月に帰ってきたのですね!」と尋ねた。

おばあちゃんは、「そうだよ。私には二人の息子と五人の娘がいて、今年の旧正月にはまた二人のひ孫が増えたので、全部で三十人だよ」と嬉しそうに話した。

ボランティアは、「手すりは使い勝手がいいですか?」と聞くと、まだ手すりを掴んでいたお婆さんは「使いやすいよ。ほら、本当に快適。私のために付けてくれて本当に感謝しているよ!」と言った。ボランティアは設置した設備の安全性に問題がないことを確認した後、名残惜しい気持ちで別れを告げた。

コロナ禍にもかかわらず、台南のボランティアはいつもと変わらずコミュニティで住居の改善を続けた。案件の報告、家庭訪問、視察、施工、検収を経て、二十六地区の百三十三里で七百五十九軒の修繕を終えた。修繕が終わったからと言って、ケアが終わるわけではない。例えばこの二年間、高原里の羅献龍里長は随時、里民に支援が必要だと気付くと、慈済にアセスメントと支援を依頼して来た。

「ここは田舎で、交通が不便な上に社会的リソースも少ない所です。時々廟から配付があるのは少量の米や麺、油、ドライフーズだけで、お年寄りや生活困窮家庭に実質的支援を提供するのは難しいのです。ここにいるお年寄りは私たちの家族同然ですから、里長として私には彼らの安全を考える責任があります。ましてや慈済ボランティアが私たちの隣にいるのですから、證厳上人の『他人をケアできる人には福がある』という言葉通り、私も心から喜びを感じて率先してやっています!」。

台湾はもうすぐ超高齢化社会に突入し、地元でのお年寄りの介護ニーズは増えるばかりだ。基本的な居住の安全を守ることができれば、それに越したことはなく、自立した日常生活を失う予防になるのである。そして、これも慈済が推し進めている「安美プロジェクト」における住居修繕の初心である。

ボランティアは胡お婆さんが庭へ上り降りしやすいように踏み台と手すりを設置した。古い佇まいを守るお年寄りに安心して余生を送ってほしいのだ。

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