私たちが諦めなければ、彼にチャンスが訪れる─中国

この三年間、アモイのボランティアたちは三百キロの距離を厭わず、連城県まで四十回以上往復してやっと、乾癬症で苦しんでいた羅永華さんを説得し、治療を受けさせることができた。治療で症状が緩和され、彼は再び普通の人と同様の生活ができるようになった。

2020年、コロナ禍が続く中、人々はきれいな水が手に入らなかった。慈済ボランティアが井戸の支援建設を始める前、朱金財さんは、現地の水汲み場である水たまりを調査した。 (撮影・ヘレンジサイル ジヤネ)

その日、空には霞が掛かっていた。羅永華(ルオ・ヨンホア)さんはボランティアたちと共に、貧しさに苦しむ村人たちを訪問するため、畑の片隅にある白い壁と黒い瓦の背の低い家にやってきた。

二十年前、住人の周さんは原因不明の病気で、両足が浮腫んで痛み、関節がこわばって、曲げ伸ばしすることができなくなった。それ以来、ベッドから起き上がることができず、七十歳を過ぎた母親が世話をしている。しかし、年老いた母親も両脚が曲がって変形した重度の障害者で、身長は五歳児ぐらいしかない。

「もしある日、彼の母親が体を壊したら、彼はどうすればいいのか?母親は誰が世話をするのか?」目の前のベッドに横たわっている中年男性を見て、羅さんの心は哀れみと悲しみに襲われ、気持ちが沈んだまま、こっそりと外に出た。

「私も二十年近く病気を患い、毎日が一年のように長く感じられ、地獄にいるかのようでした」。壁の片隅に行くと冷たい風が正面から吹き、目の前には青々とした野原が広がっていたが、新鮮な空気を感じ取ることができず、両目から溢れる涙をこっそりと手で拭った。 周さんの苦しみを、身をもって感じながら、彼は三年前の自分を思い出していた。

羅さんは免疫系疾患で全身の皮膚が炎症を起こし、関節が変形していた。ボランティアは、2019年8月から見舞いに行くようになり、瘡蓋のできた真っ赤な皮膚に軽く手を当てながら見舞った。(撮影・王燕玲)

希望が見えない病の苦しみ

一九八三年、羅さんは龍岩市連城県の揭樂郷魏寨村の山奥で生まれた。二十歳の時に赤い湿疹が発症し、乾癬という完治できない、免疫系統の皮膚病だと診断された。

薬を飲んだり、漢方医に掛かったりして、アモイで働いて稼いだお金をすべて使い果たしてしまったが、症状は良くなる兆しを見せるどころか、益々悪化した。

仕方なく帰郷して、毎日ケータイでインターネット投票による仕事で得られる僅かな収入で生活しながら、独学で漢方を学び、安い漢方薬を買って自分で治療した。

乾癬は、悪化すると頭からつま先まで至る所の皮膚に症状が出る。皮膚のひび割れが起きると、耐え難い痛みに襲われる。また、手足の関節が大きく変形して、つま先が九十度上向きになり、足の爪は最も厚いところで一ミリほどになるので、大きくて幅が広く、甲が高い靴を履くしかない。足は重いだけでなく痛む。まるで重い岩を縛り付けられ、火に焼かれているようで、長時間立ったり歩いたりすることもできない。

容姿が変わり果てた羅さんは、人に見られることを嫌って病床に横になり、秋の落ち葉が落ちるまでひたすら待つかのように、「これが自分の人生であり、両親がいなくなったら餓死するしかない」と思っていた。

二○一九年八月三十一日、慈済が連城県で冬季の配付活動を行った時、村の幹部とボランティアが初めて羅さんの家を訪ねた。そこには壁の隅に無表情な羅さんが座っていた。髪はボサボサで、大小様々な黄色いブツブツが赤くなった全身の皮膚に散らばって、場所によっては厚く積もり、多くの亀裂した傷口には所々血が滲んでいた。

傍にいた羅さんの父親は下を向いて深いため息を漏らし、ボランティアたちに言った。「どうしょうもないのです。彼は一年に半年間ぐらいはベッドで過ごしており、ご飯や水さえも運んであげなければなりません」。

ボランティアは羅さんの側に座り、「こんにちは!私たちに何かお手伝いできることはありませんか?」と彼の真っ赤な皮膚に手を当てながら尋ねた。

「別にありません。もう慣れました。私よりももっと助けを必要としている人を助けてあげてください」と羅さんは悲しそうな眼差しで言った。

重い足取りで羅さんの家を出たボランティアたちは、彼を助ける方法がまだ思いつかないうちに、助けを拒む羅さんからの六百字近いメッセージが届いた。

「あまり私のことを心配しないでください。長年、治療を求めて来ましたが、結果は徒労に終わりました。この歳で何もできず、親のすねをかじっているだけの自分が悔しくてなりません…」。

文脈の中に人生への無力さが表れていた。ボランティアたちは心を痛めたが、諦めていない羅さんの気持ちが読み取れた。他人を煩わせたくない彼の心境がよく分かると余計に、少しでも苦しみが和らぐよう、助けてあげたいと思うようになった。

2021年11月、アモイ漢方医学病院に入院した羅さんを、李医師が病室に来て触診した。(撮影・江采曄)

決して諦めない 
ただの通行人ではない

列車はアモイのボランティアたちを乗せて、次々にトンネルを通過し、遠く離れた約三百キロ先の目的地である連城県に向かった。冠豸山駅を出ると、事前に約束を取っていた連城県政府関連部署の職員と合流した。車で市街地や原野を通り抜けた後、でこぼこの山道に五十分ほど揺られて、羅さんの家に着いた。

摂氏三十度の気温だったが、壁に持たれて座っていた羅さんは、下着とジャケットを着ていても、寒がっている様子だった。彼は思いもよらず、ボランティアがまた来てくれたことに喜びの驚きを感じたが、同じように好意を断った。「私の病気は重症で、皮膚だけではないのです。筋肉にまで達していて、既に方法はありません。あなたたちには、無理ですよ。ここへ来ても時間の無駄です」。

アモイに戻ったボランティアは、豊富な訪問ケアの経験や医療関係のボランティアと話し合って考えた。「乾癬症とは具体的にどんな病気ですか。羅さんは彼に費やすエネルギーを他人に使って欲しいと望んでいます。どうしたものでしょう」。

羅さんは七人家族で、高齢の両親が農業に携わっている他、知的障害を持った義理の姉とまだ喋れない三歳の姪、そして赤ん坊の甥っ子がいて、警備員を務める兄の僅かな収入で一家が生計を立てている。

何回か訪問して、ボランティアたちは羅さん一家の生活状況をこっそり記録した。彼らの三食は殆どサツマイモの葉にご飯で、父親の服とズボンには穴が空いていて、靴も破れ、義理の姉はサイズの合わない男物のTシャツを着ていた。

ボランティアたちは日用品を手にして羅家にやって来た。家族全員に合ったサイズの服、海苔、麺、五穀パウダー、煮込んだ卵と干し豆腐などを持って来たのである。そして、羅さん一家とおしゃべりしたり、甥っ子の爪を切ったり、お風呂に入れたり、洗濯を手伝ったりもした。

「時々、山の気温は氷点下一度まで下がって凍りつくので仕事になりません。この服は暖かくて良いですね」。新しい服とズボン、靴下、靴を身につけた羅さんのお父さんは微笑んで「格好いい」と何度も言った。暫くすると、竹の椅子に座っていた彼は、家の中に久しぶりの笑い声を聞きながら、リラックスして眠りに落ちた。

ボランティアの関心に対して、羅さんはいつも遠慮がちで、「皆さん、うちへ来るなら、物を買わなくても、来てくれるだけで嬉しいです」とボランティアたちにメッセージを送った。

「私は生涯何も持ってなく、友人も恋人も暖かい日差しもありません…あなたたちが私に寄り添ってくれたのは善行のために過ぎません」。

「慈済は私の人生においてはただの通りすがりの人です。慈善の目的を離れたら、あえて私に近づく人なんていませんから」。

その後、羅さんは政府が提供した住居に一人で住むようになったが、アモイの慈済ボランティアは同じように毎月行き来し、頻繁に羅さんに電話をかけたり、日用品を用意したり、家の掃除を手伝ったりした。また、日常生活での利便性を考えて、洗濯機も購入した。ボランティアが見返りを求めず、自分を家族のように接しているのは、表裏が何もなく、ただ自分の回復を願っているだけだと感じた羅さんは、次第に笑顔を見せるようになった。

羅さんはボランティアに、「あなたたちが来ると、とても暖かく感じます。一般の人は私を見ると遠ざかりますが、皆さんは私のことを嫌がらずに会いに来てくれますし、お喋りをしてくれます」。

2022年の初め、羅さん(左)はボランティアと共に、20年あまり寝たきりだというケア世帯を訪ねた。(撮影・范盛花)

アモイで治療し 肩の荷が下りた

羅さんは、自分の変わり果てた姿をこれ以上ボランティアたちに見られたくないと思って、漢方薬に関する本をより真剣に読み、自分で薬を配合して服用した。しかし、頑固な病は改善せず、彼は次第にイラ立ち、「もうここに来ないでください。旧正月が過ぎたら、皆さんが見つからない場所へ行きます」とボランティアに言った。

彼は冷たく拒否し続け、ボランティアは彼の言葉で気が重くなり、諦めようとする人も出て来た。メンバーの一人で、医療スタッフの邱蓮娜(チウ・リエンナ)さんは、諦めてはいけないと自分に言い聞かせながら、経験豊富なボランティアにも相談した。得られた答えは、「彼が私たちのケアを断るならば、彼の家族をケアすればいい」だった。

「永華さん、こんばんは!あなたに大きなプレッシャーを与えてしまったようで、今月から暫くお邪魔するのを控えます。ご両親と二人の子供には会ってもよろしいでしょうか」と、邱さんはケータイのスクリーンを見つめながら、慎重に言葉を選んで、羅さんにメッセージを送った。

邱さんのメッセージは太陽のように、羅さんの心を温かくした。彼は邱さんに本音を語った。「あなたたちを拒むつもりはなく、ただ自分の姿が恥ずかしいだけなのです。私の本意は皆さんにご迷惑をかけたくないのです」 という羅さんからのメッセージが返って来た。邱さんは心の霧が晴れ、途端に嬉しくなったので、再度治療を試みるようにと励ましながら勧めた。

目の前で良い言葉を掛けても、羅さんには効果がなく、邱さんは心が痛むと同時に焦りを感じていた。しかし、上人の言葉を思い出した。「ボランティアは、苦難に喘ぐ衆生のために、請われなくてもやって来る人であるべきなのです。頼まれもしないのに、私たちは自分から出かけて行くのです」。彼女は辛抱強く、真剣な表情で語りかけた。

「後悔しないためにも、自分自身にチャンスを与えてやってください」。

ボランティアが三年間にわたって、困難だと分かっていても諦めないのは、自分が健康になって欲しいと願うからだと羅さんには分かった。治療の結果がどうであれ、ボランティアたちに誠意を見せないわけにはいかない。そこで、「分かりました!」という返事のメッセージを送った。

2回の治療の合間に、羅さん(右)はコロンス島に来て、ボランティアたちと一緒に沿道の資源ゴミ集めの体験をした。(撮影・王慧娜)

二○二一年十一月十八日、羅さんがアモイ駅の改札を出た時、遠くから群衆の中に、一心に改札口を見つめる見慣れた紺色のシャツに白のパンツ姿が見えた。羅さんを病院に連れて行くために、ボランティアが彼に手を貸して地下の駐車場に下りた時、彼は足の痛み忘れていたことに気づいた。

羅さんは心に温もりを感じた。

「今回出かけるときは心配だと全く感じませんでした。本当に気分が良いです」。

病院でバイオ医薬品と漢方薬を配合した薬で治療したところ、思いがけず、皮膚の炎症が徐々に改善され、顔色も健康的になりだした。入院したばかりの時は、指がこわばっていたが、それもかなり良くなった。喜ばしい結果になって、半月間の第一段階の治療を終えると、彼はボランティアの家に泊まり、一週間後の第二段階の治療に備えた。

ボランティアは羅さんに付き添ってリサイクル活動や読書会に参加したり、公園を散歩したり、一緒に餃子作りなどをした。アモイでの一週間の生活は羅さんにとってかけがえのない体験だった。というのも、将来、二度とこのような体験はできないとわかっていたからだ。

羅さんはアモイ漢方医学病院の李依寒(リー・いーハン)医師と邱明山(チウ・ミンシャン)主任医師、看護師長の陳干(チェン・ガン)さんの三人宛に感謝の手紙を書いた。なぜなら、彼らが細心の注意を払って診察し、治療して的確に薬を処方してくれたからこそ、重症だった羅さんの体は「千年の氷が暖かい太陽に照らされて溶け始めたように改善していった」のである。

第一段階の治療を終えると症状が大きく改善した。羅さんは、アモイの静思書軒で暫し休憩した時、「人は方向が分からなくなった時、とても苦しく感じます。それは自分で物事を決められないからです」という静思語を見た。それは正に自分の心境を表しているようだと思った。(撮影・黃德欣)

夏に半袖が着られるようになった

二○二一年十二月二十五日、慈済ボランティアは羅さんに付き添って、退院手続きを終え、故郷の連城に向かう列車に乗った。彼は窓際の席に座り、次々と流れて行く、車窓の景色を見つめていた。十八年間にわたる、病がもたらした耐え難い苦しみが脳裏に浮かんだ。「健康はどんな富でも取って代わることはできない」ことを実感した。

「アモイでの三十七日間で、生まれ変わったように感じました。夏には半袖が着られます」。

羅さんの病気は免疫系統の疾患で、まだ根治することはできないため、毎月病院に通って治療を続けなければならない。しかし、「アモイの慈済ボランティアのおかげで、アモイの漢方医学病院に行くようになってから、私の人生は一変して明るくなりました。病院に戻って治療を続けるのは、単に病気を治すだけでなく、皆さんとの絆を保つことなのです」と羅さんが言った。

二○二二年三月三日、ボランティアは車で羅さんの家を訪れた。車から降りた時、羅さんのお母さんが手を振りながら家の前の坂道まで出迎えに来てくれた。 「皆さんがいなかったら、うちの息子はこんなに元気にはなりませんでした」。七十五歳の母親は長い間ずっと、こっそりと泣いていた。今、元気な姿に戻った息子を見て、彼女は何度もボランティアにお礼を言った。

三年近くが経ち、羅さんは生まれ変わったようになった。全身の肌はしっとりとして、血色も良く、新たに伸びた爪は次第に黄褐色の厚い爪と入れ替わりつつあった。彼は人と接することを恐れなくなり、自撮りした写真を喜んで友人とシェアするようになった。

ボランティアの付き添いの下、羅さんは地域のリサイクル活動や読書会、訪問ケアに参加するようになり、仕事も見つかった。あの日、ボランティアと周家の訪問を終えようとした時、霧雨が青々とした山野を包んで雫を垂らす中で、羅さんは自分の気持ちを整理し、体をかがめて周さんのお母さんの側に行くと彼女の手を取って優しく、「体を大事にしてください」と声をかけた。

(慈済月刊六七二期より)

2021年12月25日、37日間の治療を終えた羅さんは、故郷の連城に向かう列車に乗った。車窓の外の風景が、18年間の苦しみのページを捲るかのように過ぎていった。(撮影・黄德欣)

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