(絵・陳九熹)
仏法は人間に在って、生活の中に根付くものです仏法精神や環境保全観念を語ることができるのは、壇上だけとは限りません。 人々の中に交じって、生活の中の行動にあるのです。
清らかで、純真で、自然で、意味があれば、最もよく伝わっているのです。
慈済は再び世界宗教大会に参加しました。この時代に、仏陀の精神と仏法の真諦を国際的な場で発表し、仏教を人間(じんかん)に広めていることは感謝に堪えません。
宗教は人生の宗旨であり、また生き方を教えてくれています。仏法は人間(じんかん)における最高の教育であり、人々のためになるものです。しかし、惜しいことに一般の人は、線香を上げて、平安や財運等の願いを掛ける時に拝むだけのものだと思っており、神格化されているのです。
私たちは因縁と機会を把握して、仏法の精髄を示さなければなりません。中でも現在の気候変動を細心の注意を払って追究すべきで、それは人々の生活様式に大きく関係しています。つまり、人の口の欲を満足させるために飼育されている大量の動物が大きな汚染源になり、環境に悪影響を及ぼしているのです。人口が絶えず増加する中で、口が汚染の源になってはいけません。菜食を勧めて、世間の浄化に努めましょう。仏法は正しい方向を示しているのです。
三年間の新型コロナに対する防疫対策は解除されましたが、所によってはまだマスクの着用が必要です。エアロゾル感染を予防して自分を守ることは、皆を守ることにもなります。即ち自分が感染しなければ、人に感染することはないのです。ですから「自分を愛して他人をも愛する」ことを小さな事と軽々しく見ず、細かいことにも気を配り、自分のためにも他人のためにもなるように、この世の正しい方向に向かって心しなければなりません。
慈済は国連等の国際会議に参加していますが、必ずしも壇上で話す時だけ、仏法精神と環境保護の観念を伝えることができるとは限りません。人々の日常の行いと生活の中に入れば、その観念を伝えることができるのです。わざとらしくない伝え方が最も良い表現方法です。それは、衣食住と行動の全てに意味があり、清らかで、純粋で、自然に現れる品格なのです。
ですから皆さんには、このような国際会議に参加することを重視して欲しいのです。それは「人間(じんかん)のため」、「仏教のため」に発言することなのです。ですが、驕るのでも人目を惹くのでもなく、謙遜して人々と和やかに仲良くし、私たちの親切な気持ちを人々に分かってもらうのです。愛の心を忘れることなく、どこにいても愛を感じてもらうことです。
一介の人間でも
大きな事を成し遂げることができ、
貧しい人は永遠に貧しいのではなく、
発心立願すれば、
世の中に影響を及ぼすことができる。
私たちの行いは営利事業でも職業でもなく、人間(じんかん)を利益する志業なのです。これが私たちの宗教の在り方であり、法を弘めて世を利しているのです。
二千五百年前、仏陀はこの世に生を授かり、この世の全てにおいて、宇宙までも、知らないことのない大覚者でした。仏陀には正知、正見、正解があることを私たちも信じなければなりません。最近よく仏陀の故郷であるネパールに回帰する話をしますが、片田舎の現状は貧しく、経済状態は良くありませんが、住民は欲も要求もなく、素朴な本性を保ったまま、「足ることを知って心には悩みがありません」。
ボランティアが撮影して来た映像を見ると、居住環境は衛生だとは言えず、私たちが心を一つにして初めて、彼らの生活の質を改善することができるのです。また生活を疎かにしたり、消極的であったりしないよう自分に警鐘を鳴らし、社会に対しては一層積極的になって精進しなければなりません。
この世に生れたのは享受するためではなく、生命の価値を高めるためであり、心に愛があれば、最も豊かな人生になれるのです。如何にして裕福な人に施しを教え、貧しい人に心の豊さを教えたら良いか?貧しさのあまり自分を放棄しようとする人がいれば、顔を上げ、胸を張って努力し、自ら貧しい中の豊かな人になるよう励ましてあげましょう。ミャンマーの「米貯金」は、農民たちが毎日ご飯を炊く前に一握りの米をおひつに入れ、それが僅かであっても貯まれば多くなり、延べ八万三千世帯から寄せられた米が、四千世帯近い貧しい人を助けたのです。このような話が、慈済人の支援するネパールの人たちに伝えられ、貧しい人も喜んで人助けするようになりました。
ミャンマーの「一日一握りの米貯金」の話の由来はとても感動的で、多くの宗教に関わる人たちと分かち合うことができます。今年の国連等の国際会議では何を伝えればよいかをじっくり考えてみるべきです。取るに足らないようなストーリーでも、一介の人間であっても大事を成し遂げることができ、貧しい人も永遠に貧しいわけではないのです。発心立願すれば、人間(じんかん)に影響を与えることができ、そのような話で互いに励まし合うことができるのです。
私たちは他人を称賛し、尊重すると同時に、自分の宗教を大切にして尊重すべきです。「感謝、尊重、愛」を心に持つようにと、私は言い続けてきました。「仏教の為、衆生の為」は私の一番の目標ですが、環境保全と菜食も推し進めなければなりません。皆がそれぞれ自分の品格を上げて、仏法が世界の舞台に上がるよう願っています。どうぞ心してください。(世界合作事務発展チームの世界宗教大会への参加に関する報告の後に開示した記録。会議は三年に一度行われ、今年八月はアメリカ・シカゴで開かれる。慈済は二〇一五年から参加を始めた)
(慈済月刊六七九期より)