簡先生の電子機器レッスン

若かった頃、よく親に少しでも余計に尋ねられると、私は不機嫌になった。自分が中年になった今、両親も老い、いつか互いに別れなければならないと感じるようになった。

私は親との対話を大切にし始め、自分が老いた時、子供たちは私とどう接するだろうか、と思わずにはいられなかった。

毎週木曜日、私は新竹静思堂の受付当番をしている。一週間一回のこの当番のメリットは、異なる区域の師姐(スージェ)たちと知り合い、慈済に入った縁や様々な人生の話を聞くことができることである。

ある日、受付に四人の年配の師姐が当番にやって来た。一人の白髪の師姐が登録手続き用のコンピューターの前に立って、「このコンピューターにどうやって登録するのか、未だに分からないわ」とぶつぶつ独言を言った。

側にいた私はそれを聞いて、好奇心から、「あら、いつもどうやって登録しているのですか」と聞いた。「いつも誰かに手伝ってもらって、受付を済ませているのよ」と師姐が答えた。

瞬時にして私の教師魂が目を覚まし、彼女の手を取って、登録手続きをして見せた。そして彼女に登録の練習をしてもらった。彼女は、登録の仕方が分かると、子供のように嬉しそうな笑顏を浮かべて、「こんなに簡単だったのね。今までいつも、操作ミスをすると、コンピューターを壊してしまうのではないか、と心配していたのです」と言った。

続いて彼女はポケットからスマホを取り出して、「このスマホ、あまりうまく使えないので、使う勇気がないのです」と言った。「これは息子がくれた中古のスマホで、時々操作できないと、息子に聞きに行くのですが、彼はひどく怒るのです。『何度も教えたのに、まだできないの』と言うので、余計に使う勇気がないのです」。師姐は、はけ口を見付けたかのように、あらゆる辛い思いをぶちまけた。

私は彼女を慰めながら、「大丈夫ですよ。よく練習して操作ミスを怖がらないで使えば、どんどん慣れて来ますよ。私が教えてあげますね」と言った。彼女を椅子に座らせ、スマホをオンにして、メッセージの基本的な機能の使い方から教え始めた。

他の三人も集まって来て、一緒に私が教えるのを見ながら、様々な質間をした。私は一人一人個別に教え、繰り返し練習してもらった。メッセージの受信や写真の編集、SNSでのメッセージ削除や設定のしかたなど、彼女たちは不器用に指でその小さなスクリーンをタッチし、押し間違えると、やり直していた。

教える過程で、私は絶えず彼女らを励ました。「間違っても大丈夫ですよ。スマホはそんなに簡単には壊れませんから。よく練習して、何度も試すことです。続ければ、できるようになりますよ」。

簡毓嫺(左)さんは、毎週木曜日に新竹静思堂で受付当番をして、シルバー世代のボランティアと交流している。(撮影・王瓊婉)

このシルバー世代の師姐たちは、実に真面目に学んでいた。彼女たちはできないのではなく、ひどく自信がなかったのだ。日進月歩のハイテク製品に直面して、どうしたらいいのか分からず、質問があっても、聞ける人がいないので、挫折が日増しに深くなり、時代に取り残されたという孤独感が湧いてきたのだ。

若い頃、私は目上に対してこんなに忍耐強くはなかった。よく親に、少しでも余計なことを尋ねられると、不機嫌な口調で返した。さもなければ、イライラしながらインターネットの使い方を教え、よく親を怒らせていた。

自分が中年になった今、親も歳を取った。いつか彼らと別れる日が来ると感じ出した。残りの日々が少なくなると知ってからは、親に電話をかける度に、まだ彼らと会話できる時間を大切にするようになった。優しく語りかけることを心がけるようになり、幼い子どもを相手にするように、辛抱強く彼らと付き合っている。

縁もゆかりもなく出会ったシルバー世代の師姐たちは、まるで年長の家族のように感じた。彼女たちが、自分にはまだ学習能力があり、社会で役に立ち、受け入れてもらえると感じ、操作ができるようになって明るい笑顏を見せた時、私にも大きな達成感がもたらされた。

誰しも時の流れという巨大な歯車から逃れることはできない。師姐と科学技術の距離を感じながら、私が老いた時にこの世界はどうなっているのだろうか、と思わずにはいられなかった。私もその時代の新しいテクノロジーに驚いて戸惑っているかもしれない。
我に返って、「時代がどう変わろうとも、今を把握し、優しくお年寄りたちに接すればいいのだ!」と自分に言い聞かせた。私も老いた時、若い人たちから優しくされたいと思う。

教え終わると、私は今日教えた内容を紙に書き、彼女たちにスマホで写真を撮らせ、家に帰ってから、それを見ながら練習できるようにした。その中の一人が、「お名前を紙の端に書いてください。覚えておきたいのです」と言った。彼女は私が書いた名前を見て、真心から私に、「簡先生、ありがとうございました!」と言った。私の心は、その感謝の言葉で、瞬時にして温もりと感動に満たされた。

教える側と教わる側、その光景はとても美しい!

(慈済月刊六七七期より)

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