街頭生活者に家庭料理の炊き出し─カナダ

カナダはよく移民天国だと言われる。

私たちは幸いにも社会の日の当たる場所で生活し、豊かさと社会福祉を享受している。

しかし、森の中や車に寝泊まりする街頭生活者たちの存在を、見て見ぬ振りをしてはいけない。

また紅葉の季節がやってきた。雁が金色の夕日に照らされながら、湖水に軽やかに触れ、まるでこの地から去るのを惜しんでいるかのようだった。間もなく遠くの暖かい国に旅立つのだ。

二〇一五年、トロント在住の慈済ボランティアが初めてニューマーケット地区で街頭生活者向けの炊き出しを始めたのも、この金色に実る季節だった。ヨークカウンティにあるニューマーケット地区では、街頭生活者の中にアジア系の顔をあまり見かけないので、当初は果たして彼らが中華風の菜食を受け付けるか否か不安だった。しかし、独自の工夫を凝らす炊き出しチームはその実力で彼らの心を掴んだ。それからは年に少なくとも三回炊き出しをするようになり、彼らから熱烈に歓迎され、次の炊き出しは何時か、とよく聞かれるほどになった。

カナダは裕福な国で、市内の特定区域、特に慈済北トロント支部があるヨークカウンティでは、街を歩いても街頭生活者を目にすることは殆どない。カナダの八割以上の街頭生活者は表立って見ることはできない。彼らは森の奥深くに隠れていたり、車で寝泊まりしたりしているのだ。中には精神疾患や麻薬による精神障害の人もいる。経済的な理由で街頭生活者になった人は割りと少ない。

ここ数年、コロナの感染拡大で、多くの人が心身と経済的にストレスを抱えるようになり、街頭生活者の暮らしや分布にも変化が起きている。二〇二〇年の統計によると、カナダでは街頭生活者の二割が失業によって住宅ローンを払えなくなった人たちである。例年に比べ、八割の街頭生活者は長期間路上生活をしており、政府がいくら努力して宿を提供しても、その増加速度に追い付けず、入居の待ち時間が長くなっている。ヨークカウンティ中心街の保護センターがそれだけの人数を受け入れきれない為、彼らは北部の郊外に移り始めた。

たとえ街頭生活者の現象が、経済危機やコロナ禍によるインパクトに由来しているとしても、私たちの奉仕には影響しない。貧困線が低い国では、慈済の支援対象者は千人を超えており、直接助けを求める人と交流することができる。しかし、カナダはプライバシーを重んじる福祉国家であるため、外見からは困っている人を見分けることは困難だ。そこで、現地の慈善組織と協力することにした。ニューマーケットの保護センターであるイン・フロム・ザ・コールド(以下IFTC)とロフト・アウトリーチ・ヴァン(以下LOFT)は数十年の実績がある団体で、彼らがどこに隠れているかをよく知っている。慈善組織や彼らのニーズを無視して自分が寄付したいものを寄付している人が多い中で、慈済はそうではなく、彼らの不足分を補うことに重点を置くことにした。

目下、保護センターと協力して、年に三、四回の炊き出しと夏・冬の大型配付活動を継続している。また、毎日各地区を巡回するLOFTの車による出張サービスに、随時不足分を支援するようにしている。これらのパートナーから毎月必要品リストを提供してもらったことで、季節が変わると彼らのニーズが変わることに気づいた。彼らは冬には毛布、夏には虫よけと傘が必要で、年間通して必要なのは除臭剤である。

慈済北トロント連絡所は、2015年からニューマーケットのホットフードステーションのスポンサーになり、年3回菜食の炊き出しを街頭生活者に提供している。写真は2018年、北トロント慈済人文学校の生徒が配膳に参加にした時の様子。(撮影・梁延康)

側にいてくれるパートナー

慈済北トロント連絡所は設立して二年で、街頭生活者ケアを任された。限られた人数から始めたが、今では何時でも身を挺して対応する地域ボランティアチームである。

カナダ人の多くはボランティアする習慣があり、経済的に許す限り定期的に寄付もする。私たちは愛に溢れた福田に住んでいるのだ。真心とやる気を持っている人は実に多く、慈済は数多くの慈善団体の中の一つに過ぎない。その為、毎年早めに炊き出しの日程を決めないと希望の日程を貰えない。ここは善の為に競う世界だが、如何にして多くの慈善団体から抜き出るか。「感恩、尊重、愛」という證厳法師の教えが私たちの目標である。

カナダの夜の寒さが真夏でも水のように冷たいことに思い至った。二〇一九年から、北トロントのボランティアは、一般的な家庭にある牛乳パックを集め、それを使ってマットレスに編んで、毎月定期的に配っている。それは長年テント住まいしている彼らにとってとても役に立つものだ。何故なら、牛乳パックのマットレスは柔らかくて、地面の冷気を遮断してくれるからだ。それに加えてリサイクルしたペットボトルで作ったエコ毛布を配付しているので、彼らは一年の三季を過ごすことができる。特別に寒い冬の間だけ保護センターで過ごす。政府は力を尽くしているが、ベッド数はまだ足りない。特にコロナ禍で隔離を要したり、安全距離を保ったりする必要があるため、ベッド数がそれまで以上に大幅に減った。野宿を余儀なくされた時は、マットレスとエコ毛布が役に立つ。

LOFTの責任者であるマリー・アンさんは、慈済は長年側にいてくれるパートナーだと、本心を語った。ホットフードステーションの担当であるマーサさんも、慈済が何時も健康的で美味しい菜食を持ってきてくれることに感謝の意を表した。特に二〇二〇年、コロナ禍の初期に、殆どの組織が活動を中止した時、慈済はいつも通りに活動を続け、街頭生活者を励ました。社会的距離を保つ為に、セントラル・キッチンに入って調理することはできなかったものの、私たちは考えた結果、菜食レストランからテイクアウトすることで、食事の提供を続け、奉仕を疎かにすることはなかった。その真心が伝わり、私たちは慈済の竹筒貯金箱で慈善パートナーと良縁を結ぶことができた。

二〇二一年の統計によると、カナダ全国には二十三万五千人の街頭生活者がいるという。彼らが先進国に存在しているのは、紛れもない事実である。カナダは移民天国だと言われるように、私たちは幸いにも社会で日の当たる場所で暮らし、豊かな社会がもたらした福祉を享受している。しかし、私たちは社会の暗い片隅にいる彼らの存在を見て見ぬ振りをしてはいけない。慈済がいてくれたお陰で、ボランティアの一員として、社会で日の当たらない人々を探し、彼らがどの季節にどのような物資や支援を必要としているのかを把握することができ、これからも心と力を尽くしていく所存である。

北トロント連絡所の慈済ボランティアはLOFTと協力して、定期的に物資を提供している。(撮影・丘啓源)

心が安らぐ場所は我が故郷

證厳法師はいつも海外へ移住した弟子たちに、よその国で暮らすのだから、その地で得たものはその地に返すべきだと言い聞かせている。海外の他の地域に住んでいるボランティアの慈善奉仕の様子を聞いた私たちは、繰り返し考えた結果、規模がどんなに小さくても、各地域の文化の差異を理解すれば、運営の形式も自ずと異なってくるのだと分かった。北トロント連絡所のボランティアは努力してきたのだから、将来はもっと地域文化に溶け込み、様々な面から街頭生活者のケアができるはずだ。

秋の気配が濃くなる時はいつも、「萬里悲秋常作客」(杜甫の詩で、秋の気配が濃くなってくると、故郷への思いで悲しみも濃くなる)を感じる。コロナ対策でなかなか台湾へ帰省できなくも、心はその故郷である花蓮静思精舎と繋がっている。法師が海外のボランティアに呼びかける声は、依然として耳元で響いている。和と合で心の故郷に帰る道を見つけ、法師が私たちが人生の点検をするように、と語った言葉を心に刻んだ。カナダに移住してから既に二十五年が経ち、書類に記入する時の国籍はカナダになった。まるでタンポポの種が飛んだ所に根付くように、私はこの土地に根を下ろし、長い年月をかけてこの地で子供を育て、いつしか一家はここで豊かな暮らしを楽しむようになった。今、カナダは私が居住する場所であり、台湾は故郷である。月は故郷の方が円いと言い、地域がその土地に住む人を育てると言われるように、この地の水を飲んでいるのだから、この土地を守らねばならない。

カナダ東部のボランティアの一員として、心が安らぐ我が故郷に恩返しできることといえば、隣近所を世話し、特に助けを必要としている街頭生活者をケアすることに尽きる。

(慈済月刊六七五期より)

    キーワード :