一念の心は変わらず 私はまたバトンを受け継ぐ

「鏡の中の人に笑って欲しかったら、先ず自分から笑うこと」。林勝勝さんはいつもこの良い言葉でボランティアに顔色や声音の大切さを話していた。(撮影・杜偉晟)

台北のベテラン慈済委員、林勝勝(リン・スンスン)さんは、叡智に溢れ、朗らかで、ユーモアがあり、優しい性格であった故に、四十年間、慈済で多くの善縁を結んで来たのである。一九八九年、慈済看護専門学校の懿徳母姉会の第一期懿徳ママとなり、その時から三十年以上、慈済の学生に寄り添って来た。今年五月七日、彼女は円満にその生涯を閉じた。享年八十歳で再度帰校した。願い通り、慈済大学で遺体先生(献体)となったのである。

(本文は二〇二〇年から二〇二二年のインタビューの内容を編集したもので、林勝勝師姐の長女の陳麗勳(チェン・リーシュン)さんと北部人文真善美ボランティアが残した貴重な史料である。手本となる姿が永年に残ることに感謝している)。

私の名前は林勝勝(リン・スンスン)で、上人がくださった法号は静宥(ジンヨウ)です。幸いにも上人に付き従い、菩薩道を歩むことができたことは、私にとってこの一生が満足するものでした。

仏教寓話にこういう話があります。山火事が発生した時、一羽の小鳥が自分は逃げられたのに、他の動物が逃げられないのを見て忍びなく思い、羽に水をつけては羽ばたいて水滴を撒き、行ったり来たりして火を消そうとしました。それに感動した龍天護法の神は雨を降らせ、山火事を鎮めました。私は、上人こそがその小鳥で、絶えず衆生のために奔走していると感じました。

以前、花蓮から台北に帰る時いつも、上人自らが私たちを見送ってくれました。精舎本殿の花壇の前に立ち、片方の手を後に回し、もう一方の手を私たちに振っていました。当時は「同じ道を歩むものは各地にいる」とは言え、まだサポートの力は弱く、上人の孤独で華奢なお姿を見ると私たちは離れ難くなり、何度も振り返り、涙が溢れました。本当に名残惜しい思いをしました!

上人は私たちに泣かないで、とおっしゃいました。「涙は外に流してはいけません。風に吹かれて涸れてしまいますから。涙は内に呑み込み、それを昇華して力に変え、世の苦難にあえぐ蒼生を救うのです」。どれほど時間が過ぎても、その情景を思い出して心に刻んでいます。

ある人は私に、病気になったら、「慈済ボランティア」としての役目に影響がありますか?と聞きました。全く影響はありませんと答えました!なぜなら、全ては一念の心にあるのですから。上人がたとえ点滴をしながらでも、大衆のために開示しようとする姿が、最も良い手本です。

二〇二二年八月、私は尿路結石が原因で大量の血尿が出てしまい、台北慈済病院で手術治療をしました。身をもって苦を経験したことは、私にとって感慨深いものがありました。

私は横になって手術室に運ばれましたが、その時幾つものドアを通りました。一つ目のドアが開き、二つ目のドアも開き、三つ目のドアが開いた時、やっと本当の手術室が見えました。大きくて、広々としていたのにはびっくりしました。

右側に二列、左側にも二列とたくさんの人が手術を待っていたのです。そこにはたくさんの医療スタッフがいて、皆動きがとても早く、真剣に全ての命を救っていました。

私は「一念心」(一念の心)という三文字を見て、四十年前を思い出しました。上人は、一人ひとりが毎日五十銭を寄付して、病院を建てて人助けするのだと言いましたが、当時は皆「できるのだろうか?」と半信半疑でした。

上人は初期のお弟子さんにこう言ったそうです。「皆が『楽することを犠牲にすれば』、将来『犠牲を楽しむ』ことができるのです」。数十年の月日を経て、五十銭で本当にたくさんの人を救えることを身でもって体験しました。

仏法は無形ですが、慈済は無形を有形にしました。私は自ら患者になって慈済病院に行き、ハードウェアだけでなく、素晴らしいソフトウェア(慈済精神)も体験しました。彼らは真の大医王であり、白衣の天使なのです。私はその場で涙が出ました。

私の側には事務担当の看護師である宣霈(シュェンペイ)さんが付き添ってくれ、私は彼女の手を握りながら理解しました。「他人を救うだけでなく、自分も救える」ことを。五十銭を軽視してはいけません。今、上人はアフリカを変えるという大きな発願をなさっています。この「一念の心」は、アフリカを「オアシス」に変えることでしょう。

真心からの笑顔は誰からも好かれる

一九八四年、慈済に参加し、上人の大変な様子を目の当たりして、「私には人脈もなく、主人は公務員です。どうやって会員を募ればいいのでしょうか」と尋ねました。上人は、「先ず人々があなたを好きになることです。そうすればあなたが参加している団体、ひいてはその宗教を好きになるでしょう」と言いました。この理念は私に、慈済の道はどうやって歩むべきかを教えてくれました。人が道を弘めるのであって、道が人を弘めるのではないことを理解しました。人を変える唯一の方法は、先ず自分が変わることです。私は人に出会うと、笑顔で接し、心を込めて微笑むようになりました。

私は花蓮から帰ってくると、隣近所にどのようにして慈済を紹介するかを考えました。隣の人から「陳さんの奥さん、最近のあなたはとても楽しそうですね」と言われた時、「そうなんです。とても楽しいです!花蓮にとても立派な法師がいらっしゃって、お弟子さんたちと内職をして自力更生していますが、病院を建てて人助けをしたいと言われるのです。素晴らしいと思いませんか?一日十元節約すれば、私たちも病院を建てられます!毎月百元節約すれば、その病院はいつでも人助けができるのです!」と話しました。

その後、私は隣人を花蓮に連れて帰り、上人に紹介しました。私たちが住んでいる合江街百三十巷は皆、良い隣人で、今みんなが慈済の会員になっています。

「ではあなたたちのいる路地を慈済巷と呼びましょう!」。上人の言葉を私たちはしっかり聞き入れました。慈済巷であれば、もっと努力してください、と上人が言いました!

歩んできた道を振り返ると、最も役に立った上人の言葉は、「鏡の中の人に笑って欲しければ、先ず自分から笑うこと」です。この数十年間、私はこの良薬を携え、無数の人を慈済の大家族に迎え入れました。ですから、笑顔はお金がかからないが、とても価値のあるものだと思っています。また、会員を迎えるのに微笑みだけでなく、「誠」と「情」も必要です。「あなたに出会った人が嬉しくなるように」というのも上人が身をもって教えてくれました。

誠とは表裏が無いことです。表情も人に語りかけることができるため、「声のトーン」や顔色はとても大事です。私たちは皆、鏡の中の人であり、慈済ボランティアになるということは、人にあなたの真心を感じてもらうことなのです。例えば、私を慈済に導いてくれた陳錦花(チェン・ジンフワ)師姐の場合、慈悲は口で語るものではなく、形となって現れ、姿、表情、協力の度合いなどであり、それが慈悲である故に、多くの人を導いて来たのです。

慈済が枝葉を広げるには、皆の「誠」と「情」が必要です。実は、誰もがそうしたいと思っているのですが、まだ啓発されずにいて、心に触れていないだけなのです。普通の人は善門から入りますが、善行するだけでは足りません。身をもってそれらを経験し、自ら感じ取る必要があるのです!実際にケア世帯に連れて行くと、心に触れます。自分が一番可哀想な人間なのではなく、それほど苦しんでいないことに気づきます。

初期の無から有になりましたが、人々を四大志業の様々な方法で迎え入れ、迷いを智慧に変えたのです。慈済の法門は生き生きとしています。そうでなければ、皆どうすれば良いか理解できません。具体的なものを見せ、実践を通じて道理を示せば理解できるのです。人を救う人が菩薩であり、仏法を生活に取り入れるとはこういうことなのです。

林勝勝さん(前列右から2人目)は30年前、病院建設のために募金集めをした。住んでいた台北市合江街130巷は、百メートル以内の8割以上の住民が会員になり、愛に溢れていた。写真は慈済40周年の時にボランティアと記念に撮ったもの。(撮影・曽芳榮)

実践したことを話し、話したことを実践する

慈済に来たならば正思惟を学んでください。上人が話す言葉はどれも非常に前向きですから。以前、ある地区で厨房ボランティアが作った料理がとても塩辛く、食べられないというクレームが出ました。上人はその話を聞いて、私は彼らが調理したものが美味しいかどうかは知りませんが、作るのが大変なことだけは分かっています、と言いました。

また、海外のある責任者は大したことをしていないと言った人がいました。その時上人はどう答えたと思いますか?そのことはすでに知っています。本人も分かっていると思いますが、彼が慈済のために尽くしたいと思っている点で、私は彼に感謝しています、とおっしゃいました。上人の心はどれほど清らかか、お分かりでしょう!

毎回慈済の話になると気持ちが高ぶり、私は演説家でもないのに、コンマも句点もなく話し続けてしまいます。私はしたことを話し、話したことを実践するだけです。若い頃の私の人生が、大愛劇場《生命圓舞曲》(命のワルツ)でドラマ化されましたが、その時、脚本家の方が私の娘にインタビューしました。

「お母さんは、慈済に入った後、何か変わりましたか?」私の長女は、お母さんは人生に生命力がほとばしるようになった、と言いました。そうなんです。たとえ転んでも、一握りの砂を掴んで上人に差し上げるぐらいの気持ちでいるのです。ではなぜ生命力がほとばしるのか?私は人生の方向と命の価値を見つけたからです。末っ子は、お母さんは体型だけは変わってないけど、その他は全て変わった、と言いました!

一体私のどこが変わったのか?それは考え方です。私たちは皆、自分が作り出した世界の中で生きており、ひどく独りよがりなため、知らない間に悪縁を結んでいるのです。ですから、上人は私たちに、是が非でも人の輪に入り、三人寄れば必ず師が現れ、事につけて心を鍛え、どこででも心を養い、良縁を結んで心を修めてください、と言いました。慈済に来て仏法を学ぶのだと言う自信はありませんが、人、事が円満になってこそ、理が円満になり、人格が仏のようになることが、成就したことなのです、という上人の言葉を実践するだけです。

慈済はとても大きな菩薩の団体を築き上げ、私たちは、心を大きく持てば、多くの良縁を結ぶことができることを学びました。常日頃から私は、天下の子供はみんな私たちの子供だと言っています。教育志業で看護専門学校第一期の懿徳ママとなってから二〇一九年慈済大学慈誠懿徳会でバトンを渡すまで、こんなに多くのご家庭のお子さんに寄り添うことができたことに心から感謝し、この一念の心で、今まで頑張り続けられたことにも感謝しています。

2010年の慈済大学慈誠懿徳日、林勝勝さん(右)たち懿徳ママと職員たちの集合写真。(撮影・葉素貞)

前の波と後ろの波が共に彼岸にたどり着く

近頃、皆、生命の価値を棚卸しするという話をしていますが、この一生で慈済に参加できたことは何と幸運なことでしょう。様々な人生に接し、自身の視野を広げることにつながりました。一介の人間にすぎないおばさんではあっても、慈善、医療、教育更には国際災害支援活動にまで参加できたのです!私は、上人は女性の社会的地位を向上させた成功例だと思っています!生涯、慈済で学び、尊厳と人生の価値を得て、自信も湧いてきました。自信が湧けば、疑心暗鬼にならず、実践して、経験を重ねることで、智慧を育んで来ました!

私はこの人生に悔いはありません。今、慈済は若者が足りません。私は早く逝って新しい体になって、再びバトンを引き継ぎたいと思っています。

私たちは犠牲を問わず、前に進むべきです。長江は、後ろの波が前の波を押し出せば、前の波は砂浜で消えず、後の波も海の上で消えないことに、前の波に感謝すべきだ、という例えがあります。つまり、前の波も後ろの波も互いに「愛の心」を作用させることで、共に彼岸にたどり着けるのです。私たちベテランボランティアは、歳はとっても、慈済を愛するこの心と精神は、永遠に老いてはいけないのです!(資料提供・陳麗勳、明含、郭宝瑛、許彩霞、林欣璇、許麗娟、廖凰束、柯麗華、江孟倩)

(慈済月刊六七九期より)

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