美しいこの世を愛おしみ大切にしましょう

(絵・陳九熹)

この世に病、苦しみ、障害、疾病に見舞われないなどありえません。

しかし、人心が調和してこの世に愛が満ちれば、平穏で戦争のない世界にすることができ、あらゆる貧困で病苦にある人々を慰撫することができるのです。

恩師のことを思えば、六十年前、師は私に「仏教の為、衆生の為」という言葉を下さり、私が人生で出家人として、その正道を寸分違わず進むべき方向を示してくれました。真直ぐ進み、僅かな偏りもなく、寸歩も間違えず歩んで来ました。

仏陀も私の導師です。仏陀が入滅されてから数百年後に、高僧の賢達は仏法を一部ずつ編集しました。あらゆる経蔵は貴く、一字一句が教育であり、後世の人たちがどのようにして凡夫の習気(じっけ)と欲念を断ち切るべきかを学ぶことができるのです。私は生涯のうちに、《四十二章経》、《仏遺教経》、《八大人覚経》、《法華経》、《薬師経》など重要な経典を講釈して来ましたが、中でも《無量義経》は永遠に固守しています。

出家する前、私は台中の慈雲寺にいた時、或る信者が慌ただしく修道法師にこう話すのを聞きました。「隣の家が改築している時に、ベッドの下から《法華経》が出てきたそうです。何代前の物か分からないが、古物商に持っていくつもりだと言っていました」。《法華経》と聞いて、心に法喜が芽ばえ、直ぐ、それをいただいて来ました。

その後《法華経》を読み、《法華経》を書き写し、《法華経》を語るようになりました。私の生涯は、法華の道から離れることはありませんでした。七十年前に手に入れたその《法華経》は、近年ページがバラバラになっていました。今年六月、国立台湾図書館から細心に修復された《コーラン経》が送り返されて来ましたが、その細かい仕事ぶりには感嘆するばかりです。そのような縁に恵まれたことで、大きな自信を得て、とても感謝しています。そこで、あの《法華経》を彼らに託して修復してもらい、代々に引き継いでもらうことにしました。

私のところにある、あの《コーラン経》は手書きのもので、二〇二〇年にトルコの胡光中居士が私にくれたものです。五百年の歴史があり、紙には虫食いの跡があります。この貴重な経典を私は大切に保存するつもりです。また現代の技術による修復によってさらに百年千年と受け継がれることに、感謝の気持ちでいっぱいです。

五濁悪世に身を置いていると、まるで真っ暗なトンネルの中にいるようですが、経典は私たちに道を切り開いてくれます。トンネルの先は光明です。宗教の名称は異なっても、含まれている道理は同じです。世のためにならなければ経にはならず、道理は世の中に伝えることができ、異なった根機の人の役に立つような宗教は弘める価値があります。「大愛」、「仁愛」、「博愛」のどれも互いに通じ合うものであり、この世に有益であれば、宗教に区別はなく、好いことは大いに弘めるべきで、道を広く平らにすることがこの世に幸せをもたらすことです。

天地万物による恵みが人類の生活を支え、四大元素の調和は士農工商の発展に繋がり、皆が和気藹々に助け合うようになります。天の気、水の気、地の気、人の気の調和が取れれば、人間(じんかん)に天国が現れ、天国の世の中になるのではないでしょうか?こんなにも良いこの世を、どうしてお互いに破壊する必要があるのでしょうか。

好い言葉を話し、好い行動をし、好い心を持てば、この世に幸せをもたらすことができるのです。逆に悪言を吐けば、人と人の間の感情を乱し、社会を攪乱し、ひいては国と国の争いを引き起こしてしまいます。人同士の心が和さなければ、気も和することはできません。

たった一念の心の調和がとれなかったことで、昨日は握手して抱擁した相手が、今日は反目する敵となり、戦火のために数知れない人々が家を失っています。この世から病と苦しみをなくすことは不可能ですが、平穏で戦争のない世にすることは可能なのです。

目に見えない心の欲念は、防ぎようのない業力を作り出します。現実の世の中では、心配事は多いものです。特に気候変動で風災や水害が引き起こされ、森林火災は、小さな火種が全てを焼き尽くす森林火災になるため、それを止めることは難しいのです。この世の災害は益々酷くなり、年々増加し、実に多くの人が被災して苦しんでいます。多くの人は「人の力は天に勝る」と思っていますが、本当に可能でしょうか?心から反省し、傲慢にならず、謙遜して、敬虔になければなりません。

では、どうやって敬虔さを表したらいいのでしょうか?日々一度祈るだけでなく、常に身口意を以て示すのです。心に欲念がなく、常に善い言葉を口にし、人と共に善行をし、互いに褒め合うのです。私は、人類が共に生活しているこの土地を愛しており、皆が一緒に愛おしむことを願っています。あなたの国に困難があれば、私の国が愛の心で以て支援します。人々は自由に行き来すれば、争いは起こりません。世のあらゆる貧困や苦しみ、病はすべて慰撫とケアを受けられるのです。

世界八十億もの人が同じ心を持つことは望めませんが、私たちはそれを自分に求めることはできます。慈済人一人ひとりが、縁のある人に感動を与えよう、と自分に求めることはできます。縁を造って、人に出会う度に慈済のことを話し、好い言葉を口にし、共に大きく立願して、善行することで、普くこの世から苦難をなくすのです。

私が一番気に掛かっているのは、世の中で助けを必要としている人がいても、接触することができず、助けてあげられないことです。彼らは災難に遭っても幸いに生き延びた人たちですが、本当に生き延びられるのでしょうか?彼らの苦しみを想い、大勢の苦難と飢餓に喘ぐ人々を想うと、毎日平和で自在でいられる私たちは、自分の幸せを知って大切にし、更に敬虔になって、多くの菩薩がこの世に幸福をもたらすよう呼びかけましょう。皆さん、心して精進してください。

(慈済月刊六八〇期より)

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