孫娘の手をとってバージンロードを歩く・インドネシア
マスワさんは、子供たちに医療費の為の借金をさせたくないと思い、
様々な言い訳を使って白内障の手術を避け、
視力が失… Read More »
世界に目を向ける
夜更けになっても、ボランティアはまだ準備に忙しく、教室がそれぞれの診察室の配置になっているかを確かめていた。慈済人… Read More »
群衆に混じって経蔵に浸る
七月末、彰化県立体育館で三日間にわたって八回行われた経蔵劇「無量義 法髄頌」の公演が、無事に終了した。その後、北部… Read More »
得るのは今でなくてもよい
最近『楽しむためではない』という本を読んだ。仏法にどんなメリットがあるのか。仏法で楽しくなれるだろうか。第一章の冒… Read More »
十月の出来事
10・01
慈済基金会仏国プロジェクトチームは6月から、毎月第一日曜日をインド・ブッダガヤ慈善配付日と定めた。本日… Read More »
世の衆生のために尽くす
人間(じんかん)で菩薩道に励めば、
自分の悟りを開いた情に自信が持てます。
万里の道も一歩に始まり、
皆で広く世を… Read More »
心を開き、何にも囚われない─台南市 陳富足さん
台南市安平区は、以前から史跡と港、軽食で有名な所だ。中でも「安平古堡」は代表的な史跡であり、現地の人々が誇りにして… Read More »
経蔵劇のキーワード:私は喜んでやることを誓う!
舞台には白髪で猫背のベテランボランティアや事業に多忙な中年の人、
また機転の利く活気ある若者もいる。
二十六幕の舞… Read More »
慈悲で普く世を覆う
天地、人間(じんかん)で大地の萬物が、
このように大きな空間で共存するためには、
「愛」と言う文字しかありません。… Read More »
経蔵劇─無量義 法髄頌
古代インド・マガダ国の都ラージャグリハにある霊鷲山(りょうじゅせん)に大衆が集まり、仏陀が法華経を説いた。『無量義… Read More »
感動して初めて行動するようになる
道理を人に話しても、
心に入れることができるとは限りません。
愛と善を発揮し、
真心が伴った行動が最も人を感動させ… Read More »
台湾の特色─華やかさと簡素さのスペクトラムとも言える
高雄市岡山の旧市街にある一軒の雑貨店の店先は、生活の中でよく見かける伝統文化に源を発した色彩で飽和している。市場メ… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
日常にある美
グローバル慈善
證厳上人のお諭し
お板さんが法の香に浸る
大地の守護者
世界に目を向ける
行脚の軌跡
十月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。