慈悲で普く世を覆う

(絵・陳九熹)

天地、人間(じんかん)で大地の萬物が、 このように大きな空間で共存するためには、 「愛」と言う文字しかありません。

無私で汚れがなく、互いに思いやり、労わりあってこそ、人類全体の危機を転換することができるのです。

「人の世は苦」とよく言われ、その苦しみは心の煩悩に由来することが多いのです。ですが、正しい方向に戻って見ると、人間(じんかん)は実に美しくて愛おしく、温かさに満ちています。慈済が日々出会い、見たり聴いたり触れたりするその全てが愛でないものは無く、そのような愛はこの世を潤し、無限の生気をもたらします。

人は誰でも仏性を備えており、菩薩(ボランティア)は自発的に災害支援に向かうだけでなく、迷える人々をも導いています。よく「菩薩を募る」と言いますが、多くの人によって絶えず薫陶し、手を差し伸べることで、より多くの智慧を啓発し、人生を価値のあるものにします。体でもって励み、お互いが励まし合い、共に正しい道へ進むのです。両足を踏み出すのは、人の世に幸せをもたらすためであり、智慧でもって一歩また一歩と休まず進み、「両足尊」と言われる、福と智慧を兼ね備えた仏になることです。即ち、「精進」することであり、末永くこの菩薩道に努め励むのです。

慈済は半世紀を歩んで来ましたが、その起点を振り返ると、とても狭い道から始まって、一歩一歩前進するうちに、多くの人たちの支持を得ることができました。そして、菩薩(ボランティア)は増え続け、台湾から世界に歩みを進めて来ました。今年八月中旬、アメリカのシカゴで開かれた「世界宗教議会」において、慈済は議会理事の一員として、世界各地から来た二百人余りの宗教団体の代表者たちと交流し、互いに進歩することを励まし合いました。これは現代社会において最も重要な問題です。極端な気候は憂慮に堪えませんが、今一番求められるのは、全人類が一緒に炭素の排出削減に努めることです。ニューヨーク・マンハッタンのユニオンスクエアにある「クライメートクロック(気候時計)」は、気候の危機的状況を避けるための残り時間は六年しか残っていないことを示しています。毎日一分一秒が過ぎて行くのを見ると、とても心配になります。時は止めることも目で見ることもできません。音も気配もないまま過ぎ去ります。

毎日の話には教育の方向が存在すべきです。即ち、「慈」と「悲」、「無縁大慈」と「同体大悲」に関したことです。普くこの世に生きる人と人の間、それに人と動物の間は全て、慈悲で覆われなければなりません。人を重んじ、動物を愛護すると同時に、植物も大切にすべきです。五穀と雑穀の豊作に感謝し、大地が万物を育んでいることにも感謝しなければなりません。人の世と大地の万物は、この大きな空間で共存しています。一文字で表される、その「愛」が無私で汚れのない、「無縁大慈、同体大悲」という簡単な言葉の中に一切が表されています。

いわゆる宗教とは、「人生の宗旨であり、生活における教育」ですから、必ずしも仏教を信仰しなければならないわけではありませんが、宗旨と方向は持たなければなりません。どの宗教にも特徴的な面はありますが、各々の宗教の間には尊重と祝福が必要です。世界宗教議会の中で、慈済は二百余りの宗教の中の一つですが、参加でき、認められたことに感謝し、更に精進しなければなりません。仏陀の一大事因縁(この世に出現したこと)は、人間(じんかん)菩薩がこの世で奉仕するよう、教育するためなのです。私たちもまた、その一大事因縁によってこの世に来たからには、奉仕し、見返りを求めず人助けすることであり、それは私たちの最も重要な生命の価値でもあるのです。

慈済宗が立ち上げられましたが、その教育は「静思法脈」です。法脈は精神であり、宗派は門と道です。「菩薩の縁は、苦しむ衆生との縁」と言われる道に踏み出すのです。慈済は「仏教の為」であると同時に、「衆生の為」でもあるのです。慈済人がこの広く、歩み易い道を切り開いてくれたことに心から感謝しています。慈済のこの世での奉仕は、やるべきことをやり、人と争わず、事とも争わず、世間とも争いません。もし批評された時は、それを助けと思って、自分に警鐘を鳴らし、荒波の中でもまれても乗り越えられるような船になるよう、鍛錬するのです。人が道理を弘めるのであって、道理が人を弘めるのではありません。人として事を為すには、真実で、誠実に、現実的で、善と愛で以て奉仕することです。誠意を持って単純に、そして善を以て、無私の心で一歩一歩着実に進むことで、慈善を世界に普く広めるのです。

宗教を信仰するということは、福を求めることではなく、福をもたらすことです。例えば、銀行口座に預金がなければ、お金を下ろせないのと同じことです。時を無駄にせず、どの一秒も正しい話をして実践し、正しく生きることです。「心は虚空を包み込むほど広く」なれば、煩悩はなくなり、「無量の世界が心にあれば」、国や種族へのこだわりもなくなります。人に借りがなく、事に対しても間違いを犯さず、広く純粋な思いがあれば、心に何の悔いることはありません。

「気候時計」のカウントダウンは、正に私たちに警鐘を鳴らしているのです。菜食を推し進め、環境保全をして、物を大事にすることが、今の最も重要な方向です。人心の浄化と平和な社会を達成させるには、慈済人が睦まじく協力することで、力を結集させることができ、そこからより多くの人を迎え入れて、愛のエネルギーを代々伝承して、慧命を人間(じんかん)に存えさせるのです。皆さんの精進を願っております。

(慈済月刊六八三期より)

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