経蔵劇─無量義 法髄頌

霊山法会で法華経を説く

古代インド・マガダ国の都ラージャグリハにある霊鷲山(りょうじゅせん)に大衆が集まり、仏陀が法華経を説いた。『無量義経・德行品』の経文が映像に映し出され、梵唄の朗誦と太鼓の音が心に届いた。あたかも二千五百年余り前の時空に戻ったように。

慈済は『法華経』を軸に、『無量義経』を精髄としている。『無量義 法髄頌』の経蔵劇が七月二十八日から七月三十日まで八回、彰化県立体育館で上演された。苗栗、台中、彰化、南投の慈済ボランティアが優人神鼓、台湾オペラの唐美雲歌劇団と共演し、音楽の旋律に合わせた動作で、仏陀の一生と慈済の史実を表現した。

物語を使って道理を伝える

シッダールタ王子は宮廷を離れ、五年の旅と六年の苦行を経た後、体を酷使しても生命の真理を悟ることができるとは限らず、逆に体力がなくなって、川を渡って対岸に上がることさえできないほど弱ってしまうことに気づいた。羊飼いの女から山羊の乳の供養を受けてから、やっと体力が回復した。

経蔵劇は物語の演繹であり、様々な方法を使ってその精神を表現している。そこで、時空を超えて当時の背景に戻り、シッダールタ王子が何故全てを捨てて真理を探求したのか、演芸関係のプロが芸術で表現し、物語によって道理を伝えているのである。

法脈の伝授 宗門の立ち上げ

「一粒の米に歳月が宿り、半升の鍋に山河を映す」という言葉は、慈済創設当初の困難な生活を物語っている。毎月、貧困世帯に配付する時はいつも、油と米を借りてお粥を炊いていた。自分はお腹いっぱいにならなくても、他の人にはお粥を食べさせたいと努力した。

精舎では「一日働かねば、一日食せず」を実行し、常住尼僧たちは農耕で自力更生すると共に、自分たちを犠牲にして全力で奉仕した。慈済は五十七年間に、慈善の足跡を世界百二十八の国と地域に広げて来た。

大船頭・大医王

ボランティアと台中慈済病院のチームが『徳行品』を演じた。「大医王は病を見分け、薬の性質を理解して、患者に処方する。大船頭は、衆生を乗せて生死の河を渡り、涅槃の岸に送り届ける」。佛陀は「大船頭」や「大医王」のように、仏法でこの世を救っている。人々が皆、発心立願すれば、衆生の苦しみは取り除かれ、楽になることができる。

心を一つにすれば、愛は無量

「大慈無悔愛無量,大悲無怨願無量,大喜無憂楽無量,大捨無求恩無量……」と、證厳法師が開示した『勤行頌』が音楽に伴って歌われる中、出演者たちは蓮の花やさざなみの形に並んだ。そして、花が咲いて、揺れ動いて広がるように、観客とパフォーマーが一体となって力強い声を発した。

八回の公演では、会場とオンライン合わせてのべ六万五千人余りが敬虔にこの法会に参加した。舞台の「大愛の光」に出演したボランティアたちは互いに影響し合い、台上でも観客席でも、場内場外全てで、法音と法海が一緒に法義を演じ、心を一つに協力し合いながら、円満に無量義の法会を終えた。

(キャプションの編集・編集部)

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