マスワさんは、子供たちに医療費の為の借金をさせたくないと思い、様々な言い訳を使って白内障の手術を避け、視力が失われていく苦痛を淡々と受け入れて来た。
慈済の施療で視力を取り戻した結果、孫娘の花嫁姿を見ることができた。
孫娘のイムロアタンさんは、祖母のマスワさんの白内障手術が順調に終わったことを喜んだ。
「今はっきりと物が見えるようになりました。アラーと慈済ボランティアに感謝します」。六十五才のマスワさんが、ジャカルタのボランティア蔡菊花(ツァイ・ジュフヮ)さんを抱きしめながら言った。
白内障手術後の検査では、視力が順調に回復しているとのことで、マスワさんは感動して涙をこぼした。「まだ泣いてはダメですよ。目を濡らしてはいけませんから」と蔡さんも同じ気持ちに浸りながら声をかけた。するとマスワさんは、こう答えた。
「とても嬉しいのです。そして、みんなの綺麗で、ハンサムで礼儀正しい姿を見ることが出来ました」。
マスワさんは、西ジャワ州インドラマユの出身で、慈済の施療を受ける為に、わざわざジャカルタに三週間仮住まいした。両目共白内障を患い、光の判別しかできなくなって、はっきり物を見ることができないので、子供たちは気苦労が多かった。
彼女は若い頃、サウジアラビアに出稼ぎに行き、家計の一部と家の修繕を負担したことがあったそうだ。夫は既に他界し、子供たちは自立して他の所に住んでいる。彼女は脳卒中を患った息子と隣接して住んでいるが、嫁と孫が世話をしている。
マスワさんは一人で生活することに慣れていた。残された時間が多くないことを自覚すると、子供たちに医療費の為の借金をさせたくないと思い、様々な理由を使って家族が勧める自費の手術を断り続け、視力が失われていく苦痛を淡々と受け入れて来た。間も無く結婚する孫娘のイムロアタンさんは、「お婆ちゃんは私の花嫁姿を見たくないの?慈済の施療に参加しさえすれば、私の結婚を見届けることができるのよ」と懇願した。手術が無料で、子供たちに負担をかけないことを知ると、マスワさんはやっと首を縦に振った。
「お婆ちゃんが手術を受けるのを見て、心配と同時に感動しました」と小学校でクラスを受け持っているイムロアタンさんが言った。それ以上に、ボランティアと医療スタッフが幸せをもたらして彼女たちの人生を変えたことに、感謝した。「皆さんが幸福で長生きして、全てが順調に行くことを願っています」。
慈済インドネシア支部は今年五月二十七日と二十八日、インドネシア仏教慈済病院で初めて施療活動を行ったが、それは、同支部による百三十八回目の大規模施療活動でもあった。八十三人の医療スタッフと延べ百二十四人のボランティアが参加して、九十五人の患者への白内障やヘルニアの手術を行った。
五月二十日、医療チームは先ず、施療に来た民衆に初歩的な検査をした。「私が選ばれて、手術を受けられるようになったことを神に感謝します」。六十一才のタレブさんは、目を潤ませながらこの言葉を繰り返した。ボランティアは、一週間後の白内障手術に備えて、健康に注意するよう念を押した。
タレブさんは、西ジャワ州ブカシ県チカラン市に住んでおり、遠い道のりを克服して州境を越えて、ジャカルタのカブ市シン村にあるインドネシア慈済病院にやって来て検査を受けた。彼は自動車の修理工場に勤めていたが、視力が次第に朦朧として来たため、自費で二〇一九年に殆ど見えなくなっていた左目の手術をした。その時の医療費は約千五百万ルピア(約十二万円)だった。そして、彼が右目の手術の為にお金を作ろうとした時、新型コロナの影響で、生計が困難に陥った。
その後、自動車修理工場を廃業すると、転職して或る教会が経営する診療所で清掃員となった。その診療所の歯医者は、彼に慈済の施療活動の情報を伝えただけでなく、旅費まで出してくれた。「検査は順調で、ボランティアたちも良い人ばかりで、心を込めて付き添ってくれました」。タレブさんは、全ての出来事に心から感謝した。
八十一才のヘルさんは、視力を取り戻した後、やっと預言者・モハメッドの伝記がすらすら読めるようになった。六十三才で屋台を営業しているカルサンさんは、奥さんをバイクに乗せて市場に仕入れに行く途中で転倒してからは、バイクに乗らなくなった。手術が成功してから彼が一番喜んだのは、仕事場に復帰でき、家族に苦労をかけなくて済むようになったことである。インドネシア慈済病院の謝源生(シエ・ユエンション)院長は、無私の奉仕をした結果、多くの患者が視力を取り戻したことに対して、敬虔に医療チームに感謝した。「患者が目を大切にして、生活を改善していくようにと期待しています」。
(慈済月刊六八〇期より)