台湾の特色─華やかさと簡素さのスペクトラムとも言える

高雄市岡山の旧市街にある一軒の雑貨店の店先は、生活の中でよく見かける伝統文化に源を発した色彩で飽和している。市場メカニズムの影響を受けた「人目につく」配色であると同時に、社会情勢が移り変わるにつれて、華やかさと簡素さの間を揺れ動く。

午後三時に六時間目が終わるベルが鳴り響くと、新北市新荘区の民安小学校では児童が掃除を始める。教室、廊下、階段、運動場に現れる子供達の真面目な、或いはわんぱくな姿はいつもと変わらない。ただ、その掃除道具には、小さいようで大きな変化が起きていた。

「お爺ちゃんは、小さい時の箒も『赤と綠』で、僕たちが前に使っていたのと同じだった、と言っていたよ」。新学期に受け取った黒の掃除道具を手にして、四年生の男子生徒がか細い声で言った。

赤と緑の箒、赤いちりとり、赤いモップ、緑色のバケツ、青色のゴミ箱、これらは老若を問わず見慣れた日常的な色である。学校に黒、グレー、アースカラーの掃除道具が現れるにつれ、今の子供たちは、やっと五十年前の「お爺さんの時代」とは違う選択をすることができるようになった。

実際は学校の掃除道具だけでなく、街の看板や屋台、または会合の時に使う赤い腰掛け、道を行き来する観光バス、海辺のカラフルなパラソルなど、日常生活のいたるところに見られる物は、鮮やか且つ強烈な色をしていて、彩度の高さとその組み合わせの全ては「人目を引く」ことと「目立つ」ことを目的としているのである。

長年、私たちは意識的または無意識的に、今日の台湾の容貌を作り出してきた。しかし、なぜこういう色なのか。これらは今の台湾の環境に最も適した色彩の表現なのだろうか。

レインコート(写真1)や扇風機(写真2)など少なからぬ日用品に彩度の高い配色が施されているが、私たちはそれらに慣れてしまっている。

様々な色を使って神に敬意を払う

「色彩は人が絵画や物から受ける第一印象であり、この印象は往々にして『見た感じが良いか否か』を決定付けます」。教育部が成功大学建築部に委託して編集した「美感入門」という本の中で、その「見た感じが良いか否か」の判断は、視覚による色彩に対する直観的な反応の他に、文化の背景や地理的環境等といった外的要因が与える美の経験と、切っても切れない関係がある、と指摘している。

例えば、赤道に近い緯度や日光が直射に近い熱帯や亜熱帯地帯では、豊富な種類の物を育み、多様な自然環境の色彩をもたらす。また強烈な日光によって繊細な淡い色は目立たなくなるため、建築や器物には高彩度で対比がはっきりしている色の組み合わせを使用する傾向がある。これは東南アジアの国々で濃い配色がよく見られる一因でもある。

もし、歴史と文化の面から見れば、四百年間の台湾の歴史は、台湾の人々と風景の変装の歴史のようなもので、別の文化が入ってくる度に、その時々の統治者の色彩に変わるが、何度変装しても、以前の統治文化の痕跡は発見することができ、特に中国の伝統的な文化の影響を深く受けている。

「中国人が重視するのは視覚的な美学ではありません。美は「装飾」のカテゴリーに入るのです。また煌びやかな色彩を高尚な象徴と見なしています」と、早い時期から美感教育を提唱して来た建築師の漢寶徳氏が言ったことがある。古代から色で階級を区別し、鮮やかな色の服は官吏だけが着ることができた。黄色は皇室専用で、次いで紫、赤、緑、青の順である。平民が身につける色は黒か灰色または自然の素材色に限られていた。服の他、建築にも制限があった。

後に商業と民主政治の発展により、色彩は次第に階級を表すという戒律は打ち破られていき、上流社会の特権ではなくなった。そして、台湾は古代中国文化を受け継いで、鮮やかな色を廟や祠に好んで使用し、民間芸術や日常器物は過去の「伝統装飾」を引き継ぐ形となった。

大龍洞の保安宮や萬華の龍山寺、北港の朝天宮などの大きな廟では、屋根や壁に中国南方の陶磁器の一種「交趾焼(コーチやき)」と「剪黏(ジェンネン)」という工芸が見られ、高貴な雰囲気を醸し出す古代の黄色、淡い黄色、エンジ色、或いは鮮やかな玉緑色、コバルトブルーなど多彩な色を使い、瑞獣、花、鳥、人物、山林を組み合わせた装飾をしており、鮮やかな色と光沢に溢れると同時に長く保たれて来たため、「神様に敬意を表す」ものとして真っ先に選ばれるのである。

「信仰上で使用する色彩は、美感でもって総括することは出来ず、それ以上に人目を引くこと、稀有、敬虔と意義の象徴として、台湾の廟は強烈な色調で煌びやかな色彩になったのです」と、雲林科技大学視覚伝達設計学部の曽啓雄(ゾン・チーシオン)名誉教授が言った。台湾の廟の装飾性色彩表現は中国の廟に比べ、より鮮やかで、力強く、大胆になっており、配色或は意義において、「台湾色」の代表的なものとなっている。

時間と空間が積み重なるにつれ、今日に至ると、この様々な色彩で華やかさと賑やかさを表現するというやり方は、節句や祭りから日常生活の器物に至るまで、類似した色使いで私たちの日常生活に広く溶け込んでいることがわかる。

それ以外に、もう一つ大きな力が色彩の容貌発展に影響している。それは市場メカニズムであり、生産、マーケティング、販売の過程で市場のニーズを満たし、コストを削減できる色を選択していることである。

新北市は古いコミュニティーの美化を推進するにあたって、あちこちのマンション外壁に彩色画を描いた。板橋区国慶路辺りにある多くの大型テーマ彩色壁画は、道行く人々に豊かな彩りを見せ、暫しの間、その後ろの不揃いな増築窓を忘れさせる。

市場メカニズムが日常における色の選択に影響を及ぼしている

台湾の市場で最も普遍的に見られる「台湾特有」の紅と白のビニール袋を例にとってみよう。最初に紅と白を配色した理由は人々の想像とは全く異なっているかもしれない。世界で初めて「一層二色」の紅と白のビニール袋を製造する機械設備を開発した鳳記国際機械社の魏燦仁(ウェイ・ツァンレン)総経理は、ポッドキャストの番組「製造癮(ものづくりはやめられない)」でこう語った。「実は当時のアフリカ市場のニーズによるものでした」。

当時、ビニール袋は白色で、少しはデザインすることがあったが、一九七〇年代にアフリカに輸出するようになった時、顧客が現地は豊富な色彩を好むと言ったため、鳳記会社は二種類の色の袋を製造する機械を開発し、アフリカ好みの紅と白のビニール袋を生産した。予想外だったのは、それが最終的には台湾に根づいたことだ。

政府機関や学校、店の出入り口、マンションの壁など至る所に、赤と緑の箒を見ることができる。なぜこのような配色と機能のものが「五十年一日の如く」変わることがなかったのか。その背景にあるのは、必ずしも色の好き嫌いではなく、産業チェーン全体に関わっているのだ。

「貴方は今の学校が購入している箒の予算は、一本三十元にも満たないということを知っていますか?」と、美感細胞協会の創立者である陳慕天(チェン・ムーティエン)氏がこのように聞いた。

協会は九年前から「美感教科書」という提案を行ってきたそうだ。昨年は新北市政府教育局と共同で、「キャンパス掃除道具美感改造プロジェクト」を推進し、多元的な美感設計を教科書だけでなく、キャンパスの掃除道具にも取り入れようとした。「多くのメーカーが、かなり前からそういう儲からない生産を止めたいと言っているのです」。以前は誰でも購入できるように値段を抑えてきたが、メーカーに利益がなくなり、革新の意欲も無くなった挙句、学校の掃除道具の選択肢も限られてしまったのだ、と彼が説明した。

「ですから、私たちが挑戦しているのは、このように利潤がなく、誰も作りたがらなくても価値があって、大きな影響力があり、公共性を有する物作りです。他の収益性の高いものは、とっくに改良されていますよ」と陳氏が強調した。実際の行動を通して産業チェーンを動員して初めて、問題を解決ができるのだ。

台北市と新北市の学校が購入する日常百貨の会社を四十年以上続けて経営してきたハッピードッグ社は、今回のキャンパス掃除道具改造プロジェクトに応じたディーラーの中の一社である。今まで学校の掃除道具の仕入れは殆ど慣例に倣って行われ、誰も「他の色はありますか」と尋ねる人はなかった、と社長の李栄光(リー・ロングアン)氏が言った。

それでもハッピードッグ社は、プロジェクトが始まる前から耐久性のある新シリーズの掃除道具を売り出しており、質感を象徴する「黒色」を採用して差別化を図り、市場のニーズを掘り起こした。

「お爺さんの時代の箒はなぜ赤と緑なのか、調べようがありません。縁起が良いと人々が思ったのかもしれません」。ハッピードッグ社の黒シリーズ箒の下請け生産をしている候泰社は、創業五十年の掃除道具老舗メーカーである。二代目社長の侯嘉麟(ホウ・ジアリン)氏によると、普通の工場で長年変わっていないのは、顔料のコストを考えるよりも「習慣」であり、流通方面の考え方が止まったままであれば、製造面にも影響を与えるのだという。

野外劇場には、赤と青の演劇用衣装と赤と青のキャンバス屋根が互いに引き立て合って風情を出していた(写真1)。イベントや集会或いは屋台にも見られる赤い腰掛けが、会場を盛り上げているような気がした。(写真2)

環境もコーディネートが必要

このように産業チェーンを小さなことで大々的に変革させたのは、美感細胞協会が「美感は育まれる」という初心を貫いたからだった。以前、教育部の「美を学ぶ・美学‐キャンパス美感設計実践プロジェクト」に参加した時、空間は改装して美しくなっても、主役でもない掃除道具がいつも廊下やバルコニーに置かれていることに気が付いた。収納が不適切であった一方、色が目立ちすぎるため、環境との一体化に欠けていたのだ。

「洋服の着合わせのように、ただ着るだけでなく、着こなすことが必要で、スペース全体のコーディネートも必要なのです」と陳さんが言った。

限られた資源と各方面のニーズを釣り合わせながらも、美感と機能の両面を兼ね備えた掃除道具が直ぐにできるわけではないため、とりあえず色から着手し、黒、グレー、アースカラーを見本に、興味のある学校に選択肢を広げ、将来、段階的に収納管理や機能設計などを改善していく予定である。

「美感を育むために、子供の日常的な環境から実践すべきです」。民安小学校は真っ先に新しい掃除道具を採用した学校の一つだ。校長の王健旺(ワン・ジエンワン)先生自身が長年芸術教育を推進して来た方であり、改造プロジェクトに大いに賛同したのだ。

純粋な芸術と民俗芸術の分野に関わってきた王先生は、黒、グレー、白という無色彩系統の方が他の色と調和できるが、それが美感の基準を代表するものではないと述べた。「私たちは子供に『慣れ親しんだ色』以外の組み合わせを提供することで、生活の中の事物に何かを感じ、自分なりの考えを持つよう啓発したいのです。これこそが美感掃除道具の改造プロジェクトの目的なのです」。

みずみずしさに溢れた南国フルーツの盛り付け、元気いっぱいの炒め物屋台、野外劇用の蛍のようにキラキラ輝く服装などを、常時フェイスブックにアップしては色彩観察について分かち合っている、台湾カラー・マーケティング協会理事長の蔡元(ツァイ・ユエン)氏は、市場や寺院或いは道端の屋台などの最も日常的な色彩が大好きで、一見雑然としているが、隠れた法則があるのだ、と語る。

彼は、台湾における色使いの特徴は、「人情味のある色彩」だと言う。人々の性格が色の表現に反映されるのである。一つは親しみやすさで、距離を感じさせない鮮やかでカラフルなものであり、もう一つは生命力に満ちたものである。道端の屋台にしても夜市にしても、どの色も「一番になりたい」という気持ちを表しているのだ。

「キャンパス掃除道具改造プロジェクト」を推進する美感細胞協会は、先ず色から着手し、学校により多くの選択肢を与えている(写真1)。嘉義市文化路夜市では、標識と目印用コーンをストレスを与えにくい配色に変えた。(写真2)(写真1提供・美感細胞協會)

正否ではなく、適しているかどうか

「私たちの環境の色彩は、言うなれば私たちという集団の個性の延長です」と蔡理事長が強調した。「色彩に正否はなく、適しているかどうかです」。

それならば、近年、地域の路地や公園、川堤、擁壁、ポンプ場、石油貯蔵タンクなど、雨後の筍のように、視覚に訴える彩色画が次々と現れているが、このような「色彩で新しい景観づくり」を進める方法は適切なのと言えるだろうか。二年前に完成し、数々の景観賞を得て認められた台北市の辛亥生態公園だが、最近「彩色壁画」に対して景観業界から反対署名が提出されたことで、都市景観に関心のある人々の間では議論が巻き起こっている。

辛亥公園は都市の森と遊び場を融合した所が特色であると共に、地下には大きな調整池がある。池の壁が地面に突き出しているので、設計チームは色が邪魔にならないように、色彩のないグレー・ホワイトで壁と周囲の芝生の斜面を融合させた。

プロジェクトの初期段階で、住民が工房や公聴会などの段取りに参加したが、完成した時、一部の民衆から「お墓みたい」との声が出たため、政府は最終的に方向を転換して、彩色画で解決することにした。鮮やかな青い空や緑の大地に動物を描いて、「生態を模倣」した。目立たず環境に溶け込むグレーの壁を隠すつもりだったが、今は逆に「拡大版の変電ボックスか電信ボックス」と揶揄されている。

意思決定の段取りの他に、台湾の景観環境にこの類の彩色画による美化方式が適しているか、ということも考えてみるべきである。

「美化はそれぞれの土地柄に適したようにする必要があり、外国に適した絵画技法が必ずしも台湾に適しているとは限りません」。台中教育大学文化創意産業設計及びオペレーションサイエンス学部の顔名宏(イエン・ミンホン)準教授が言った。顔先生は教育部「キャンパス美感環境改修プロジェクト」の主催者でもあり、この八年間、美感教育とキャンパスの環境に力を注いできた。

彼はヨーロッパを例に挙げ、現地の建物は整然とした秩序と無機質なものが多く、住民に単調で退屈な印象を与えやすいため、補完的にバランスをとるために、カラフルな彩色画が適しているという。台湾の状況はその逆で、街並みが比較的雑然としているので、多様な中で秩序を見出す方法が適しており、色彩を増やしてはいけないのだ。「ヨーロッパは『静の中で豊さ』を出す必要がありますが、台湾に必要なのは『喧騒の中で静けさを求める』方法なのです」。

もちろん、人間の本性は色彩を好み、環境がカラフルになることを望むのは間違いではなく、彩色画で環境を美化するのもいいだろう。だが「これらのいわゆる『美化』が適切に企画や設計されていない場合、逆に視覚汚染になってしまいます。そこに住んでいる人々は、知らないうちに段々とその高色彩、高明度、混色といった『色彩暴力』に慣れてしまい、自分たちも気がつかないのです」と中国文化大学景観学部の郭瓊瑩(グオ・ジョンイン)教授が率直に言った。

四年前、暗い雰囲気を一転させた基隆・正浜漁港の「カラフルハウス」は、典型的な彩色画による成功例と言える。二年間にわたる周到な色彩プロジェクトを経て、十数軒の家が「正浜彩色」に塗られた。埠頭の青、暖かい日光のオレンジ色などの「正浜色」で彩られ、多くの観光客がわざわざ訪れるようになり、その驚くべき成果に各地も追随するようになった。

このプロジェクトを取り仕切る郭教授はこう語った。色彩は単なるツールに過ぎず、どのように配色して色の調合や比率を決めるか、どのように環境との調和を取るか、すべて専門家の協力が必要であり、住民たちとの対話が不可欠だ。そして、それを支える科学的根拠と環境美学の後押しがなければならない。「適当に何軒かの家に、異なる色を塗ればいいのではありません」。

「活気に溢れた状態」も「賑やかさ」も、人類の活動がもたらしたものである。例え暗い路地が色彩で僅かに活気を取り戻すことができても、決して様々な色で賑やかさを生み出すことはできない。地域の活動と結び付けてこそ、持続的な活気と変化を生み出すことができるのだ。

台南市孔子廟の赤色の壁(写真1)と、屋根を色鮮やかに彩る交趾焼及び剪粘(写真2)。様々な陶器を裁断して貼り付けて形作る。このように伝統的な様々な色を表現する方法は、今でも台湾人の日常に溶け込んでいる。

新北大都会公園にある滝のターフスキー場には、堤防の斜面に人工芝が敷かれ、全面的に濃淡のある青色の水模様で「滝」が表現されている。

先ず素顔に戻り、それから丁寧にメイクアップする

「いっぱい塗りたくり、厚化粧しているのが『美』というわけではありません」と二十年間、「引き算の美学」を熱心に提唱してきた台湾設計研究院の張基義(チャン・ジーイー)院長が強調した。台湾は、古代中国が好んだ繁華で艶やかな装飾をする足し算の美学を受け継ぎ、簡潔で簡略な美を疎かにしたため、今、あらゆる方面でいき過ぎた飽和状態になり、「少ないことは美である」という文化を学ぶ時期に来ているという。

「先ず『減』、それから慎重に『加』に転じるべきです」と張院長は言った。先ず、垢や無用の物を取り除いて元の素顔に戻り、それから如何にして化粧やメイクをするかを考えてこそ、確実に問題を解決し、ニーズに応えることができるのだ。総合的な美感が不足している台湾では、「引き算」によって美感を感じさせる必要性こそ、通らなければならない道なのである。

「カラフル」と「簡素で内気」は色のスペクトルの両端であり、その間で必ずしもどちらかを選ぶ必要はない。伝統文化や市場メカニズム、社会の雰囲気、価値観の変化に沿って、歩調は調整することができる。時には或る一点で、動的なバランスを取ることもできる。

色彩に正否も絶対的な基準もない。しかし、私たちの周りで色をより意識的且つ注意深く観察すると、その時点での最善の答えがようやく見つかるのだ。

(経典雑誌二九一期より)

基隆の正浜漁港の暗い雰囲気を一掃した「カラフルハウス」は、決して無作為に描かれたのではない。専門家が2年間の計画を経て、住民たちと対話の場を持ちながら、環境に調和した配色を創出した。

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