台南市安平区は、以前から史跡と港、軽食で有名な所だ。中でも「安平古堡」は代表的な史跡であり、現地の人々が誇りにしている人文の香り高い文化財の一つである。二〇二二年、六月のある暑い日に、安平古堡から徒歩でわずか五分の距離にある古い民家を訪ねた。観光のためではなく、ベテランリサイクルボランティアの陳富足(チェン・フーズー)お婆さんを訪ねるためだった。七十六歳の彼女は、清掃員であると同時にリサイクルボランティアで、小柄だが動作はテキパキしていて、少しも老いを感じさせない。
リサイクル活動するようになった縁を尋ねると、感慨深いものがあったようで、以前の家庭事情と家族との仲違いについて話し出した。彼女は長い間我慢してきた結果、四十九歳の時に心臓の病気を患い、ICUに一カ月間入院し、あやうく心臓移植手術が必要になるところだった。その時の医師は彼女に向かって特別に注意した。「全てを胸の中にしまい込むのではなく、話したいことは適時に人に話すようにしてください。さもなければ、それが溜まって病気になりますよ」。念を押して言った。退院して間もない頃、ちょうど證厳法師が行脚で台南静思堂に来られていたので、姪に誘われて一緒に法師の開示を聞いた。その年から資源の回収を始め、今年で既に二十七年になる。今、お婆さんは薬で治療する必要がなくなり、心のわだかまりが時と共に解けた。心もリサイクル活動によって広くなったのだった。
一石二鳥のよいこと
お婆さんは定年退職の歳をとっくに過ぎているが、今でも週に二日、近所のアパートの清掃をしているが、既に五年が過ぎた。子供は母親が疲れるのを見るに忍び難く、辞めるよう説得するが、彼女は、生きて動ける間は可能な限り何かした方がよく、何もしないでいるよりいい、と言った。月に三千元にも満たない工賃でも、苦労を厭わない。
お婆さんは、経済的に困難でお金を稼がなければならないわけではなく、アパートの住民が出す回収物を見て見ぬふりをすることができないのだ。住民は、長年お婆さんが資源回収をしていることを知っているので、暗黙の了解の下に、自宅にある回収物を自発的に決まった場所に持っていく。彼女は清掃が終わると、回収物をバイクの足踏み台に置くか後部座席にひもで縛ってから家に持ち帰り、土曜まで暫時保管した後、回収トラックに引き取ってもらっている。彼女にとって、清掃の傍ら資源の回収ができるのは、住民への奉仕になると同時に、大地に貢献できる、正に一石二鳥のよいことなのだ!
お婆さんのリサイクル天地
富足お婆さんの家の裏には五坪ほどの空き地があり、資源回収物を保管する場所をそこに増築した。初めは空き地だったが、回収物が増え、長い間太陽や雨にさらされていたため、彼女は十数万元を負担し、人を雇ってトタン屋根を付けて改善した。今では、その場所が彼女のリサイクル天地であり、毎日回収物と向き合っている彼女の姿がそこにある。
お婆さんの一週間の回収物の量は少なくなったことはなく、それらを積むには平均して三トン半のトラックが必要だ。それらの回収物はアパートの清掃によるものの他に、隣近所からのもある。隣人が持って来てくれるか、或いは彼女が随時歩き回って回収したものだ。
お婆さんの家の裏は、歴史のある湯匙山公共墓地に隣接している。彼女は暇があると墓地の雑草を刈り、環境を整えている。彼女の単純な善念と忍耐強さによる献身ぶりは、時間の経過と共に多くの人の目にとまり、影響を与えている。それで皆が喜んで回収物を持って来るようになり、皆が知らず知らずのうちに、慈済と「リサイクルの縁」を結ぶようになったのだ。
病が福に転じるのを見届ける
鯤鯓リサイクルステーションの蔡金木(ツァイ・ジンムー)師兄(スーシオン)は、毎週土曜日の午前中に、決まってお婆さんの家へ回収物を取りに行く。その日、台南では突然雨が降ったが、長年の暗黙の了解には何の影響もなかった。回収トラックが到着する前、遠くから玄関先で編み笠を被ったお婆さんが待っているのが見えた。到着時間を正確に予測していたようで、車が止まると直ぐ整理された回収物を車に積み込むことができた。
お婆さんの前向きで勤勉な性格を、金木さんは称賛している。中でもコロナ禍の間、一部の拠点は回収を中止したが、彼女は一日も止めるのが惜しく、同じように毎週回収トラック一台分の回収物を保管していた。彼女に、疲れませんかと聞くと、彼女は、「環境保全に携わることができるのが本当に嬉しいのです。長年やって来て、体は益々健康になり、知らず知らずのうちに,心臓までも正常になりました!」と答えた。
二〇二二年六月三十日、そこを離れる前、私は思いついて、お婆さんと回収物の置き場を写真に撮って記念に残した。彼女がマスクを外し、はにかんだ笑顔を見せた時、シャッターを押した。その瞬間、病が福に転じたこととリサイクルを実行に移すことで、心を開いたリサイクルボランティアの姿を、しかと見届けた。
(慈済月刊六七七期より)