編集者の言葉
慈済人は、今年も仏陀の生誕日、母の日、世界慈済デーを祝って各地で次々と灌仏会を催した。五月十一日午前七時に、花蓮静思堂の道侶広場で式典が催され、国内外の一万人以上がオンラインで同時に参加した。台湾と六時間の時差があるジンバブエでは、現地のボランティアは午前一時に摂氏九度という気温の中で式典を催した。インドでは、当地で最大の涅槃仏を有する国際仏教僧侶養成学校において、初めて現地ボランティアが式典の準備を担当した。
仏陀の生誕日前夜、台湾の慈済人は集会所やリサイクルステーション、さらには街角でも集まり、「移動式灌仏会」を行った。民衆は儀式を通して仏陀に話しかけたり、病気の家族のために祈ったり、中学受験を控えた子供のために祈りを捧げたりした。最後は歌声と共に、人心の浄化と社会の平和、災害のない世界を願って祝福した。
灌仏会の規模の大小に関わらず、人々の最も素朴で誠実な願いは、平穏と健康である。しかし、平穏は当たり前のことではない。今期の月刊誌『慈済』では、ミャンマー・マンダレー地震後、慈済人が被災地で継続して支援活動をしている様子をレポートしている。ミャンマーの人々は、長年内戦と貧困に苦しめられてきた。三月二十八日、僅か数秒の大地震で被害が発生し、被災地は倒壊した街の再建が待たれるまま、将来を見通せない状況にある。ボランティアは、被災者が雨季の夜に安眠できるようにと、各地から空輸して、一千床以上の福慧ベッドを含む生活用品を、僧侶や民衆に寄贈した。マレーシアの慈済ボランティアも国境を越えて支援に向かい、五月十四日に最初のプレハブ教室を完成させ、六月の新学期開始までに一定の数に達するよう尽力し続けた。
今月号の「慈済のSDGs」シリーズでは、再び「安全な住まいへの改善」と「エコ福祉用具プラットフォーム 」という二つの慈善プロジェクトを取り上げて探究し、台湾の超高齢社会において発揮される効率と、国連の持続可能な開発目標のそれぞれとの繋がりについても考察している。手すりの取付工事や、車椅子や電動ベッドなどの福祉用具の配送・回収といった小さな取り組みを軽く見てはならない。それは、医療費の負担と社会における介護コストの増大を軽減でき、予防医学の考え方に近いものである。
国際情勢が不安定な今、私たちは善の循環をより必要としている。愛は多いか少ないかではない。ミャンマー地震の後のように、かつての慈善救済活動で慈済と縁を結んだ多くの人が、ボランティアの呼びかけで災害支援の寄付をした。一枚のコインであっても、手を合わせて祈ることであっても、それは他人の身になって思いやり、他人の苦しみを自分の苦しみとする善行なのである。
最後に、ミャンマーのボランティア、郭宝鈺(グォ・バオユー)師姉が配付活動で行ったスピーチの一部を読者と分かち合いたい。「親愛なるおじさん、おばさんたち。皆さんが受け取った米や食用油は、どこかのお金持ちが寄付したものではありません。慈済の会員がヤンゴンで洗濯の仕事をして得た収入から、毎月五百チャットを人助けのために貯めて寄付してくれたから購入できたものなのです。マレーシアでは様々な業種の人がこの善行に参加しています。ビルマ語の発音で 『慈』は慈悲深い愛を意味し、『済』は衆生を救うことを意味していますが、これらの物資は、数え切れないほどの善の心と慈悲が集まって形になった布施なのです」。
(慈済月刊七〇三期より)


