【視力を救う】白内障手術の後 最も美しい作品を描いた

  • 経過:慈済フィリピン支部の施療活動は一九九五年に始まり﹑これまで延べ三十万人が恩恵を受けた。眼科センタ―の外来には、二〇二三年延べ二万人を超える人が訪れ﹑延べ一万四千人に医薬品が配付され﹑手術の件数は三千例近くに上った。延べ千二十三人の慈済人医会の医師と﹑延べ千五百人余りのボランティアが無償で奉仕をした。

白内障手術の後、コンラドさんは客から依頼された絵画の制作に追われていた。

フィリピン慈済眼科センターは、一月二十三日に珍しいプレゼントを受け取った。それは、七十九歳のコンラド・ペニャモラさんからのもので、二カ月間掛けて描いた二枚の油絵は、彼が視力を取り戻してから初めて創作した作品だった。

「私を助けて下さった全ての皆様に感謝します。特に慈済のお陰で、二〇二三年七月に白内障手術を受けることができました。手術後、多くの人から肖像画の作成を依賴されましたが、私は先ず證厳法師と眼科医の李悦民(リー・ユェミン)先生の肖像画を描くことに決めました。これは、私が描いた中で、最も美しい絵です」。

この三年間、彼は白内障に苦しめられて来た。視力が回復してから自分が当時描いた家族の絵を見ると、極端に色が偏っていることが分かった。今彼はやっと仕事に戻り、以前にはなかった活力を感じている。

フィリピンでは貧富の差が大きく、貧しい人は病気になると医療費を負担するのも難しい。慈済は、一九九四年にフィリピン支部を立ちあげ、翌年から施療活動を始めた。二〇〇七年には、マニラの志業パークに施療センターをオープンした。膨大な数の患者が訪れる眼科外来は、二〇一六年にソフトウェアとハードウェアを買い足し、正式に眼科センターをオープンした。慈済人医会の医療スタッフがそこでボランティアとしてシフト制で診察にあたり、更に各地に赴いて眼科の施療を行っている。

眼科センターは、週に平均延べ七百人を診察している。患者が手遅れで失明することによって生計に深刻な影響が出ないよう、患者に無償の検査や手術を行っている。今年二月には、ラモン・マグサイサイ賞基金会(RMAF)の変革統率学院と協力して大規模な施療活動を行った。基金会のスーザン・アヴァン総裁は、「慈済には優秀なボランティアがいて、手術や術後の経過観察のためのマニュアルまで作ってくれただけでなく、指導と経験の分かち合いもしてくれました」と言った。

アジアのノーベル賞とも呼ばれるマグサイサイ賞を、證厳法師は一九九一年に受賞した。今回の二日間の施療では、十二人のフィリピン慈済人医会の医師が、二〇二二年マグサイサイ賞を受賞した服部匤志医師と共に白内障の手術を行い、二百人余りの貧しい患者の目に光明を取り戻した。

午前三時、まだ空が暗いうちの慈済眼科センターには、すでに家族に付き添われた患者が待っていた。その日は彼らにとって大切な日であった。

五十六歳のエステラさんは、夫婦が前後して白内障に罹り、失業してしまった。彼女は既に全く見えなくなっていて、孫のマシュウさんの手にすがって、階段の上り下りをしていた。一家は既に生活が困難になっていたので、白内障の手術費を負担する余裕はなかった。

昨年、エステラさんが慈済眼科センターヘ検査に訪れた時、彼女の病気は病院で検査する必要があったことが分かったが、彼女は再診に訪れなかった。今年二月ボランティアは、眼科センターで検査した後、急いで手術する必要がある患者と一人ずつと連絡を取り、手術は無料であること、内科医による手術前の判断の説明もあることを伝えた。エステラさん親娘はそれを聞いて、嬉しさのあまり飛び上がった。

白内障の障害が取り除かれた後、エステラさんは、かなり歳をとってしまった夫の顔を、もう少しで見分けられないところだった。彼女は孫のマシュウさんに向かって涙を流さずにはいられなかった。「お前の顔が見えるよ」。手術室の外で患者と家族が泣いたり笑ったりして、改めて家族が団欒の機会を得た。

(慈済月刊六八九期より)

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