街で歩む真実の道

鉄板焼の店主は、竹筒募金箱に六十一元しか入っていないのを見て、五百元札を取り出して寄付した。

お粥の店の女将さんは、「どうぞ座ってお粥を食べて行って下さい。ご馳走しますから」と声をかけてくれた。

路地を歩いて募金に協力してくれている慈済の「愛ある商店」を訪ねる、というこの修行をしていると、歩きながら社会の温かさも冷淡さも感じ取ることができ、感謝の気持ちで一杯になった。

店の出入り口の横に愛の竹筒募金箱を置いて客に小銭を入れてもらう。愛が伴えば、小銭も愛になる。50銭でも人助けができる。

月末の数日間はいつも、「愛ある商店」に出向いて寄付金を集金するのだが、あの日の夜は、立て続けに十軒回った。徒歩で二時間近く歩いて、汗だくになりながら、重い小銭をリュックに入れて背負っていると、見知らぬ人たちからの愛を感じることができ、私の心はとても感動していた。リュックはとても重たかったが、足取りは軽かった。

旧暦十五日の空に輝くお月様と星々が、車が行き交う街を歩く私に寄り添ってくれた。その柔らかい光は、穏やかさと平和を感じさせ、美しさと哀愁に満ちたこの世を静かに見守ってくれていた。街の至る所を歩いていた私は、正に修行の道を歩んでいたのだ。證厳法師の写真が埋め込まれた数珠を手にして出かける時は、心の中で話しかける。「上人様、散歩に行きますよ。私たち弟子が店主とどう交流しているのかもお見せします。どうか安心してください」。

お粥とおつまみを販売する店の女将さんが、「師姐(女性ボランティアの呼称)!お粥を食べてって!……」と私に呼びかけた。私は「最近、あまり食欲がないのです。テレビのニュースで、戦争の避難民が一日にビスケット二枚しか食べられないのを見て、涙が溢れました。その時からあまり食欲がないのです。ご好意には感謝しています」と答えた。

「お宅で売っている碗粿(ワーグイ)には、ベジタリアンの物がありますか」。私が台南碗粿(ワーグイ)を売っている店の人に尋ねると、「本店から出来たものを届けて来るので難しいですね。私は一日も肉なしには過ごせません」という返事だった。私は「魚も肉も食べるなら、もっと野菜を食べた方が健康にいいですよ」と言った。その店の人とは数カ月間にわたって交流していたため、既に気さくに話をすることができた。続けて私はこう言った。「漢字は奥深いですよ。肉という字はどう書くのかご存知ですか? 肉には人という字が二つ入っていて、肉を食べることは命を食べることなんですよ……」と言った。彼は笑い出した。帰り際に、もっと野菜や果物を食べるよう薦めた。

鉄板焼の店主は、私が寄付金を数えているのを見て、「今日はいくらですか?」と聞いた。六十一元だった。「少ないね」。店主はポケットから五百元札を取り出した。本当に感動した!私が「莒光路にあるお店にも、愛の竹筒募金箱を置かせていただけませんか?」と聞くと、店主は快諾してくれた。ありがたい!店主の真心と行動力に心から感動した。なんと善人の多いことか。

私がいつも店主にありがとうと言うので、今では、多くの店の人が私に会うと、自然にありがとうと言うようになった。あちこちで「ありがとう」という声が聞こえるとは、何と和気藹々とした社会なのだろう。

「明日の次はまた明日、何と明日の多いことか。人生は明日ばかりを待っていれば、時を無駄に過ごすことになる」という詩がある。待っているよりも、直ちに行動に移せばよいのだ。だから、用事で出かける時、いつも竹筒募金箱を持ち歩き、沿道で縁を結ぶ店を探すようにしている。確かにそういう店を募るのは容易ではなく、話を切り出せばそれで結ばれるというものでもないが、一歩踏み出せば、チャンスは訪れるのだ。

その過程で、失敗して挫折したこともあったが、気を静めて原因を考えてみると、私自身の初心が消えていたからだった。一刻も早く竹筒募金箱を押しつけたいという気持ちだけしかなく、店と人とが愛の竹筒募金箱を通して慈済と良縁を結べるようにしたい、という初心を忘れてしまっていた。「毎日が人としての始まりであり、一瞬一瞬が自分への戒めでもある」と「静思語・良い言葉を話す」にあるように、敬虔な気持ちに戻って再出発するのはとても大事なことである。

慈済は「実践」を通して発展して来たのであり、実際に行動して初めて様々な状況を体得することができるのである。慈済の菩薩道は修行の道であり、経典の教えを実践する道であり、 真理への道でもある。前世で自分が努力し、今世でも精進していることに感謝し、来世で仏教に学ぶ因縁に巡り会い、いつの人生でも悟りの道を歩むことを願っている。

(慈済月刊六九〇期より)

㊟お米をすりつぶして蒸し上げた茶碗蒸しのような台湾のB級グルメ。

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