編集者の言葉
今年、最初に台湾へ上陸した台風三号(ケーミー)は、七月下旬、上陸して四時間で直ぐ海に出たが、台湾全土の一万五千カ所で被害が発生した。この数字は、十年間で最も多い。そのうちの半数は、街路樹の倒壊や違法建築のトタンの落下などだった。また、その二日間に二十回もの「災害発生警告」」のセルブロードキャストが配信されたが、その回数は気象署が一つの台風に対して発した頻度としても最も多い。
九月末の秋分の頃、慈済の緊急支援は終了していたが、高雄と屏東のボランティアは依然として被災世帯の復旧に気を配っていた。台風十八号(クラトーン)は十月三日、台湾南部に甚大な被害をもたらし、再び多くの記録的な数字を残した。月刊誌『慈済』の執筆者とカメラマンは、高雄と屏東を訪れ、それぞれの様子を取材した。災害から六日目、彼らは二百人余りのボランティアと共に海の向こうの琉球郷(小琉球)へ渡り、バイクで八つの村の合計千六百世帯余りを訪問した。彼らは、住民たちに「心を落ち着かせる」祝福パックを届け、そのうちの二十四世帯が持続したケアを必要としていることにも気づいた。
高雄に上陸した台風十八号は、一九七七年の台風四号(テルマ)と似た経路を辿った。四十七年前の七月二十五日、台風四号が高雄南部に上陸した時は、高雄や屏東地域で四千棟以上の家屋が全壊し、二万七千戸が被害を受けた。證厳法師は弟子たちを率いて視察すると共に支援活動を行い、それが縁となって、後に慈済屏東支部が設立された。
災害をもたらしたどの台風も、台湾の気象史に刻まれているが、動員されたボランティアの支援や慈悲の足跡は、各地域における慈済慈善史の一部でもある。十月中旬、台湾では台風十八号被害の支援活動は一段落していたが、ミャンマーとベトナム、タイなどでは、慈済ボランティアたちが、九月の台風十一号(ヤギ)による被災の視察と支援物資配付活動の準備に追われていた。中でもミャンマーの東部と中部における被害が最も深刻で、被災者の家屋はもはや修復や補強ができる可能性を残していなかった。住民たちが水の中に佇んでいること、それが即ちかつて温かい家があったことを物語っているだけだった。
世間には苦しんでいる人が数多くいる。今月号の「慈済のSDGsシリーズ」では、SDGsの目標3「健康と福祉」との繋がりについて述べている。慈済医療について振り返り、どのようにして地域社会に行き渡り、慈済人医会が台湾から世界へ歩みを進めたのかを紹介している。彼らは、出来得る限り力を尽くしてへき地の無医村に出向き、人工透析が必要な貧しい患者や世界中の難民、 植物状態にある人、外国人労働者、脊髄損傷患者、聴覚障害者などに手を差し伸べている。
いわゆる「福祉」とは、病に対する医療を指すだけではなく、心身共に健康で幸福な状態も含まれている。記者は台湾の衛生福利部国民健康署の前署長である王英偉(ワン・インウェイ)医師に単独インタビューをした。「社会的処方」と「慈悲と思いやりのあるコミュニティ」という概念に話が及ぶと、それらは長年にわたって慈済が行っている「医療と地域の慈善活動を合わせた奉仕モデル」によく似ており、全人的な心身の健康に効果をもたらしている、と語った。
台風災害への支援と健康福祉の平等に関する報道を編集していた時、私は法師が言ったことを思い出した。「慈済人がその目で見て、足を運び、支援の手を差し伸べることができる限り、苦しんでいる人々は祝福されるでしょう」。確かに、どこへ行っても人々の困難を解決し、幸せをもたらしているのだから、その足跡は「幸福の軌跡」なのである。
(慈済月刊六九六期より)