福を知って、惜しんで、更に福を作る

平安であることに感謝すれば,心は満たされます。
満足できない人は、永遠に自分が幸福であることを知りません。

この人生を精一杯捧げる

九月九日、基金会主任たちの報告の時間に、洪静原(ホン・ジンユェン)師姐は慈済の献体への取り組みについて言及しました。多くの慈済ボランティアが健康なうちに献体登録を済ませ、重病を患った時には特に花蓮慈済病院に戻って緩和ケアを受け、最後の瞬間を迎えたならば、動かなくなった身体を慈済大学に寄付することで願いを果たしていると述べました。

上人曰く、慈済ボランティアは慈済と縁を結んで以来、「役に立つことに価値がある」という人生観を築き、生死を平然と受け入れることができるようになったので、「心に執着がなく、執着がないからこそ」、だからこそ不断に奉仕し、求めず、執着せず、心身を捧げているのです。

「かけがえのない生命に値段をつけることはできません。我々は方向をしっかり選び、この人生を衆生のために捧げることができれば、この人生は価値ある人生となるのです」。

「慈済の人々の愛は口先だけではなく、それを実践していますから、家庭の模範、地域の模範となり、その瞬間に教師となることができるのです。最後まで待って無言の良師になるのではありません」。上人は慈済大学で「無言の良師」と呼ばれる献体について、世の中で成功を収める人や、子や孫を育てて家庭を成している人の中には、特に慈済ボランティアが多いと語りました。慈済に入って誠心誠意で心身を捧げ、多くの苦しむ人々のために尽くすその姿は、まさに人の模範です。人生の最後に身体までも寄付し、医学のために奉仕しているのです。そうすることで自分の人生を、本当に精一杯、捧げることができたと言えるのです。

日々自分が幸福であると感じる

九月十日、シンガポール支部の劉瑞士(リュウ・ルイシ)執行長と幹部たちが精舎に帰り、人工透析センターの運営やスリランカでの施療、会務への配慮、十周年を迎えた慈済大愛幼児教育センターの成果について共有しました。それに対して上人は、こう開示しました。

「シンガポールは福地であり、社会福祉や一般市民の生活は標準以上ですが、清潔で明るい環境に住んでいる人々の心が純朴であることは、非常に幸運なことです。私はいつも自分が幸運であることに感謝しています。なぜなら、毎日出会える方々が善知識であり、友人や法縁者が互いに励まし合っているからです。私を生んで育ててくれた両親に感謝し、この身を以て人間のために福を施し、大衆に利益をもたらしたいのです」。

仏法を学ぶことは、福を求めることではありません。福は、求める必要がないのです。常日頃から真摯に福を施すことで、自然に福が得られるのです。

「もし奉仕を望まず、福を施さなければ、どんなに求めても何も得られません。農夫が田畑を耕さず、種を蒔かず、苗を植えなければ、当然収穫はないのと同じです。季節ごとの作業に心を込め、種を蒔き、耕作し、収穫を得たら更に種を残し、再び種を蒔き、苗を植えてこそ、十分な食糧が得られ、人々に供給できるのです」。

菩提心を発すること、この一念は一つの種子であり、心を込めて耕し、育てることで「一つ」が無量へと増えるのです。上人は、大きな木も小さな種子から芽を出して成長するのであり、地、水、火、風との良い縁が結ばれてこそ、時間と共に成長し繁茂することができると述べました。福縁を持ち、平安な社会に住むことができても、世界にはたくさんの人々が、生まれた時から厳しい環境に置かれて心が極端な状態になり、絶えず戦渦に巻き込まれ、朝が来るかどうかも分からない中で不安に苛まれています。その苦しみと痛みは耐え難いものです。

上人は、多くの国や地域が動乱に満ちていることを嘆き、人と人との間で争いが起こり、衆生の業力がますます重くなり、同じ空間の中で衝突が引き起こされ、感情が引き裂かれ、一般市民は本当に苦しんでいると語りました。

「平和で安定して繁栄する幸せな社会に住んでいる私たちは、毎日感謝することが大切です。私は毎日感謝を唱え、すべての人を尊重します。誰もが仏性を持っているのですから、心を込めて修行して自分の本性に戻ればそれでよく、外に求める必要はなくなるのです」。

「皆さんは、こうして精舎に幸福と感謝を持ち帰ってくれました。これからも自分に満足し、福を知り、福を惜しむことを期待しています。福を知らない人は、永遠に自分が幸福であることを知らず、外に求め続け、心の中は煩悩でいっぱいになり、欲望がますます強くなり、苦しみが増すのです。実のところ、平安であれば心が満たされて満足するというものです。善を行う志を持つことが大切で、善を行える人こそが福のある人であり、豊かで余裕がある人なのです。もし福を知らなければ、永遠に満足できず、人を助けたいと思わなくなります」。

どんなに裕福な国でも、苦しむ人々は存在します。上人はシンガポールのチームを称賛しました。慈善と施療を結びつけ、外に出られない家庭に入って初診を行い、医療を手配し、その後も長期的にフォローアップを行ってボランティアが定期的に訪問したり、家庭環境の清掃を手伝ったりして、安心して病気を治せるようにしていると、その活動を紹介しました。

「人を助けたいという気持ちがあっても、自分の力は限られています。慈済には多くの志を同じくする法縁者がいますから、互いに福を託し、福縁を共にし、協力して多くの困難な人々を助けることができるのです。私たちはお互いを大切にし、感謝し、祝福し合うべきなのです」。上人はシンガポールのボランティアに、この慈済の思いを広め、地域で慈済のボランティアに参加する人々が増えて各地へ伝わり、人々が凡夫から菩薩となってこの世が浄土へと変わることを願っています。

(慈済月刊六九六期より)

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