慈済が国連の舞台に立った—善行を見てもらい、複製してもらう

気候行動は、慈済が国際プラットフォームで提唱している重要項目の一つである。COP28のサイドイベントで、当時の慈済大林病院の林名男副院長(右1)が、慈済病院は菜食による炭素削減を実行していることを分かち合った。(撮影・ヘクター)

慈済が国際NGOとして国連に参加してから、既に二十年以上が経過した。人道支援での連携にとどまらず、国連の場を活用した議題の提唱にも取り組んでいる。

気候変動対策行動、難民支援、循環型経済、若者のエンパワーメントなど、慈悲に基づく行動を定量化、可視化、複製できるものにすることで、影響力を高める。

【慈済の活動XSDGs】シリーズ

大地震の後、ハイチの首都ポルトープランスでは、道路沿いに並ぶのは倒壊寸前の建物と瓦礫ばかりとなり、交通は完全に麻痺していた。慈済ボランティアと支援物資を載せた車の列が渋滞に巻き込まれると、護衛を担当する国連平和維持部隊の兵士が即座に車を降り、車列の両側と後方に立って警戒に当たり、白い装甲車が先導して混乱した中に防護空間を形成した。目的地の国立サッカー場に到着すると、場内と各出入口にも平和維持部隊が配置され、支援物資の配付が安全かつ円滑に行われるように管理していた。

これは、二〇一〇年一月、カリブ海の島国ハイチが大災害に見舞われた後、慈済が支援を行った時の状況である。武装による厳重な警備は、ハイチが長年にわたり政治的に混乱し、震災によって社会システムが完全に崩壊した現実を物語っていた。

二〇〇四年、ハイチで政変が起き、大統領が亡命して、国は無政府状態に陥った。国連安全保障理事会は、加盟国の軍隊と警察部隊を派遣し、平和維持部隊を編成して治安回復に当たった。しかしその六年後、疲弊しきったハイチは、再びマグニチュード七・〇の大地震に襲われた。二十万人を超える犠牲者を出してなお、被災者の生命が危機にさらされていた。その時、すでに国連に認定されていた国際NGOの慈済基金会は、アメリカ、カナダ、中南米のボランティアを迅速に動員して、支援活動に投入した。

「ポルトープランスの空港は地震の被害を受け、民間航空機は離着陸ができず、国連の専用機が一日三便のみ発着していたため、私たちはその専用機の使用を申請しました」と慈済基金会国際部長の曽慈慧(ヅン・ツ―フウェイ)さんが当時を振り返った。最初の支援チームは国連専用機で入国したのだが、隣国ドミニカ共和国から、もし陸路で国境を越えてポルトープランスの被災地へ行くとしたら、山道を八〜九時間かけて移動しなければならなかったという。

被災者は深刻な食糧不足に直面していたが、政府は機能が停止し、武装集団が横行していた。そのため、人道支援の現場では暴力的な争奪が発生する危険性を常に伴っていた。慈済の現地駐留ボランティアが、配付前に必ず確認しなければならないのは、どの国の軍と警察部隊ならば、武力と公権力によって現場の秩序を維持してくれるかということだった。平和維持部隊の指揮権を握るブラジル軍や、中東から派遣されたヨルダン王国陸軍は、慈済の支援活動を護衛した実績を持つ。

「メスィー(ハイチ語のありがとう)」。配付会場となった国立サッカー場では、慈済ボランティアが九十度のお辞儀をして、丁寧に梱包された支援物資を、敬意を示しながら手渡すと、住民は礼儀正しく感謝して受け取っていた。会場は人でごった返していたが、秩序を保っており、治安を担当していた兵士たちにとって、これは予想外の光景であった。

「慈済は、私たちにハイチ人の別の顔を見せてくれました」とブラジル部隊を率いていたサンジネト指揮官が言った。兵士たちが熱心に訓練を重ねたのは、群衆が暴徒化した場合に武力で制圧するためだったが、慈済ボランティアと被災住民の交流を目の当たりにすると、「我々は暴動鎮圧のためではなく、支援のために来たのだ」ということを実感したという。

大規模災害支援に加え、難民支援においても、慈済と国連関連機関は、SDG17「パートナーシップで目標を達成しよう」の主要なプロジェクトを実行している。二〇二五年九月、慈済タイ支部は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と書簡を交わし、長年にわたる協力関係を制度化して強化した。

「慈済の支援がなければ、多くの人は基本的で緊急の医療ケアを受けることはできなかったでしょう」と駐タイUNHCR代表のタミー・シャープ氏が言った。難民は合法的な身分を持っておらず、常に逮捕や拘束、さらには強制送還の危険にさらされていて、就労、就学、医療へのアクセスは極めて困難である。そのような状況下で、慈済が提供する慈善救済、施療、語学やコンピュータの養成講座は、彼らにとって極めて大きな支えとなっている。「慈済と手を携えることは価値と意義に満ちている上に、生命を守る善行でもあるのです」。

マレーシア慈済人も国連と長期的に協力し、国内の難民に医療支援や生活・教育支援を行っている。曽さんは、「慈済はUNHCRのプロジェクト基金を申請し、ボランティアは私心を持たず、無償で難民を守っており、四半期ごとに報告書を提出して、UNHCRに活動内容を説明しています」と説明した。このようなモデルが、民間の慈悲のエネルギーを国際的な政策枠組みに緊密に繋げているのである。

慈済と国連UNHCRは、長期的に各国で人道支援を展開してきた。タイでは、UNHCR代表のタミー・シャープ女史(右)と慈済タイ支部の林純鈴執行長が書簡を交換し、難民への医療、慈善と教育支援の提供に協力していくことを確認した。(撮影・蘇品緹)

マレーシア・ジョホールバルの慈済人医会は、UNHCRと協力して、ロヒンギャの子供にワクチンを接種していた。(撮影・陳俊輝)

慈済に関する論述の国際的認証

長い間、国際人道支援に投入してきた慈済にとって、国連が提供してくれた資源は、思いがけないものだった。当初、国連の関連機関へ参加を申請したのは、利便さを求めたわけではなく、慈済の行動を主流の国際プラットフォームで認知してもらうと同時に、さまざまな国のNGOパートナーや政府機関と切磋琢磨して交流するためだった。

「上人は、私たちが国連で何かを達成することを要求しているわけではありませんが、善を呼びかけ、善の力を広げてほしいと言っています」。曽さんによれば、慈済が国連の関連機関に参加することにした理由の一つは、会務の必要性からであり、もう一つは因縁が成就したからだ。二○○三年、国連広報局(DPI)のコンサルタントを務めた朱亨湧(ヅウ・ヘンヨン)さんは、慈済と接触してから、慈済のボランティアたちが世界中で成している事柄は、国連で発表され、世界中に見てもらうべきだとつくづく感じた。そこで、国連広報局と連携する国際NGOに申請してはどうかとアドバイスした。

国連本部は、アメリカ東部の大都市ニューヨークにある。アメリカの慈済人は慈済を代表して、国連に参加する第一歩を踏み出した。アメリカに長年住んでいる曽さんの記憶によると、最初の頃は、国連女性の地位委員会において、慈済がアメリカで進めていた施療や、慈善貧困救済などの志業の内容を分かち合っていた。当時は全員が門外漢だったので、国連の組織についても、提唱のポイントも、規律や作法も、全くわかっていなかった。ただ慈善、医療、教育、人文の四大志業の内容をプレゼンテーションするのだという思いがあるだけだった。しかし、二十数年間、行動しながら隊列を整えて学び、腕を磨いた結果、慈済人は、證厳法師の理念や世界中の法縁者の努力の結果を、国連が重視する人道、環境保全、サステナブルのテーマに的確に繋げ、一歩ずつ「慈済に関する論述の国際的認証」の理念を達成するようになった。

「私たちは、現在会議に参加しているだけではなく、もっと大事なのはテーマを提唱していることです」。曽さんは、現在慈済は国連プラットフォームで、四つの大きな議題を提唱して力説している、と言った。一つは、災害軽減と気候変動対策、次は、教育と若者のエンパワーメント、三つ目は、難民と立場の弱い人々のケア、最後は、持続可能な開発と循環経済である。

「災害軽減と気候変動対策について、最も多く分かち合ったのは、モザンビークがサイクロン•イダイで被災した際の支援についてで、その成果は目を見張るものがありました。最近発表したのは、台湾花蓮光復郷のせき止め湖溢流による被害とシャベルヒーローの出現、西アフリカ•シエラレオネ共和国とインドネシアのカリ•アンケ河流域における長期的な支援のケースについてです」。

曽さんは、慈済の主な提唱は全て、関連性のある国連所属機構と繋がっており、例えば、国際NGOのメンバーとして、國連環境計画(UNEP)、国連防災機関(UNDRR)へ参加し、災害軽減と気候変動対策への対処を呼びかけている。さらに、国連気候変動枠組条約(UNFCCC)が開催する気候サミット(COP)に呼応してきたことであり、欠席することは許されないことを補足した。

モザンビークの現地ボランティアは、大愛農場を運営し、収穫した作物で貧しい人を救済している。地元の女性たちは、被災者からボランティアになり、貧困と食糧供給の不安定問題を改善した。その経験は、慈済が国連の関連機関で分かち合った重点でもある。(写真提供・慈済モザンビーク連絡拠点)

気候サミットで菜食が声をあげた

慈済は、二〇一三年から毎年国連気候サミットに代表を派遣し、「肉食の代わりに菜食することで、温室效果ガスの排出を減らそう」と提唱している。そして、リサイクル資源で作られたエコ毛布や福慧べッドなどの緊急援助用物資も展示した。気候サミットはヨーロッパで開催されることが多いため、ドイツに在留している慈済ボランティアの林美鳳(リン・メイフォン)さんとドイツ人の夫、ヤン・ウルフさんがいつも慈済を代表して参加している。二〇二五年第三十回気候サミット(COP30)は、南アメリカ・ブラジルの「熱帯雨林の玄関口」と称されるべレンで開かれたが、二人ともヨーロッパから大西洋を越えて出席した。

林さんは、「国連の他の会議に参加する団体数と人数は、気候サミットに及びません。気候変動は、全世界のあらゆる場所と全ての人に影響するからです」と言った。二週間の開催期間中、彼らは毎日早朝から会場に行き、各会議とフォーラムに足を運んで宣伝したり、意見交換したりしたので、夜は八時、九時になってやっと民宿に戻って寝ることもよくあった。毎日同じ時間にバスに乗っている二人を見た地元の人が、「もうすぐ着きますから、降りる準備をしてください」と親切に声をかけてくれた。

毎日、忙しく奔走していたのは、あらゆる発言のチャンスを逃さないためである。林さんは言う。「慈済が今回のサミットで提唱したテーマは、食糧の安全保障です」。それは、被災地への援助と支援が慈済の国際業務の重点であるからだ。気候変動によって災害の発生頻度が高くなり、その威力も極端に強くなっており、短時間に人命と財産に損害をもたらすだけでなく、食糧生産にも重大な影響を及ぼしている。特に世界の人口がすでに八十億人を突破していて、全ての人に充分な食糧を確保するためには、気候変動対策を真剣に考えなければならない。

「植物性飲食は、温室效果ガスの排出削減において、大きな潜在力があります。飲食を、高炭素排出や不健康なパターン、例えば大量の肉類と乳製品から植物性飲食に方向転換すれば、自らの健康に役立つだけでなく、地球の健康にも役立つのです」。

ドイツ人ボランティアのヤン・ウルフさんは、フォーラムで再度、慈済が長年呼びかけて推進してきた菜食の理念を伝達した。十数年前の呼応者が少なくて困難な時代に比べ、今や、菜食は民間団体や宗教団体が呼びかけるだけでなく、一部の国の政府も政策ツールとして導入し始め、食糧システムの変革が進んでいる。

例えば、豚肉輸出大国のデンマークは、二○二三年に世界で初めて、『国家植物性飲食行動プロジェクト』を始動し、一億九千万ドル相当の経費を投入して、菜食主体の飲食方式を推奨することで、国民の健康増進と炭素の排出削減及びその経済效果を目指している。会議に参加した、デンマーク駐ブラジル大使のエヴァ・ぺデルセン氏は、林さんとヤン・ウルフさんに、「政府は、変わる気がある会社と団体に資金援助します。製造業であっても、消費者の食習慣を変えることを推進するのであれば、すべて補助の対象になります。国内の全面的な変革の先駆けになることを期待しています」と言った。

COP30の主催国ブラジルも積極的に変革を推進している。ブラジルの学校給食は世界二番目の規模だが、政府はべジタリアン食を増やし、国の未来の主人公が、幼いから少肉多菜の食生活習慣を身に着けるよう育んでいる。サミットの主催側も、従来の食事の提供慣例を破り、会場にある二つのメインレストランのうち、一つはべジタリアン食だけを提供しているが、しかも見た目も味も素晴らしいので、参加者に、「べジタリアン料理って、こんなにも美味しいのですね」と感じてもらっていた。

林さんは嬉しそうに、「慈済と同じ考えを持った他の国際NGOパートナーが長年にわたって提唱し、推進してきたことで、次第に主催者側の変革を目にするようになりました。皆が力を合わせてこそ、広げることができるのです」と言った。

国連のプラットフォームを通じて、
慈済は何ができるのか?

国連のプラットフォームを通じて、慈済は何ができるのか?

●パートナーシップの強化
各国の政府機関及び国際組織との接触により、制度化され常態化した交流のかけ橋を築く。

●世界に見てもらう
地域の人道支援を深め、慈済の実践実績を世界に見てもらう。

●トレンドを正確に把握する
政策の枠組みと方向性を理解し、対外的には国際基準を取り入れ、内的には専門性を高めることで、「慈済に関する論述の国際的認証」を実現する。

宗教を超えて連携し導く

「百年の老舗」レベルの国際組織の赤十字と比べると、六十年の歴史を持つ慈済は後輩と言える。国際的な認知や、提唱と宣伝、交流と協力などの分野には、頑張る余地がまだ多々あるはずだ。長年にわたり国連の活動や大規模な国際会議に参加してきた曽さんによると、初期の慈済が提唱した幾つかの項目は、今では多くの国ですでに実践されており、しかも成果を上げていることが分かる。宗教を超えた交流と若者を受け入れることは、将来、真剣に運営すべき方向である。

「例えば、慈済が以前に強みとしていたのは、循環型経済と環境保全におけるリサイクル活動でしたが、今では、インドがペットボトルのリサイクル技術で大きな成果を上げています。慈済骨髄幹細胞センターは、もはや最大のアジア系骨髄バンクではありません。トップは、人口の多さに加えて、先進技術も備えた中国なのです」。

世界各国の政府と国際NGOの進歩を目にした曽さんは、慈済の貢献を原案としてまとめ、善い概念を国連などの国際的なプラットフォームに持ち込むことで他の公的部門や民間機構が検討できるし、さらにもう一歩踏み込んで採用できるようになる。もし「国レベル」或いは「国際レベル」の規模で推進できれば、その影響力は侮れないものになるだろう。

「慈済は、物質と資源の面では彼らに及ばなくても、その強みは信仰と精神面にあります。慈済が提唱するのは、慈悲と愛の展開ですが、定量化、複製化、検証ができるものでなければならず、そこから人々は学ぶようになるのです」と曽さんが言った。

近年、アメリカの政権交代で政策も変わり、海外支援の予算も大幅に削減された。これまでアメリカに大きく依存してきた国連は、資源を獲得するために、国際NGOと相互交流することで資源を確保しようとしている。これも宗教組織の影響力と宗教間の連携の重要性を顕著に表している。「例えば、国連難民高等弁務官事務所やユニセフは共に、宗教と諸宗教事務部門を増設し、国連食糧農業機関(FAO)もまた、諸宗教委員会を設置しており、宗教の重要性が分かります」。

宗教間の連携について、曽さんは、「慈済は正に、『宗教と持続可能な開発に関する国際パートナーシップ(PaRD)』に積極的に参加しています」と言った。その団体は国連の直属機関ではないが、メンバーの多くは国連加盟国の政府、または宗教背景を持ったNGOで、慈済はこのプラットフォームを通じて、広く宗教を超えた善縁を結び、世界的に影響力を発揮している。

「博愛、大愛、仁愛と名称は違っても、基本は似ています。宗教間の対話は、お互いの行動を理解し、暗黙の了解と共通の認識を持ち、尊重し感謝し合うことで、愛の基盤を築くことだ、と證厳法師が言っていました」と曽さんが説明を付け加えた。

慈済は、二〇二一年にはすでに、国連宗教間諮問委員会(IATF)から信仰組織評議会(MFAC)の共同議長に任命されていた。それは、慈済の「仏教の為、衆生の為」という実践的な貢献が認められたことに依るものである。コロナ禍の間、慈済はグローバルなボランティアネットワークを活用して、カトリック教会やイスラム諸国が緊急の防疫物資を調達するのを支援した。それは正に、宗教が慈善と結びついて、世界に貢献する具体的な例である。「無縁の人に大慈悲をかけ、相手の身になって悲しむ」という仏教の教えが、これらの行動に現われているのだ。

「慈悲の行動こそが、慈済の教えの核心なのです」と曽さんが言った。あらゆる実践は、仏教を国際的な主流プラットフォームに導くと共に、世界中のパートナーが宗教の垣根を越えて、善行を一緒に行うことを呼びかけているのである。

二〇二六年は、慈済が創設六十周年を迎え、国連が「持続可能な開発のためのボランティア国際年」と定めた。六十年間で、慈済が根付かせたボランティアネットワークと志業は成就し、国連が提唱する持続可能な開発の良い模範となって大衆の力を結集し、共に地球と人類の持続可能性のために努力してきたのだ。

(慈済月刊七一一期より)

2010年、ハイチで世紀の大地震が発生した後、慈済はポルトー•プランスの聖アラハンドロ教会で配付活動を行い、アメリカの慈済ボランティアが住民の先頭に立ち、異なる宗教の力を結集して共に平安を守ることを祈った。(撮影・劉子正)

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