編集者の言葉
二〇二四年末から「冬至」を過ぎて二十四節気の「小寒」になると、一年の中で昼間が最も短い時期を迎え、寒さが本格化するが、法師は、二回目の歳末祝福会と認証授与式を主催するために再び行脚に出かけた。二〇二五年に入ると春節も間近となるが、法師は年の瀬については語らず、いつものように「秒単位で過ごす」ことを強調した。あらゆる成就は些細なことの蓄積なのだから注意を怠ってはならない、と流れるように過ぎ去る分秒に注意するよう皆に呼びかけた。
歳末祝福会では、二十五の国と地域から認証を授かるために台湾に戻ったボランティアが、法師と心温まる話を分かち合った。ホンジュラスのボランティアは、空港での乗り継ぎと飛行時間を合わせると片道だけで五十七時間を要した。南アフリカのフローレンス師姐は高所恐怖症だが、障害を乗り越えて法師に会いに来た。彼女は十年以上、地域の孤児たちに食事を提供し続けており、決して子供たちを空腹のまま寝かせないと発願した。
トルコから来た二十三人のボランティアは、ほとんどがマンナハイ国際学校の教職員である。シリア内戦で隣国のトルコに避難し、難民としての苦労を味わって来た彼らだが、縁があって慈済に出会った。苦しみを経験した彼らだからこそ、苦難に喘ぐ衆生に奉仕することができ、発願したのだ。台湾に来て海外養成委員慈誠精神研修キャンプに参加していた間、シリアのアサド大統領が失脚し、十三年に及ぶ内戦が瞬時に終結した。中学部のムニール校長は、シリアは今や自由の国であり、自分たちはもはや難民ではないと述べた。彼は、台湾と世界の国々に対し、マンナハイ国際学校のために募金してシリアの子供たちが避難している間も学び続けられるよう支援して来てくれたことに感謝した。
今月号の「行脚の軌跡」を編集するにあたり、法師と教育志業体の管理職との座談会の様子を拝見し、私は改めて慈済の教育理念を振り返った。「慈済は営利のために学校を運営しているのではなく、真心から世の人々の願いを実現させようとしているのです」。「私たちは生徒に対して責任を持ち、世を利することを教えなければならず、世を利するには、悟りを開いた菩薩の精神を発揮しなければなりません」。「私たちは、人生の価値観を養うようにと子供たちを教え導き、愛のエネルギーを発揮して善良な『人の気』を集めることで、崩れた天の気と地の気を調和させる必要があるのです」。
非情な戦争であれ、過酷な環境であれ、全ては終わりのない欲に端を発しており、私利私欲のために争い、または享受を貪り、資源を消耗させているのである。今月号の慈済SDGsシリーズのレポートでは、「環境教育」の重要性を解説すると共に、慈済人が人類の持続可能性に取り組む様子や様々な創意工夫を見ることができ、「社会を利し、地球に優しく」というビジョンが空談にならないことを願っている。
慈済が行っているあらゆる慈善行動は、意義のある背景を持ち、与える影響や持続可能性にも配慮している。例えば、各地の静思堂は行政院環境部に「環境教育施設」として申請し、認可を得ている。慈済の各志業も、年を重ねるごとに環境教育関連の賞を次々と受賞している。環境の持続可能性は人類の責任であり、実現可能であることを行動によって証明しているのである。
(慈済月刊六九八期より)
