道に迷った父

高齢化社会に突入して、もっと綿密な愛で織りなしたネットワークが必要である。その過程で、少しでも多く、注意と関心、動作による表現があれば、一家族を救うことができるかもしれないのだ。

父が家を出てから帰るまでの三十二時間の間、認知症患者の家族として焦りと精神的な崩壊を、私たちは全部体験した。

軽度認知症患者は、行動や言語能力を持っており、自分は大丈夫だと思っている。そういう人が道に迷った時、彼らに助けが必要なことを他人が気づくのは難しい……。

大愛劇場「こんにちは!私は誰ですか」という番組は、認知症患者の家庭の苦境を視聴者に理解してもらい、介護者の気持ちになって、一緒にその不可逆的な症状に立ち向かおうと呼びかけている。シリーズ2は去年八月に放送され、視聴率が益々高くなっているということから、視聴者の認知症問題に対する関心の高さが伺える。台湾衛福部の推計によると、六十五歳以上の認知症の人は約三十五万人であるという。私の父もその三十五万人の中の一人である。

父は軽度の記憶力低下があって、よく物忘れをするが、以前と同じように正常な生活をすることができる。彼の最大の趣味は、友だちとカラオケに行って歌うことだ。歌の話になると、彼の目はキラキラ光り、色んな曲が歌えるよ、と自信を持って私たちに話す。

コロナ禍の間、人々はソーシャルディスタンスを保つために、カラオケに行けなくなり、父は一日中、家でテレビを見ていたため、知らず知らずのうちに、記憶力の低下を招いてしまった。秋になると、天気が変わりやすく、台北は何日も続けて雨が降ったので、認知症の年長者にとっては試練だった。ある日の午後、父は自転車に乗って出かけたが、道に迷ってしまい、何時間経っても帰って来なかった。

日暮れを過ぎた上に雨が降っていたので、家族は気が気でなかった。父の携帯はバッテリー切れだったらしく、GPSによる位置情報も消えてしまっていた。交番に届け、認知症協会に人探しサイトにも情報をアップロードしてもらい、車を走らせながら道沿いに探したが、深夜になっても見つからなかった。

認知症患者の家族の焦りを私は全て体験した。探したり待ったりする時間はとても辛いもので、精神的に崩壊してしまう。どれだけ涙を流し、食べ物が喉を通らず、眠れなかったことか。

小さい頃、道に迷った時のことを思い出した。あるお姉さんが見つけてくれて、父に迎えにくるよう電話してくれた。あの恩人の家で待っていた間、不安で堪らず、恐くなって泣いてしまった。父が夕日を浴びながら、自転車で駆け付けて来た時、私のあらゆる感情は一瞬にして救われた。父が温かく慰めてくれたあの光景を振り返ると、それはいつも温かい山吹色だった。その時私は、観世音菩薩が慈悲で以て恩人を派遣し、父を救って平穏無事に家に帰ってくれるよう祈り続けた。

翌日の深夜近くになって、私たちはやっと、交番から良いニュースを受け取った。父が見つかったのだ。ある通りすがりの人が、父の尋常でない様子に気が付き、宥めたり、騙したりしながら、近くの交番まで連れて行き、私たちが迎えに行くのを待ったのだ。

父が家を出てから帰るまでの三十二時間、私は彼がいったい何を体験したのか知らない。持っていたお金は全く減っていなかった。コンビニで食べ物や飲料水を買うことを知らないので、何も食べず、飲まず、寝ていないに違いない。交番で、防犯カメラの録画画像を見ると、一日目の夕方、父が店の人に道を尋ねているのが映っていた。当時の状況を見ると、まだ覚えていて、自分で道を探しているようだった。しかし、二日目の夜に父を迎えに行った時は、自分が道に迷ったことも、皆が心配して捜し回ったことも理解できず、完全に助けを求める能力がなくなっていた。怖かったに違いない。雨の中を自転車に乗り続け、少し脱水症状を起こし、歩き方もよろめいていた。

軽度認知症患者は、まだ行動や会話の能力があって、自律した生活ができ、自分は大丈夫だと思っている。だから、彼らが道に迷っても、他人は、外見から彼らに助けが必要だと判断するのは難しい。

家族全員で健康な心と脳にする

父が無事に帰ってきて、二日間休養した後、頭が次第にはっきりして来て、だいぶ元気になった。一家全員、もう二度と悪夢を見たくなかった。それがきっかけで、積極的に多くのことに変化をもたらした。二種類以上の位置情報が分かる方式を採用したり、食習慣を調整したりするようになった。

父はパンが好きだったが、研究報告によると、パンやパスタなど精製された高炭水化物を摂取し過ぎると、体内のぶどう糖とインスリンの代謝機能に影響を及ぼし、脳の血管とアミロイドβの作用にも影響を及ぼすそうだ。そして、βアミロイド斑こそ、アルツハイマー病を引き起こす重要な要因なのだそうだ。

家族は父に脳を健康にする様々なホールフーズを用意した。例えば、ナッツ、カボチャ、トマト、ダークチョコレート、ブラックコーヒーなどで、加工食品の摂取を減らし、ビタミンを補充し、アロマエッセンシャルオイルテラピー等を行った。

コロナ禍が落ち着いた後、父は每朝、最低一時間散步し、夜は家族が父に付き添って、書道や指の体操、パソコンの曲に合わせて歌うなど、いろいろな事をして一緒に過ごすようにした。それから、よくできたと父を褒めるようにした。

最近、政府は高齢者介護に関する情報を色々と提供しているので、私たちは父に介護の申請をした。介護士は、月曜日から金曜日まで昼間の一、二時間来て、将棋やパズルゲーム、おしゃべりなどの相手をして、父に付き添っている。多方面から生活習慣やリズムを改善したことで、今では、父の脳の退化が止っただけでなく、認知機能もかなり改善した。

高齢化社会は、より綿密な愛で織り成したネットワークによって、助けを必要とする年長者をキャッチする必要がある。その過程では、少しでも多く注意と関心を払い、行動によって表現することが必要であり、それによって一家族を救うことができるかもしれないのだ。慈済は各地の連絡所に介護拠点を設けており、地域の年長者に活力溢れる学習の場を提供することで、彼らが外出できるようになり、生き生きと、安心して晚年を過ごせるようにサポートしている。多くの年長者は、人と交流することで新しい知識を学ぶと共に、元来の記憶力の低下を遅れさせたり、ふさぎ込んだ気持ちを和らげたりすることができる。

如何にすれば、質と尊厳を兼ねた老年時代を過ごすことができるかは、社会全体の課題である。コロナ禍は私たちに、人と人の間で最も重要なこととは、やはり愛と関心であることを気づかせてくれた。心の溫かさが年長者の記憶を温め、認知症の年長者が平穏に温かくて愛のある環境で、晚年を過ごせるようにと願って止まない。

(慈済月刊六九五期より)

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