「あなたはとても優しい上に、どんなに忙しくてもエレガントで、目には微笑みを浮かべ、動作がとても軽やかですね。あなたに世話してもらえて、私は幸せです」。
おじさんの言葉で、私は看護師の価値を感じた。世話を必要としている人に奉仕するのも、私の幸せである。

(絵‧温牧)
病室に口腔がんを患ったおじさんが来た。左側の頬は既に腫瘍に圧迫されていて、経鼻胃管を使い、気管切開もしていたので、私たちは筆談を通してコミュニケ―ションを取った。
暫くして、私たちは仲良くなり、家族とも快く付き合った。おじさんは、容態が悪くなってきたので、奥さんと共に覚悟をした。
ある晩、私は夢を見た。白い背景の前におじさんが立っていて、経鼻胃管も気管切開もなくなって頬の腫瘍も治癒していた。夢の中の彼は、身分証明書の写真そのもので、私に向かって「ありがとうございました」と一言だけ言った。
私はその夢が現実のように思えた。一生忘れることはないだろう。数日後、おじさんは円満にこの世を去った。最後に、私は彼の体を洗い清め、遠くへ送り出してあげた。これは運命に定められた良いご縁だったのだろうと思った。
もう一人は、定期的に病院に通って化学療法を受けていたおじさんである。何度か私たちが担当する病棟に入院し、その度に私が世話した。いつも一人でいたので、私は特別に時間を割いて世間話をしながら元気づけた。ある日、おじさんが私に言った。
「あなたは、とても優しい人だ。どんなに忙しくても、目つきからして微笑みが感じられます。それに仕事をしている姿は落ち着いていて、動作が軽やかです。あなたに世話してもらえて、私は幸せです」。その時、私は恥ずかしくなったが、同時に心を打たれた。
この二人の年長者の言葉から、私は看護の価値を悟った。多くの人は、看護の仕事は非常に忙しいと思っているが、どんな仕事でも忙しいのではないだろうか。私は仕事する中で自分の価値を見つけ、喜んでそれに専念することで、続けられるパワーが出てくるのだと思っている。
実際、あらゆる患者さんが私たちの良き師であり、互いの生命の中から学び合うことができるのだ。看護師は患者と家族の身心を支え、彼らの言葉から仕事の姿勢を反省したり、修正したりしているのである。そして、ひいては自分のIQ(知能指数)とEQ(心の知能指数)を高め、看護の仕事をより良くしているのだ。
時々後輩たちが私にこう言う。
「先輩、臨床の仕事はとても疲れます。やめてしまいたいくらいです」。私は、見る角度を変えて考えるようにと励ましている。もし、ベッドで横になっている人や手術室に入っている人、外来の外で待っている人が自分の家族だったらどうだろうか。どんなに忙しくて疲れていても、喜んで世話するはずだ。
心して行えば、患者さんはその温さを感じ取ってくれるので、正しい事を行動に移せばいいのだ。それは、「人生で誰かに必要とされた時、自分の能力で以て奉仕することができるなら、それが最も幸せな人生です」。静思語の言う通りである。
(慈済月刊六九六期より)
