ボランティアは、住民の生活を改善するための方策として職業訓練講座を行うことで、起業の支援までできると考えた。
一杯のオレンジジュースや一本の縫い針が、貧しい家庭の運命を好転させようとしている。
今年3月に慈済会所で裁縫上級クラスが開催され、学生の制服を縫い上げた5人の受講生が慈済から奨励金を受け取った。(撮影・胡媛甄)
スジャータ村で「ブッダジュース」を売る移動販売車では、朝早くにオレンジジュース六杯の注文を受けた。ラルマニさんは客の対応をし、息子のオマナンドさんは素早くオレンジの皮をむき、娘のナンダネさんはグラスを洗った。
この移動販売車は家族全員の希望の原点である。七年前、一家の支えである夫のビムセンさんが仕事中に感電し、半月の間昏睡状態となり、後に意識を取り戻したが、体力と記憶力はすぐには回復しなかった。ラルマニさんは農作業を始めたが、わずかな収入では学校に通う三人の子どもの学費を賄うことができなかった。
二○二三年十一月、慈済はケアケースの報告を受けて様子を見に来た。その時、ビムセンさんが自立した生活をするために、自宅近所の私立病院の前でフレッシュジュースを販売したがっていることを知った。そこで、ボランティアは彼に屋台とジューサーを提供することにした。彼の考えに基づいて、頑丈で耐久性があり、移動しやすい屋台を特注した。当初、彼は娘さんの名前を店名にしようと考えていたが、二○二四年一月に完成品を目にした時、慈済が無償で助けてくれたことに感動し、「慈済は佛教の団体だから、屋台の名前は『ブッダ』に決めました」。
一年以上が経過し、ビムセンさんは心身共に徐々に回復し、新しい仕事を見つけた。屋台の経営はラルマニさんに引き継いでもらった。彼女は積極的に事業の拡大を考えた。例えばビスケットの仕入れ販売をして、商売をより多様化しようと考えた。娘さんのナンダネさんは成績優秀な子供で、まもなく十年生に進学する。彼女は微笑みながら、「以前、母は自転車で畑へ農作業に行き、風雨にさらされ、真夏の暑さの中でも農作業をしていました。今の仕事はとても良いと思います」と言った。
もう一人、移動販売車で成功している店主は、サンジートさんだ。彼は毎朝五時に起床し、オートリクシャに乗ってガヤの青果卸売市場へ行き、パイナップルとパパイヤを仕入れている。九時に仕込みを行い、十時から正午十二時まで、マハーボディ・コンベンションセンターの前でカットフルーツを販売している。午後からは屋台を押してマハーボディ寺院へ向かい、移動販売に切り替える。
フルーツの小皿は十ルピー(約十七円)で、一カ月の収入は一万五千ルピー(約二万五千円)になり、サンジートさんは、果物の倉庫として小さなトタン小屋を建てることさえできるようになった。娘さんも生活のリズムを変え、朝三時過ぎに起きて彼の朝食を準備している。彼は「娘が作った朝食を食べると、とても幸せな気持ちになります」と言った。
今年五月から、この幸せな二人のオーナーは「愛に満ちた商店」プロジェクトに参加し、屋台に竹筒募金箱を置いて顧客に善意の寄付を呼びかけている。慈済ボランティアは定期的に集金し、より多くの人を助けるために活用している。かつて失業していたサンジートさんは、今では一家七人を養えるようになった。彼は両手を合わせて、お金を募金箱に入れ、好感の持てる笑顔をして「本当に感謝しています。私はとても幸福な人間です」と言った。
職業技術訓練、無上の喜び
慈済は二○二二年にブッダガヤでNGOの登録を完了し、翌年九月に会所を開設した。慈善支援に加え、「職業訓練」や「就業指導」を行うことで、ケア世帯と貧困家庭に対し、生計を立てる力を身につけるための方策を支援している。
ブッダガヤでは職業を持つ女性は少ない。農村でよく見られる光景は、女性たちが集まっておしゃべりをしたり、砂で鍋をこすったり、家族のシラミを取ったりする姿だ。たとえ働きに出られても、肉体労働が中心である。慈済会所では、中国語クラス、裁縫クラス、コンピュータークラス、英語クラスが開設されており、女性を中心とした裁縫クラスはすでに第四期の募集に入っていた。また、慈済が支援建設した大愛住宅のあるシロンガ村には、編み物クラスも設けられている。
大愛住宅の住民コシラさんは、初めは棒針を全く使えなかったが、今では毛糸の帽子を慣れた手つきで編めるようになった。彼女は技術を身につけただけでなく、収入にもなっているので、この達成感が大好きだそうだ。
慈済ボランティアは帽子の品質と数量に応じて給与を支払っている。寒い冬が訪れると、完成品を買い取って、学校の子どもたちに贈っている。教師のレカさんは大変喜んで、「慈済が給料を支払う日には、全ての生徒が私に感謝してくれます。そして私は、生徒一人ひとりの努力に進歩を見出すのです」と言った。
マレーシアのボランティア、郭糧鳴(グォ・リャンミン)さんは、女性たちに欠席せず、真面目に学ぶよう励ました。「ここで学ぶのに費用は一切かかりません。慈済人が毎日お金を貯め、寄付金で先生を雇っているのです。学んだことは他人に教えることもできます。他人の助けを待つことなく、あなた方も人助けができるのです」。
五月中旬、ボランティアはスジャータ村に行って、第四期初級裁縫クラスの開講を宣伝し、村人の申し込みを受け付けると同時に、「欠席が三回を超えた場合、再びクラスに参加することはできない」という約束を提示し、マレーシアのボランティア、林玉金(リン・ユウジン)さんがそのことを丁寧に説明した。
女性たちは一列に並び、壁にもたれたり、腕を組んだりしていた。最初はやる気満々だったが、「三回以上欠席できない」と聞いて尻込みした。
最初に募集に応じたのは十八歳のスウィーティさんで、彼女は素敵な笑顔と真剣な態度の持ち主である。彼女の父親は「酒の代わりにお茶にした」成功事例の一人であり、すでに七カ月以上、お酒を飲んでいない。今はマハーボディ寺院近くでサトウキビジュースを販売している。
慈済の第一期裁縫クラス修了生、サラスワティさん(中央)はサリーの店を開いた。ボランティアの林玉金さん(右)と凌翠蓮さん(左)が、インド女性の代表的衣装をまとった。(撮影・李美慧)
店を持つ夢、社会への恩返し
今年の五月二十日、林玉金(リン・ユージン)さんは慈済会所の近くにある一軒の店を訪ねた。広々として明るい店内に入ると、優雅で自信に満ちたサラスワティさんが出迎えてくれた。彼女は慈済の第一期裁縫クラスの修了生であり、二○二三年に訓練を受けた際は、上達が早いうえに、同級生のミシンの糸絡み問題を解決する手助けまでできたのだった。
その時、彼女は慈済会所で、證厳法師の「行動しながら学び、学びながら悟り、悟りながら行う」という法語を読んだ。そして心に「いつか自分の店を持つ」と誓った。二○二四年十月十日に、その夢が現実となった。彼女は色鮮やかで華やかさと高貴さを備えた、インドの女性が着る伝統的民族衣装「サリー」を仕入れ販売している。店内の商品は整然と陳列され、ミシンが一台置かれており、顧客のサイズ直しを無料で行っている。
彼女は「最初は何もできませんでしたが、慈済の先生から知識と技術を学び、服やバッグ、制服を作れるようになりました。自分が多くのことをできることに気づいたので、もっと成長し続けられると思います」と言った。以前は自分に人助けができると考えたことはなかったが、今ではそれが分かった。自ら進んで手を差し伸べたいと思っている。
店を開いて収入を得られるようになった彼女は、夫のラセデオさんと共に真面目に貯金し、店舗裏の土地に教室を建てて、女性たちに裁縫を教え、学んだ技術を伝え、社会に恩返ししようと思っている。
妻の変化について、ラセデオさんはこう語った。「以前、彼女はとても怒りっぽく、私たちはよく喧嘩をしていました。私もどう対応すればよいか分かりませんでした。しかし、慈済の裁縫クラスに参加してから、彼女は少しずつ変わり、穏やかに話し合い、一緒に相談して物事をより良くするようになりました」。彼は照れながら「私はよい妻を持っています。だから私はとても幸せです」と告白した。
(慈済月刊七〇七期より)


