『365日の静思語』上・下巻

法語と法悦をもっとシェアしよう

證厳法師の智慧の法語によって、私は修行の道での拠り所を見つけた。物事の進め方と人としての道を理解し、人との間における是々非々から逃れることができた。法語と法悦をもっとシェアすることで、誰もが心を開き、自在な人生を過ごせるようになってほしいと願っている。

365日・日々の静思語』を創作しようという構想は、頭の中で二十数年間、堂々巡りしていた。

一九九三年十一月二十一日、私は花蓮の静思精舎に来て、證厳法師のもとで修行を始めた。習慣的に、法師が開示した法語をメモに取り、優れた言葉を力―ドに書き写し、毎日一枚抜き取って、自らを戒め、励ましてきた。

時代と共に科学技術が進化し、これら書き写した法語カードは放置されたままになっていたが、数年前に「断捨離」という概念が心に芽生えたことで、スマホのスキャン機能を活用して、ノートブックを全部デジタル化した。写真を撮りながら読み返していると、それら法語の偉大さに再び感嘆した。

そこで、それらの法語カードをデジタル化しながら、縁のある人にメッセージアプリで送り、ファイルにまとめた。その後、これらの法語カードを再びそのままにしていた。ある日、自分が発信した法語を目にした。「執着により煩悩が起こったなら、放下すれば菩提へ至ります。執着心がなければ、煩悩が起きても菩提に至るのです」。私はもう一度心を打たれ、法語と法悦はもっと多くの人と分かち合うべきだ、とつくづく感じた。

それから、ある考えが頭にひらめき、法語をフェイスブックに投稿したが、数日後、文字しかないのは単調すぎると感じたため、スマホで撮影した精舍の風景写真を文字に添えた。写真があると、解説も思いつくものだ。次第に今の『365日の静思語』が出来上がっていった。後に「静思園地」というウェブサイトからも支持され、コラムで連載するようになった。今はそれが終わり、本として出版された。「思いがけない幸運」とも言える。

法師の法語によって、私は修行の道での拠り所を見つけた。どのように物事に対処すればよいかを、また、人として広く良縁を結ぶ方法を知り、そして、執着心をなくすことで人との間の是々非々から逃れ、煩悩に惑わされることがなくなった。法師の法語によってあなたの心が開き、自在な人生を過ごせるようにと願っている。

證厳法師の開示から

広く良縁を結べば、多くの幸福が訪れます

人との縁は、自ら広く結ばなければなりません。良縁が一つ多ければ、その分の幸福が増えるのです。

モクセイの花の香りが漂う

所謂「成仏する前に人と良縁を結ぶ」とは、今生での出会いが良縁であれ、悪縁であれ、全ては自分が過去生で結んだ縁なのだから、成仏したければ、先ず人と良縁を結ぶことである、という意味だ。良い因の種を植えれば、自ずと良い果実が得られるということである。

徳和師父のささやかな天地は、そのモクセイ園であり、園内には千本以上のモクセイが植えられている。師父と摘み取り、選別したモクセイの花は、一部を蜜作りに使用していて、静思精舍の美味しいモクセイ餅はそこからきている。

それ以上に思い出されるのは、以前、師父がよくモクセイの花のハーブティーを大きなティーポットに入れて、事務所を一つずつ訪れては皆に提供していたことである。皆もそれを知っているので、その日にはカップを用意しておき、甘いモクセイの爽やかな香りに包まれたのだった。

證厳法師の開示から

心の静けさ

過ちを犯して後悔するのは煩悩です。心の中に煩悩があっては、智慧は成長しません。心の中に戒めがあれば、為すこと全てに気持ちが休まり理にかない、心に静けさが訪れます。

同じ過ちを犯さない

侍者:「過ちを犯したら、どのように懺悔したらいいのでしょうか」。

師公(印順導師):「同じ過ちを犯さなければいいのです」。

写真は静思精舍の一隅に咲いた満開のジャコウソウ。その花は、明け方に花を開き、夕方には散ってしまう。昼間に蝶や蜂を引き寄せて授粉し、日没には使命が終わる。しかし、明日になれば、また花が咲く。開花時期には、毎日美しい花を咲かせて鑑賞できるため、「日々草」と呼ばれる。

花言葉は:希望と理想である。たとえ毎日花が散っても、また新しい花が咲き、夜が明ければ、太陽の下に、また花が咲く。過ちをしっかり心に銘記し、二度と同じ過ちを犯さなければ、明日も斬新な一日となり、希望に満ちているのだ。

(慈済月刊七〇六期より)

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