中年の頃に発症したパーキンソン病は、淑枝(スゥーヅー)さんの体を縛りつけただけでなく、家族全員の心も苦しめた。
大林慈済病院の軽安居(長期療養施設)に入院したことで、中医と西洋医の治療とボランティアの付き添いによって心を開き、大きく踏み出すことができた。
淑枝さんは、若年性パーキンソン病を患い、体が硬直して行動がとても困難になり、五十一歳から「タンゴを踊る生活」が始まった。つまり、ご主人は毎日タンゴを踊るように彼女を支えながら歩くことで、様々な日常的なことをこなしていた。
彼女は西洋医学の検査や治療を受けることを望まず、普段は、健康食品で体調を整え、そうした生活を四年間続けた。何事も一人で世話してきたご主人は、次第に体の限界に近づいていた。娘も、なぜ母親が病苦に苛まれても、医者にかかろうとしないのか、理解できなかった。病に縛られた淑枝さんの心には、死を望む気持ちも芽生えた。
夫婦は、大学時代のクラスメートで親友でもある、大林慈済病院の林名男副院長夫妻の勧めで、大林慈済病院に併設されている「軽安居」を見学した。医療チームが入居患者のために楽しい雰囲気を作り、愛に溢れているのを感じて入居することを決めた。
医療チームは、淑枝さんの心と体の状況を理解すると、治療に対する彼女の選択を尊重して、中医による治療を勧めた。中医師の細心のケアと交流を通して、彼女も最新のパーキンソン病治療について知ることができた。そこで西洋医師の私は彼女と初めて会うことになり、彼女は発症後の経緯を全て語ってくれ、私も心の支えになるような言葉を与えた。それから会う回数を重ねるうちに、彼女は治療について私の提案や薬の使用を受け入れてくれるようになった。
薬を一週間ほど服用すると、彼女は、まるで普通の人のようにゆっくり歩けるようになり、側で支える人がいなくても、自分で立てるようになった。それを見たご主人は冗談混じりに、「四年間も妻に騙されていたので、まるで詐欺に遭ったみたいです。治療を受ければ、自分で行動できるのですね」と言った。
今までは、行動が不自由だったため、安心できる空間を求めていた淑枝さんだったが、軽安居に入院して三カ月が経った頃、勇気を出して部屋の外に足を踏み出し、廊下を歩くようになった。私はよく診察終了後に彼女のところに行った。中医師も彼女を気にかけて支えてくれた。軽安居で一年間を楽しく過ごした後、体が動くようになったと感じた淑枝さんは、家族と相談の上、退院して高雄に移住することにした。
高雄での新しい生活が始まると、毎日家の対面式キッチンを五十周ぐるぐる回って、筋力を維持した。三カ月ごとに大林慈済病院へ再診に来る時、私たちは彼女を励まして力付けた。そして、看護部長やソーシャルワーカー、ボランティアがそれぞれ休みを調整して集まり、彼女の誕生日を祝った。
高雄に引っ越して一年後、彼女は家から出て、家族と一緒に近くのスーパーへ買い物に行った。久しぶりにこの家族に笑顏が戻った。
證厳法師は、「愛は人間(じんかん)の一番幸せなパワーです」と言っている。人と人の出会いはすべて縁であり、医療チームと患者の出会いも縁である。私たちのチームはこの力を利用して、彼らを幸福にしてあげたい。愛はいつも側にあることを彼らが信じていると願っている。(二○二五年三月二十日ボランティア朝会より)
(慈済月刊七〇四期より)


