西ジャワ州ブカシ市に住む、アントンさん(左端)一家は、2025年に困窮世帯住宅修繕の支援を受け、喜びと共に室内の様子を見て回った。(撮影・アリマミ・スリョ・アスモロ)
ジャカルタの狭くてじめじめした路地から中部ジャワ州の山間の村落に至るまで、数万の住宅は脆弱な構造をしている。
慈済は政府の大規模な貧困支援プロジェクトに呼応して、五千戸の住宅改修を担い、貧困家庭にとって最も基本的な安全と尊厳の再建に取り組んでいる。
ある人にとっては、「家」は手の届かないぜいたく品である。インドネシアの都市部の片隅や遠隔地の農村では、今も多くの人が居住に適さない家で暮らしている。屋根は雨漏りし、床にはセメントやタイルも敷かれておらず、壁はグラグラして今にも倒れそうなほど脆弱である。雨季になると雨水が室内に染み込み、乾いた場所がなくなり、強い日差しの下では、こもった熱気が逃げ場を失う。多くの家は空間が狭いだけでなく、バストイレなどの基本的な生活インフラの整備も遅れている。
インドネシア中央統計局(BPS)が二〇二三年に公表した「住宅および環境衛生指標」によれば、全国で居住環境が不良と評価された家は三十七パーセントに達している。つまり、百戸のうち約三十から四十戸が、居住条件の改善を切実に必要としており、場合によっては、さまざまなリスクの原因となる可能性があることを示している。
この深刻な社会問題に対応するため、インドネシアのプラボウォ大統領は二〇二四年十一月、「三百万戸住宅建設・改修プロジェクト」を始動させた。このプロジェクトは主に修繕だが、一部は建て替えもある。農村部と沿岸地帯の二百万戸、都市部で百万戸の住宅整備を進めており、極貧層と中低所得層の人々が、健康的な生活を送るための住環境を確保できるよう支援するものである。
この目標を達成するため、政府の住宅・居住区部(クメンテリアン・ペルマハナン・ダン・カワサン・プルムキマン)は、民間企業及びNGOと連携して推進している。この中で慈済基金会は、そのうちの五千二十戸分を引き受け、パートナー団体の中で住宅改修数が最も多い。二〇二五年一月に工事が始まり、年末までに七百戸超が完成し、約四百戸が施工中である。
ボランティアは2024年11月、ジャカルタのカマラ・ムアラ村で第6期の住宅修繕をする前の訪問を行った。家主のココム・コマリヤさんは、木の床が腐って割れていたので、よく踏み抜いてしまうことがあると話した。(撮影・アリマミ・スリョ・アスモロ)
政府と民間が心を一つにして協力
慈済インドネシア支部の執行長の劉素美(リュウ・スウメイ)さんは、近年インドネシア経済は持続的に発展し、社会も進歩しているが、依然として多くの人が貧困ライン以下の生活をしていると述べた。そして「安心して暮らせる住まいがなければ、本人だけでなく次世代の将来までもが制約を受けるでしょう」と強調した。
慈済インドネシア支部は二〇二五年末に三十周年を迎え、寄付している会員は二百三十万人を超えた。二〇〇六年にはすでに国軍および政府と協力して、低所得世帯向け住宅の建設支援を開始し、二〇二五年までの統計では、改修した戸数は千四百戸を超え、また、大規模地震の発生後には、アチェ、パダン、パル、ロンボク島、ジョグジャカルタなどの被災地で村落の再建に取り組み、合計八千戸の住宅を建設した。
劉素美さんによると、今回はこれまでとは規模が異なり、戸数が多い上に対象地域も広範にわたるため、初期段階の進捗が比較的遅く、その原因は政府や住民との意思の疎通に時間を要したそうだ。そして「一部の住民は、改修期間中はどこに住めばいいのかと心配しています。そのため、私たちは家賃の補助もします」と述べた。
もう一つの課題は、各地域で適切な施工業者を確保することであった。「異なる地域でこれほど多くの住宅を改修するために、十分な人手を確保することは容易ではありません。一つの地域で五百戸を施工する場合、数十の業者が同時に参画する必要があるのです。人員の確保に加え、工事の品質が基準を満たしているかどうかも確認しなければなりません。家が丈夫なのかどうかは、私たちにとって非常に重要なことです」と述べた。
家屋の修繕は、公共衛生を向上させる具体的な取り組みでもある。慈済ボランティアに同行して、ブカシ市における支援建設前の訪問調査に行ったことがある、慈済人医会の懿彦(イーイェン)医師は、住宅が密集して換気の悪い住環境では湿気がこもりやすく、肺結核などの感染症の温床になり易いと指摘した。また、インドネシアにおける肺結核患者の実数は公式統計を大きく上回っているとみられ、その一因は、こうした見えにくい感染拡大の構造にあると分析した。
カマラ・ムアラ村第6期の住宅修繕計画は、2025年2月に始まり、慈済ボランティアとインドネシア慈済病院の職員、セダ・グループの社員、そしてアンダルシア看護専門学校の学生たちが解体作業を手伝っていた。(撮影・クラリッサ・ルース・オクタビアナドヤ)
路地に希望を灯す
修繕計画の調整窓口を務める盧徳汕(ルー・ドーサン)さんは、施工現場に足を運び詳細な調査を行った。その結果、最大の課題は路地の狭さにあることが分かった。多くの住宅の広さは二坪にも満たず、幅がわずか三、四十センチの路地に面して建てられているので、資材の搬入が極めて困難なのだ。
盧さんは例を挙げて説明してくれた。バンドンはジャカルタより二カ月遅れて着工したが、進捗はむしろ先行している。そのため、バンドンから人員をジャカルタへ派遣し、応援しているそうだ。「バンドンには作業員が多く、路地も比較的広いため、資材の搬入がジャカルタより容易なのです」。
「改修は建て替えよりもはるかに複雑です。改修は解体と新築の両方を行うことを意味しますので、実質的に二度の工事を行うことになり、当然、より長い時間が必要になります」と説明した。地域ごとに施工状況は異なるが、中部ジャワ州バニュマス県を例に挙げると、村と村の間の距離が遠く、地形も起伏に富んでいるため、建設作業員は山を登ったり坂を下ったりしながら資材を運搬しなければならないそうだ。
盧さんは、当初この任務を担った際には不安もあったと率直に語った。住民に歓迎されないのではないかと心配になったり、あまりにも厳しい生活環境を目にすると、自分を無力に感じるのではないかと案じたりしたという。しかし、暗い路地に足を踏み入れ、老朽化した住宅の中へ入るたびに、壁もなく、屋根には至る所に穴が開き、排水溝の上に寝床が置かれ、さらには貝殻を敷き詰めた床で暮らす様子を目の当たりにすると、必ずやり遂げなければならない、と自分に言い聞かせた。
「時には仕事が思うようにいかず、不満を口にしてしまうこともあります。しかし、慈済が支援しているジャカルタ、カマル・ムアラ村の住民があのような厳しい環境の中で何十年も暮らしてきて、一言も不平を言わないことを思うと、私にいったい何の不満があるのだろうかと気づきます。私はできるだけ調整し、順応するようにしています。なぜなら、全力を尽くす価値のある使命だからです」。
慈済が重点地域としてジャカルタ、バンドン、スラバヤ、デポック、ボゴールを選定したのは、これら賑やかな大都市の陰には、見えにくい多くの暗がりがあるからだ。盧さんは、「私たちは、貧富の差という溝を埋め、これら家庭が貧困の影から抜け出せるよう支援したいのです」と述べた。
モスクと学校が新たな姿に
カマル・ムアラ村は、北ジャカルタに位置する海沿いの漁村である。盧さんは、「実は慈済インドネシア静思堂のすぐ裏手にあるのですが、道が通じていないため、大きく迂回しなければなりません。通常であれば車で約三十分ですが、渋滞時には二時間かかることもあります」と説明した。そこの家々は老朽化して損傷も著しく、しかも路面より低いので、雨季や高潮になると冠水し、壁は長期間水に浸っているため、倒壊寸前の状態にある。
ボランティアは村の極めて狭い路地を進み、ようやく各家庭にたどり着いた。家に入るには身をかがめる必要があり、体格の大きい人は入ることすらできない。浸水によって倒壊を防ぐために、住民が貝殻を敷いて地面をかさ上げしているので、室内の空間が低くなっているのだ。また室内の床が腐食していて、住民だけでなくボランティアも足を踏み外し、転倒したことがある家もある。
慈済は政府のプロジェクトに呼応する前、二〇一九年には既にカマル・ムアラ村で住宅の支援建設をしており、二〇二五年に第六期に入り、これまで四十八戸の民家、二棟のモスク、ならびにヌルル・イスラム小学校を建てた。新居の完成後は、入居者に対し少なくとも十年間は居住し、その期間に売却、賃貸、譲渡しないことを確約してもらっている。引き渡しの際には、ボランティアは炊飯器、扇風機、ガスコンロ、机や椅子、ベッドなどの家具も用意した。
倒壊危険住宅の改修がもたらす効果は、カマル・ムアラ村において明確に示されている。ヌルル・イスラム小学校五年生のデノヴァン・ラマダン君は成績優秀で、毎年学年で一番を取っている。彼の自宅は二〇二四年十月に建て替えが完了した。彼は誇らしげに「以前は高床式の家に住んでいて、雨が降ると窓から雨水が吹き込んできました。今は家がとても頑丈なので、安心して暮らせます」と言った。
新居はデノヴァン君の学習意欲をさらに高め、家計も明らかに改善した。以前は父親が粥を売って一家の生計を立てていたが、母親は慈済から提供された屋台を使って麺の販売を始めた。その後、家族はオートバイを購入し、食事配達サービスも行うようになった。母親は感慨深げに「この新居は本当に多くの恵みをもたらしてくれました。アッラーに感謝しています」と言った。
カマラ・ムアラ村の住民、ハスナワティ(中央)さん一家は、嬉しそうに新しい家に入居した。(撮影・アリマミ・スリョ・アスモロ)
胸を張れるようになった一家の主
やわらかい朝日が、中部ジャワ州バニュマス県のソマカトン村に降り注ぐ中、五十三歳のラスマンさんは新居の扉を開けた。思い返せば、以前の家は、壁が木と竹でできていて、雨が降れば室内にバケツを置いて雨漏りを受け止めなければならないし、床は泥だらけになった。今はただ、尽きることのない感謝の思いで胸がいっぱいだ。彼は「困窮世帯住宅修繕支援計画」の対象者の一人である。
ジャワ島の内陸部に位置するバニュマス県は、経済は主に農業や伝統的手工業に依存しており、住民には安定した雇用機会が不足している。山地や丘陵が多い地形が近代産業の発展には不利な条件となり、インドネシアでも最も貧しい地域の一つに数えられている。二十七の郡のうち、慈済の住宅修繕計画は十三の郡で進行中である。ボランティアは一軒一軒を訪問して状況を確認した上で施工を行い、本当に必要とする人々に確実に支援が届くよう努力している。
改修工事の間、ラスマンさん一家は家の裏手にある親戚の家に仮住まいしていた。彼は毎日工事の進み具合を気にかけ、時には手伝いをしたり、玄関先に座って日を追うごとに形になっていく様子を見守ったりしていた。また時には夜もそこで眠ることさえあった。それは工事現場を見張るためではなく、この家がどのように少しずつ築かれていくのかを、自分の目で確かめたかったからだと彼は言った。
そして今、竹を編みこんだ壁の隙間から風が吹き込んだり、穴のあいた屋根から雨水が床に滴り落ちたりする心配はない。それは単なる新居ではなく、失われていた尊厳を取り戻したことでもあった。彼は今、胸を張り、希望を胸に前へと歩み出すことができる。
妻のムンファリダさんは、これまで祈る時はいつも、清潔で明るく健康的な家を授かることができますようにと願っていた。しかし、それが実現する日はまだ遠いように思えた。というのも、状況を見に来た人が、風のようにやって来ては去っていったからだ。「でも、夫は慈済を強く信じていました。私もそれに倣って信じました。心にあるのはただ一つ、感謝の思いです。私たちは一緒に努力していきます。この家のために、そして子どもたちの未来のために」。
ラスマンさんは農業従事者で、日当は約五万インドネシアルピア(約四百七十円)に過ぎず、日々の生活をかろうじて賄っていたが、新築や老朽化した家の改修など到底かなわないことだった。しかし、ムンファリダさんは諦めなかった。彼女は村の子どもたちに勉強を教え、たとえ僅かな収入でも貯金をして、アスベストや間仕切り板を購入し、少しずつ古い家を補強してきた。
改修が完成し、ムンファリダさんが最も喜んだのは、夢にまで見た浴室とトイレがあることだった。「以前のトイレはあまりにも簡素でした。皆さんがこんなに素晴らしい設備をくださったことに心から感謝しています。どうかアッラーが皆さんに倍の祝福を与えてくださいますように」。
天井が低いジャワの伝統的な家屋とは異なり、新しい家は天井が高く、空間も広々としている。ラスマンさんは「部屋が三つあって、一つは私と妻が使い、二つは子どもたちの部屋です。それにリビングもあります」と嬉しそうに言った。自分の部屋を持つことは、末の息子のウタコ君がずっと願ってきたことだった。ラスマンさんは興奮気味に、「あとは家具を運び入れるのを待つだけです!」と言った。
それぞれの家主の輝くような笑顔は、ボランティアチームに時間との闘いともいえる使命感を感じさせた。単に住宅の構造を改修するだけでなく、新築のようで且つ住みやすくしており、五千世帯を超える家庭の心を癒やしている。
(慈済月刊七一一期より)


