二千五百年余り前、仏陀は菩提樹の下で「全ての衆生は仏性を持つ」と悟った。その同じ土地で慈済ボランティアは今、長い間のカースト制度による貧困の世代間連鎖を好転へと向けている。
ガイナ・マンジさんは、ブッダガヤの地域ボランティア養成講座に参加し、合掌して『祈り』を唱和していた。(撮影・呂佩玲)
ガイナ・マンジさんは言う。「慈済は、私が物乞いの生活から抜け出すのを手伝ってくれただけでなく、尊厳と自信を取り戻させてくれました。慈済大家族の一員になれたことを、私はこの上なく誇りに思っています。より多くの人に、助けられる立場から助ける立場になってもらうために、私は良い模範になりたいと願っています」。
私の名前はガイナ・マンジです。今年六十五歳で、インド・ブッダガヤのスジャータ村出身です。
私と慈済との縁が結ばれたのは、二〇二三年四月九日、スジャータ村にあるスジャータ寺院に遡ります。その日、慈済ボランティアが村に来て、ゴミやプラスチックを拾い、環境保護活動を行っていました。遠い国から来て奉仕する姿を見て、胸が熱くなり、「彼らができるのなら、なぜ自分にできないのだろう。私も力を尽くすべきだ」と思いました。そこで私は、ボランティアの皆さんと一緒にゴミ拾いを始めたのです。
その後、私の家を訪問したボランティアは、私の暮らし向きが決して良くないことに気づきました。その年の五月から、慈済は私が自立できるようになるまで毎月、生活物資と、労働賃金に相当する現金を支援してくれました。また、ボランティアの皆さんが、生活を改善するために忍耐強く助言してくれたので、私は再び自信を取り戻し、人と人との間にある愛と善意を深く感じることができました。
特に忘れられない出来事があります。その日、村で慈善訪問を行っていた或る慈済ボランティアが、気が立っていた水牛に突き倒されるのを私は目の当たりにしました。その人はその場で負傷し、手足を骨折して、緊急に病院に搬送されました。私はとても胸が痛み、しばらく心が落ち着きませんでした。その期間、私は毎日お寺で、彼女が一日も早く回復するよう心を込めて祈り続けました。
それ以降、慈済ボランティアが村に来て家庭訪問を行う時、私は必ず竹の棒を一本持って同行し、牛がむやみに突進して誰かにケガをさせないようにしました。
この事故を通して、慈済ボランティアは使命感を持ち、見返りを求めない奉仕をして、善意で人助けをしているのだと理解しました。その精神に心から感動すると同時に、彼らを守り、動物をも守ることで、人と動物共に平和に共存できるようにする責任が、私にはあるのだと思いました。
手のひらを上にしていた人が、立志して模範となった
私はかつて、視覚障害者と一緒に物乞いをし、ご飯を食べていました。その時の生活はとても辛いものでした。しかし、慈済と出会い、慈済の支援を得、そして自らも慈済の活動に参加するようになってから、私の人生は一変しました。
私は食事や物乞いに使っていたお椀を持って、スジャータ寺院の仏像の前へ行き、「今日から、もう物乞いはしません!自分の手で働き、慈済のために奉仕し、人を助ける人間になります」と誓いました。あの瞬間、私の心は感謝で満たされ、同時に尊厳と力を取り戻すことができました。
二〇二四年四月、村で大火災が発生し、私の家は焼け落ち、全てを失ってしまいました。しかし、ボランティアの方々が服や靴、生活物資を届けに来て、途方に暮れていた私に再び希望を与えてくれました。慈済は、私が物乞いの生活から抜け出す手助けをしてくれただけでなく、活動を通して、自立心や自信をどのようにして身につけたらいいかまで教えてくれたのです。
私はベジタリアンですが、慈済が地域社会で推進している理念は、私のライフスタイルであるシンプル且つ健康的な、そして善意に満ちた生活と大変よく合っています。私は自分の時間と労力を喜んで捧げたいと思っています。リサイクル活動でも、慈善訪問でも、その全てに喜びと誇りを感じています。慈済という大家族の一員として、自分の村や他の村の困っている人々を助けられることは、この上ない誇りです。私は良い模範となり、より多くの人が、支援を受ける側から、手のひらを下にして他人を助ける側に変わることを願っています。
多くの慈済の活動の中で、私が最も心を動かされたのは「竹筒歳月」精神です。一つの竹筒、一枚の小銭が持つ力を決して侮ってはいけません。それは無数の善意の起点であると私は感じました。たった1ルピーという僅かなお金であっても、誰かを温める力になり得るのです。一人が毎日それを実行し、やがて集団で行い、さらには村全体、ひいてはブッダガヤ全域で呼応する時、その善のエネルギーは、まるで川が大海に流れ込むように、計り知れないほど壮大なものとなります。多くの人の運命を変え、愛と希望を隅々まで行き渡らせることができるのです。
「たとえ貧しい人であっても、自分の能力の範囲内で、生活に支障のない限り、一枚のコインを投じるだけでも、他者に祝福をもたらすことができるのだ」と私はいつも村人たちに言っています。私自身がまさにそのように実践しているのです。収入は多くなくても、1ルピー銅貨を竹筒に入れる時、心の中は喜びで満たされます。なぜなら、それは出費ではなく、与える喜びであり、誰かを助けられるという幸福だからです。この行為は私の人生を非常に有意義なものにしてくれます。貧困は決して障害ではなく、奉仕する心さえあれば、無限の善い結果を創造できるのです。
村人がコインを投じ、笑顔で合掌して祈る姿を見ると、私は心から感動します。それは単なる金銭の寄付ではなく、心からの奉仕だからです。私は、この愛と善行の精神が、私の代から次の世代へと受け継がれ、子どもたちの心の中の灯りとなり、「竹筒歳月」のチリンチリンという音が、代々伝えられる祝福と善の循環となるよう願っています。
ガイナ・マンジさん(右から三人目)の家は2024年4月の大火で焼失したが、ボランティアが直ちに駆けつけて、彼の生活再建を支援した。(撮影・楊文輝)
人助けすることは、自分を変えることでもある
私の心の中では、證厳法師は生きている菩薩であり、真の「生き仏」のような存在です。法師の教えのおかげで私は自分を愛せるようになり、また感謝の気持ちをもって他人を愛せるようになりました。私は毎日、常に感謝の気持ちを心に抱き、福縁を造りだし、生命が祝福の源となるようにと自らに言い聞かせています。
法師のお考えにより、慈済ボランティアがブッダガヤに来られ、私は彼らと出会う機会に恵まれたのです。彼らは愛と行動でもって、「あなたは忘れられた存在ではなく、目に見え、大切にされ、尊重される『一人の人間』なのです」と示してくれました。
ある時、ボランティアの口から、法師の体調があまり良くないと聞いて、私は悲しみと不安に駆られました。毎日、スジャータ寺院に行き、法師が早く回復し、引き続き弘法利生をして、慈悲のある智慧を広めて欲しい、と心からお祈りしました。
私は毎日、出かける前と帰宅後に、壁に掛けられた「福慧お年玉」に向かって両手を合わせ、「上人の足跡に続き、感謝と慈悲の心を抱いて、善を行い、人助けができますように」と祈っています。このような祈りは、私にとって力となり、あたかも法師が側にいてくださるように感じています。
私は、ボランティアの人から携帯電話をいただき、その使い方まで教えてもらったことに深く感謝しています。それにより、慈済との連絡がより便利になり、学びを継続できるようになりました。その配慮のおかげで、私は信頼され、重要視されていると感じ、また更なる人助けするための力をいただいたと感じました。
私の友人であるラカン・マンジさんは、慈済の医療支援を受けました。彼が足を骨折した時、私は彼のために家屋の修繕を手伝い、また、約三週間にわたって付き添って世話をし、入浴の手伝いや家の片付けもしました。あの期間、私は「愛をもって奉仕する」ことと「忍耐強く寄り添う」ことの意味を、身をもって理解しました。
ラカンさんの世話をしていた間に慈済が支援したものは、物資だけでなく、愛と関心でした。ボランティアの人が果物を持って見舞いに来ましたが、彼は時々それを食べようとしませんでした。私は、医者の助言に従ってしっかり食事を摂ることが早期回復につながると、根気強く説得しました。その経験は、「自分の気性を抑え、怒ってはならない。もっと多くの思いやりと慈悲心で以って、彼に接しなければならない」と、私に改めて気づかせてくれました。
私は彼に慈済のストーリーや精神を分かち合いました。初めの頃、彼は法師の話を信じず、慈済に対しても懐疑的で、アルコール依存の習慣から抜け出せずにいました。しかし、私は彼を見捨てることなく、穏やかな言葉遣いと忍耐をもって別の方法で接しました。そして、慈済の医療チームを彼の家に招いて慰問し、長期的な飲酒が身体に与える害や、家庭や社会に与える影響、さらには金銭の浪費について説明してもらいました。
変化には時間が必要です。私は、彼がいつか酒を断ち、慈済に加わって私たちと一緒に善行することを願い、善と自律の道を歩むように、今後も説得を続けていくつもりです。他者を助けると同時に、私自身も変わり、手放すこと、包容することを学び、感謝と善意をもって人々に接することを学びました。
ガイナ・マンジさんはスジャータ村で愛の心を募る活動を行い、小さな雑貨店を経営する村人のマーロさん(写真右)に参加を勧めた。(撮影・袁淑珍)
委員の認証を授かる名誉と責任
二〇二五年十一月初め、私は台湾を訪れて、慈済委員の認証を授かりました。それは私にとってこの上ない誉れであると同時に、より大きな責任の始まりでした。スーツに身を包み、委員証を胸に付けることは、法師への最も真摯な誓いです。
今後、慈善、医療、またはその他の志業のどれであっても、慈済が必要とする限り、または苦難にある衆生が必要とする時、私はより多くの任務を喜んで引き受けたいと思っています。これが、私が法師に対して立てた誓願であり、私の今生の使命です。
法師と慈済家族の皆さんが、慈悲に満ちた仏法の言葉で私を啓発し、導いてくれたことに、心より感謝します。法師のご法体がご健康で、永遠に存在され、これからも仏法を広く伝え、人々を教え導き、そして弟子たちが永遠の依り所とする仏法をもって、実践すべき愛を持ち続けるよう、心よりお祈り申し上げます。
文/王瀅琇(高雄慈済ボランティア)
訳/林欣怡
撮影/鍾文英
「
私には台湾に来て上人にお会いしたいという夢がありました。以前はとても手が届きそうにない夢だと思っていましたが、今は心が落ち着き、緊張もありません」。二年間の養成講座を経て、ガイナ・マンジさんとアミット・クマール・シンさん、ムハマド・アンサール・アリさんの三人のインドの慈済ボランティアは、二〇二五年十一月に台湾に里帰りし、認証を授かった。ガイナ・マンジさんは、愛の気持ちを発心立願した証として、竹筒貯金箱を持参し、法師に献上した。
十一月十日の認証授与当日、インドに長期駐在しているマレーシア・セランゴール支部の蘇祈逢(スー・チーフォン)副執行長と師兄たちが、彼の服装を整えた時、彼は再び感動して涙を流した。「まさか台湾に来られるとは夢にも思っていませんでした。物乞いをしていた人間が、手のひらを下に向けて施す人間になれたのです。私は心から感動し、感謝の気持ちで胸がいっぱいです」。
仏陀の故郷は、この世で仏教を実践する道場となり、寄り添いケアを施すだけではなく、仏法のもう一つの側面が広まった場所だと言えよう。
物乞いをしていた体を今真っ直ぐに伸ばし、ガイナ・マンジさんはこう言った。インドに戻ったら、引き続き竹筒募金箱を作って愛の心を募るつもりで、もはや劣等感を感じることはないと語った。なぜなら、彼はもう顔を上げ、喜びに満ちて人間菩薩として生きていくことができるからだ。
「私は人と人との間には愛と善が存在するのだと深く体得しました。ブッダが召し上がったお粥と同じように、魂を養い、人生に希望という灯りを灯すものなのです」。
(慈済月刊七〇九期より)


