リサイクルステーションに来て 若返った
シニア世代がリサイクルに参加することで、
健康促進の効果が実証された。
毎日「運動する、頭を使う、人と交流する」こ… Read More »
絶えず真理と向き合う
日々、真理と向き合って暮らす
真理と向き合い、清らかな本性が現れれば、
迷いが智慧に変わる。… Read More »
五月の出来事
05・04
慈済基金会はポーランドでのウクライナ難民支援で、本日、「ポーランド女性キャン基金会」と慈善活動に関する… Read More »
NO.306 世界に目を向ける
中国四川省涼山州喜徳県の住民は、少数民族の彝族が主体である。地方の学校は全般に浄水設備が不足しており、教師や児童・… Read More »
終の住処に・新たな原住民集落となった再建
慈済が建設支援を行った、
台中市山間部の花東新村と自強新村で入居開始… Read More »
収まらない戦火 故郷を思うウクライナ難民
ロシアとウクライナの戦争が始まって久しい。
今年二月から第二次世界大戦以来ヨーロッパ最大規模の戦争である。
ポーラ… Read More »
「徳運丸」を下船してミャンマーに帰った─かつては船長 今はボランティア
台湾に二年余り滞在した後、
やっと故郷のミャンマーに戻った徳運丸の船長は、
彼らが困難に陥っていた時、
慈済ボラン… Read More »
衆生で福を分かち合う・天国も地獄も人間にある
人の力を微々たるものと軽視して、
僅かなお金と馬鹿にしてはいけません。
僅かな額も積み重ねれば、
無限に苦難にある… Read More »
心が通じ合えば、世に幸せがもたらされます
衣食足りた生活と雨風をしのぐことができる家があることは、
なんと幸せなのでしょう。
このような幸せも人心が通じ合う… Read More »
人間で安心して住めるように
三月初め、ウクライナとロシアの戦火に怯える中、多くのウクライナ人が追われるように故郷を逃れた。慈済は人道支援活動を… Read More »
スマホ世代が古典文学を好きになった時
問:私は若い時、中国文学でも西洋文学でも古典を読んでとても感銘を受けたのですが、子供にも文字の魅力を知ってもらい、… Read More »
荒涼とした戦場 ホタルが淡い光を放つ
私たちは高いリスクを冒しながら、各機関に防疫物資を届けた。
ここは戦場ではないが、見渡す限り荒涼とした感じを受ける… Read More »
今月の内容
編集者の言葉
特別報道
表紙の物語
世界に目を向ける
證厳上人のお諭し
健康の玉手箱
親と子と教師、三者の本音
国際慈善
行脚の軌跡
五月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。