緊急支援のために十二の国と地域から慈済ボランティアがポーランドに集まったが、戦争が膠着状態になるにつれ、中長期的な支援計画も展開しなければならなくなった。
薬や食べ物を既にウクライナに送った今、ボランティアは周辺国でも、協力パートナーと共に避難民の心身の支援について話し合い、復興への道を切り開いている。
二月下旬にロシアとウクライナの戦争が始まってから既に百日あまりが経過した。ウクライナ東部は依然として激しい攻防が続いているが、首都キーウ及びドニエプル川西部地区はほぼ緊張状態を切り抜け、ポーランド、モルドバ、ルーマニア等近隣諸国に留まっていた多くのウクライナ人が帰国の途につき始めている。国連難民高等弁務室(UNHCR)の六月十五日時点における統計によると、ウクライナを逃れた人の総数は七百五十万人を超え、そして国に戻った人数も二百四十万人余りに達した。ポーランドで慈済の支援を受けた多くのウクライナ人も近日、国境を越えて家路に就いた。
一部の地域では戦争による脅威が弱まった。ポーランドの東南部やウクライナとの国境に接するメディカでは、ウクライナ人女性が子どもたちを連れて国境の検問所を越えて、故郷へ戻る長い旅路についていた。
衣類、食糧 そして思いやり
曽氏によると、慈済はウクライナにもポーランドにも拠点はないが、国際的な団体と協力体制を取ることで、問題なく人道支援物資を最前線まで運ぶことができ、これは今回の国際支援における最大の突破口となった。彼女が慈済本部を代表して各国の慈善団体と詳細を協議した際には、人を以て鑑と為すという言葉通り多くの知見を得たそうだ。
「カミロ修道会の運営方法は、慈済と非常によく似ています。普段は貧しい人々に対してチャリティー訪問していますが、災害が発生した際は、直ちにそのチャリティー訪問チームから一チームを出して、緊急の難民支援プロジェクトに投入します。私たちが四月にポーランドのワルシャワにある中央駅に赴いた時には、駅のホールに会の相談サービスセンターが開設されていました。また、駅の外には二つのテントが張られ、テントの一つでは洗面用具や簡単な携行食などの生活必需品を提供し、もう一つのテントでは朝昼晩三食の温かい食べ物を提供しており、避難民の証明書を提出すれば無料で受け取れる仕組みになっていました」。
カミロ修道会はポーランドの主要駅に拠点を設置しただけでなく、ウクライナ避難民が他の国や都市に向かう際の乗換駅として利用するモルドバやルーマニアの駅にも拠点を置いていた。カミロ修道会が設置した拠点では、通信会社や社会福祉団体または熱心な人々にプラットフォームを提供し、食糧や必需品の補給、通信サービスに至る相談窓口として、避難民の心と地域社会を安定させる上で大きな役割を果たしている。
応急的なサービスのほか、ポーランドのカミロ修道会は自国の貧しい人々や病人が留まる場所を開放し、避難した人々が身を寄せられるようにした。慈済ボランティアが路上生活者の避難施設を訪問した際、多くのウクライナ人女性と子どもたちに出会った。戦争による傷が深いためか、母親たちは初めて見る見慣れない東洋系の顔を見て、いまだ警戒を怠らずにはいられないようだったが、子どもたちは好奇心からすぐに、この少し違う人々のグループに近づいた。
「これら母親たちが受けた傷は目に見えませんが、彼女たちは夫や子どもの話になると、自分の夫や子どもはまだウクライナにいて、故郷を守っているので、誇りに思っている、と言いました」。曽氏は母親としての強さの背後にあるもろさと悲しみを見たように思った。
彼女たちは物資の支援と精神的な膚慰(触れて慰めること)を必要としていた。慈済ボランティアは、仕事を与えて支援に替える活動に参加者したウクライナ人の母親たちと共に、ワルシャワ市の中心部から二十分の距離にあるロミアンキカミロ修道会の拠点に行き、そこに留まっているウクライナ女性や子どもたちのためにイベントを行った。
「頭、肩、膝、つま先…」。毎回の配付会場で、司会を務めるボランティアのアナスタージア・マラシェンコ(Anastasia Malashenko)さんは、この時は躍動感たっぷりにレクリエーションの責任者となり、大人や子どもたちに膝を屈めたり腰を曲げたりさせ、体を動かす指導をした。また、隣の教室では、ボランティアのおばさんが学齢期前の小さな子どもたちに、色紙に小さな手をあてて輪郭を描き、丁寧に切り取って、「指の花」作りを教えていた。そのつたない作品を、離散の苦しみを味わい、子どもたちを連れて避難した母親たちに贈った。
駅にある拠点や難民避難施設のほか、カミロ修道会は年輩の方々のために、最期を穏やかに過ごせる場所も提供している。首都ワルシャワから車で二時間半のジャストンには、百年を超える歴史あるカミロ修道会病院がある。規模は大きくなく、病床は六十床しかないが、そのうちの二十床をウクライナから避難してきた末期患者の緩和ケアのために確保した。
「彼らは一般の難民避難センターには行けません。カミロ修道会が病床を提供することで、このような人々が人生を終える時、少なくとも屋根のある場所で、持つべき尊厳を保っていられることができるのです」と曽氏は感動しながら言った。
正教やカトリック教を信仰するウクライナ避難民にとって、カミロ修道会等キリスト教の背景を持つ支援団体は、食糧や衣服といった形あるものを提供するのみならず、精神的な面でも支えになる。遠くから来た慈済は、宗教的背景は異なるが、誠意と熱意で同じように彼女たちの心を温めている。
モルドバとウクライナは国境を接しており、国連児童基金(ユニセフ)は、国境脇の都市パランカに臨時休憩所「ブルードット」を設置した。慈済のチームはそこで運営方法を学んだ。
難民支援は一朝一夕にして成せることではない
もう一つ、重要な国際組織である国連児童基金(ユニセフ)は、科学的かつ専門的なアプローチを行う。大規模な社会プロジェクトのように、体系的に順を追って傷を負った多くの人々の心を癒す。
「私が最も感じたことは、国から地域社会に至るまで、彼らは長年の経験で培った一連のプロセスやメカニズムがあることです。例えばポーランドでは、彼らは教育省や内務省、外務省などの部門と連絡をとり、その後、避難民を受け入れている各地域と連携しています。どの地域にも地域ごとに意思決定権があります」。
国連児童基金(ユニセフ)と接触後、曽氏は難民事務について、責任は重大で前途は遠く簡単ではないことを一層強く実感した。シリア難民が身を寄せている中東地域から、大勢のミャンマー難民を受け入れているタイやマレーシア、そして混乱がいまだ続くアフリカのスーダンまで、世界中の難民がいるほぼ全ての場所には殆ど、国連児童基金(ユニセフ)の「ブルードット」がある。このような女性や子供を専門的にケアする拠点は、基本的な食と住等の生活を支える保障のほか、専門のソーシャルワーカーや訓練を受けたボランティアがおり、心理カウンセリングや法律相談、家族や親せきを探すサービスを提供している。
曽氏は、いくつかのブルードット・サービスセンターの子どもたちの活動スペースで、沢山のありとあらゆるおもちゃや文房具が並んでいるのを目にした。子どもたちは指導員に付き添われて、遊びながら行う作業療法に参加し、言葉にはできない心の傷を癒している。
「このような専門家は毎日、戦争や避難、人身売買などの悲惨な話を耳にし、およそ二カ月で心に傷を負います。従ってブルードットは、第一線で働くスタッフの心身ケアをする機能も持ち合わせています」と曽氏は付け加えた。
慈済等の慈善団体が難民の自立を支援するように、国連児童基金(ユニセフ)も就労による支援を推進している。彼らはウクライナ籍の教師や医療分野の専門人材を雇用し、研修を経てポーランドやモルドバ、ルーマニア、ひいてはウクライナ本国で避難民の子どもや女性に対する心理カウンセリングや福祉サービスに当たってもらっている。活動の規模は大きく、その恩恵を受ける人は沢山いるが、直ぐに効果が表れるわけではない。
「彼らの難民救済プロジェクトは、外部の人が考えるほど早くは進みません。子どもや女性たちが心身に受けた傷は、医師による一度の診察や、心理カウンセリングだけで回復するようなものではないのです。これには多くの時間と忍耐が必要です」。曽氏は理解したことの感想を述べた。
モルドバとウクライナは国境を接しており、国連児童基金(ユニセフ)は、国境脇の都市パランカに臨時休憩所「ブルードット」を設置した。慈済のチームはそこで運営方法を学んだ。
愛の物流 ウクライナ各地に
心のリハビリは急いではならず、早く回復するものでもない。しかし支援物資の供給は遅らせてはいけない。慈済は強大な物流管理能力を持つイスラエルのNGO団体・イスラエイド(IsraAID)と協力に関する覚書きを交わした。
「彼らは専門のソフトウェアを駆使して、ウクライナの様々な病院のニーズを収集し、リスト作成後はフランス・ドイツ・アメリカ等のNGOとコンタクトをとり、現在どの病院がどんな物資を必要としているのか、食べ物は何が必要か、寄付された物資を受け取るのはどの団体になるのか、これらが明確に分かるのです。ルーマニアのトゥルチャ物流センターは、非常に重要な役割を果たしています」。
慈済の物質をウクライナ国内に運び入れる道を開けないか、曽氏はそのためにルーマニアとモルドバに行って、イスラエイドの現地駐在職員と面会した。この団体は、ロシアとウクライナの戦争が始まるとすぐに、ルーマニアのトゥルチャに大型の物流倉庫を作り、ヨーロッパから来た輸送トラックが運んでくる物資を受け入れている。ここで積み荷を降ろしてもらい、分類し、その後、ウクライナの南部と東部に輸送している。協力パートナーの強力なバックアップの下、慈済の食糧パックや医療セット、薬及びエコ毛布は既にウクライナのオデッサ、ハルキウなどの地に送られ、支援の役目が果たされている。
イスラエイドはルーマニアのトゥルチャに物流センターを作り、支援物資を輸送している。ここで慈済のチームはその管理や追跡システムについて理解を深めた。双方の協力により、慈済の物資はウクライナ国内の物資を必要としている人々の手元に無事届けられた。
責任は重大で前途遼遠 ソフト・パワーで
「心身に傷を負っている子どもに、すぐに元に戻るよう促すことはできません。傷を癒すために、時間をかけて付き添う必要があるのです」。戦争はまだ終わっておらず、この回復の道は皆が思っているよりも長く、時間がかかる。しかしながら協力パートナーと共に避難民をケアすると同時に、慈済の特色は繰り返しはっきりと再現され、傷ついた人々を元気づけるための重要なパワーになっている、と曽氏は述べた。
「これは證厳法師が常に仰っていることです。困っている人を支えるために膚慰(触れて慰めること)するには、単に与えるだけでなく、感謝の気持ちで恩返しする心を育むことが大切なのです。従って私たちはポーランドでの配付会場でも竹筒募金箱を置き、お互いに助け合えるよう、ウクライナ避難民にも愛の寄付を募っています」。曽氏は、「道のりが長ければ実力が分かり、月日が経てば効果が見えてきます。強い忍耐をもってこれら苦しんでいる人たちに寄り添い、他の団体と共に、分業で協力して今回の人道支援を進めなければなりません」と思いを語った。
慈済とカミロ修道会の提携では、避難民の心のケアと技能向上に力を入れている。また国連児童基金(ユニセフ)のブルードット・サービスセンターの力を借り、離散した女性や児童に向き合って心理カウンセリングを行っている。同時にこのような団体に助成金を支給して、仲間をサポートするウクライナ人ソーシャルワーカーやカウンセラーを雇用してもらっている。
また慈済は、緊急に必要とする薬品や医療設備、公衆衛生関係の物資などについては、エアリンク、アドラ(セブンスデー・アドベンチスト教会国際NGO)、プロジェクト・ホープ、ワールド・ホープと協力し、物資を直接ウクライナの医療機関に送っている。
訪れた場所が増えれば増えるほど、社会の苦境も多く目にし、憂いも多くなる。論語に「徳は孤ならず必ず隣あり」とあるように、支援の長い道のりで、慈済は必ず課題に直面するが、「自分が無私であると信じ、人には愛があることを信じる」という信念に基づいて、協力パートナーたちとお互いに助け合いながら、人々の苦しみを取り除いて幸せをもたらすという願は、一歩一歩着実に進むことで実現するのである。
(慈済月刊六六八期より)