福と縁に恵まれたら、人々の為に力を尽くしましょう

(絵・林淑女)

世の中で貧困病苦の人を目にしたならば、縁があるところから奉仕しましょう。
あらゆる人の愛の心を借りて、互いの力を活かし、どんなに遠いところでも、私たちは行き着きます。

この世で避けて通れないのが「苦」です。人間(じんかん)で苦しみのない所はなく、どんなに裕福な人でも苦があり、完全無欠で悩みの無い人生は存在しません。今、天気がとても暑いのは、あなたも私も感じることができ、苦もまた、誰もが感じるものです。生老病死の苦しみは、凡夫にとって受け入れ難いことですが、悟りを開いた人が苦を感じないわけではなく、徹底して理解しているため、それを自然の法則と受けとめ、軽やかで自在になることができるのです。

更に苦しいのは人心の煩悩と無明であり、人同士仲良くすることができず、国と国の争いに発展します。この数カ月間、ロシア・ウクライナ戦争で、どれほどの人に影響を与えていることか。また心に蔓延する貪欲で過度の消費と浪費をもたらし、商品を高価に見せるために行き過ぎた包装をすることで、益々資源を消耗しています。慈済のリサイクルセンターには、新品の衣類が寄付され、積み重ねられています。中には商品札が付いたままのものもあります。過剰なのは衣類だけではなく、食べ物もとても多いのです。しかしながら、世の中には食糧困難に陥っている人たちが本当に大勢いるのです!

豊かな国は享受を追求し、貧しい地域は取り残されたままですが、人は同じ地球の上で共同生活をしているのです。皆が欲を押さえ、今あるだけで満足すれば、余裕が生まれるでしょう。お腹いっぱい食べず、適度にし、腹八分にすれば、二分で人助けすることができ、飢餓に陥る人は少なくなるのです。

ネパール国際仏教協会と慈済は共同で、ルンビニという小さな村に医療施設の建築を支援しました。マレーシアとシンガポールの慈済人は七月に、その施療センターの工事の進み具合と腎臓透析センターの運営状況を視察するため、村落を訪問しました。その数カ月前、マレーシアの陳吉民(チェン・ジーミン)医師は、ルンビニ村を訪れた時、幼い子供が腹這いになって口で哺乳瓶を探しているのを見て、とてもショックを受けました。彼は見かねて、子供の頭を支え、ゆっくりミルクを飲ませました。子供の両親も障害者で、付近の畑で日雇いの仕事をしています。その子の姉は、学齢期にも関わらず、台湾のお金にして百四十元の学費が払えないために、学校に行くことができないでいました。

これが当地の悪循環の状況です。子供は学校に行けないため、文盲となるため、成長してからの労賃は低く、一日の収入は台湾元にして数十元にしかなりません。そして、人によっては生活が困難に陥ると、地面に座って、情け深い人からその日の食べ物を恵んでもらうのを待つしかないのです。

仏陀の故郷ルンビニには多くの観光スポットがありますが、どれだけの人が、苦を見て福を知ったり、苦難の人を見ても、どれだけの人が忍びない気持ちになったりするでしょうか。慈済人がその家族を見つけた後、取り急ぎ食糧を届けて、暫しの困難を解決し、その後、娘の入学手続きを手伝いました。広い世間の中で、この時に出会ったのも何かの縁でしょう。菩薩の両手に触れ、菩薩の慈悲の目に留まって救われたのですから、彼らは幸福な人たちなのです。私は苦難の人たちに代わって喜びを感じ、また彼らを祝福します。
 
私は仏陀生誕の地であるルンビニに行くことはできませんが、私と心を一つにした、思いやりのある弟子たちが、私の代わりにそこに行き、そこで現実的な建設をして、医療と慈善志業の推進、つまり師父である私の志を完成し、仏恩に報いてくれました。この菩薩たちが私の力となって、仏陀の正法を仏陀の故郷に取り戻すことで、仏法が盛んになることを願っております。
 
仏陀がこの世に来た一大因縁とは、人々を世の苦難にある衆生を助ける善行へと導くことです。二千五百年余りが経過した今、私たちはその因縁を逃さず、「師の志を己の志とし、仏心を己の心とする」ことであり、「仏教の為、衆生の為」という責任を両肩に担い、心を開いて、天下の衆生に対して己の責任を果たすのです。
 
私たちは世のあらゆる衆生を救うことはできませんが、尽力することはできます。人間(じんかん)の苦難を目にしたならば、自分と縁があるところから奉仕すればいいのです。一人でできなければ、口伝えに良い話で良い人を導き、人々の一点一滴の愛の心を借りてお互いの力を活かしていけば、苦難の人が何処にいようとも私たちは助けることができるのです。
 
慈済人は心、願、力をもって見返りを求めない奉仕をし、両手を合わせて感謝しています。これはなんと美しい世界なのでしょう。人生の価値はこうして向上するのです。このような様子を見ると、私はいつも心の中に感動と感謝の気持ちが湧き上がるのを禁じ得ません!心に愛が溢れています。愛をもって奉仕することは、自分を祝福することであり、世に幸せをもたらすことは、自分を幸せにすることです。
 
仏法をこの世に根付かせましょう。もし仏に学んだことを実践せずに、口先だけで終わらせるならば、同じ場所に留まっているだけです。永遠に探りを入れる段階のまま、却って道を塞いでしまいます。ですから、私は皆さんに愛の力を啓発するよう呼びかけ続けているのです。皆さんも私の声を自分の言葉にして世に届け、良い話をたくさんして欲しいのです。皆さんが足ることを知って感謝し、思いやりを長く持ち続け、愛の道を広く敷き、両手を広げて衆生を抱擁してください。皆さんの発願した一念に良い縁と力が相まって無量の福となり、世の中の貧困と病の苦難にある人々が救われることを願っております。

(慈済月刊六六九期より)
    キーワード :