人を傷つける両手が愛を抱く

「人生がなぜこんなにも苦しいのか分からず、暴力をふるって人を傷つけたことがありました。今はその両手で人を抱きしめています。私も人のために何かすることができるのです」—アメリア

もし、毎日往復約五十分かけて生活用水を運ばなければならないとしたら、あなたは他の人に分け与えるだろうか?或いは、自宅から慈済の拠点まで二時間余りかけて歩いた後にバスを四回乗り継がなければならないとしたら、続けて通うだろうか?それからもし、片方の腕が骨折した場合、もう片方の手で慈済の志業をして、慈済のことを語り広めたいと、あなたは望むだろうか?

静思精舎の證厳法師の応接室で、モザンビークの蔡岱霖(ツァイ・ダイリン)師姐(スージエ)が普通と違った話を報告した。モザンビーク・マプト市郊外の農村で、曽て「不良娘」だったアメリア・ファビオ・チリンジザさんについての話である。

世を恨んだが 奉仕で倍にして恩返し

アフリカ南東部に位置するモザンビークは、世界でも最貧国の一つだ。貧しい家庭に生まれたアメリアさんは学校にも行けず、幼少の頃から家庭内暴力を受け、家を出たいがために早く結婚した。一度は軍に入隊したが、そこでも辛い目に遭った。退役した後は夫に見限られ、家族からも追い出された。そのせいで彼女の心には恨みが積もった。人から笑われたり侮辱されたりすると、いつも手を出して反撃の行動をとってしまい、相手に向かって刃物を振るったこともあった。「人よりも強く出れば、みんなは自分を恐れるだろう」と考え、凶暴さを表に出していたので、怖がる人は多かった。

彼女は、生活の苦しさをアルコールとタバコで誤魔化していた。ある時、異性の人と飲んでいると、危うく性的暴行の被害に遭うところだったが、逃げ出すことに成功した。どうしてこんなに私をいじめるのかと、彼女は憤りを覚えた。

仕返しをしたいという気持ちが募り、ある日の寝静まった夜、彼女は相手の家にこっそり火をつけ、「燃やして殺そう」と思った。相手は驚いてその場を逃れ、軽傷で済んだ。警察は放火の犯人を見つけることができず、事件は未解決のままになった。その時、彼女は自分が悪いことをしたとは思っていなかった。

一人息子が罪を犯して服役したので、彼女は二人の孫を養うことになったが、情緒は極めて不安定だった。二〇一三年に慈済ボランティアが彼女のことを知り、関心を寄せて声をかけ、熱心に彼女をマプト市にある「慈済の家」での勉強会に招いた。蔡さんは今でもその時のことをよく覚えているそうだ。「彼女は人を信用していなかったので、とても怖い目つきをしていました」。

思いもよらず、「慈済の家」に来て、蔡さんの語る法師の開示や慈済十戒を聞いた彼女は、とても熱心に心に刻んだのだ。その時からボランティア活動にも参加するようになった。ボランティアが通訳してくれる法師の開示を何度か聞いた頃、彼女は手をあげて、ずっと疑問に思っていることがある、と言った。「なぜ自分の人生はこんなにも苦しみが多いのですか」。

その頃、法師が語っていたのは「貪欲、瞋恚、愚かさ、慢心、疑心」という五大煩悩についてであった。集まった人々で感想を述べ合った時、彼女は、「その五つの毒ですが、私は全て持っています」と正直に言った。自分の人生がこれほどうまく行かないのは、「ずっと業を造ってきたからです。多分これまで悪いことをし過ぎたのです」と言った。

法師の教えが彼女の心に光を灯し、暗闇に覆われていた心が明るくなった。夢にうなされて目覚めた時のように、彼女はやっと分かったのだ。自分は今までなんと馬鹿げたことをしてきたのだろう、と。
彼女はとても恥ずかしくなり、みんなの前で涙を流しながら懺悔した。「どうしたらいいのでしょうか。私の人生はこのままで終わるのでしょうか」。

アメリアさんと2人の孫娘の暮らすマプト市の住居は粗末で、生活は苦しいが、いつも進んで自分よりも苦しんでいる人を助けている。

夢から覚めたように人々の前で自首した

人の役に立つことをすべきであり、「それは今までの過ちをあがなうためにするのではなく、福を蓄積するためなのです」という法師の教えを聞いた彼女は、仏法の「因縁果報」について少しずつ理解を深め、悪い考えを捨てて、自分を変えるのだと覚悟を決めた。「願をかければ力が湧いてくる」もので、彼女は勇敢に第一歩を踏み出した。まず、飲酒喫煙をやめ、村の人々に思いやりを寄せることを始めた。

毎回の勉強会で『静思語』を通して、彼女は真っ当な人間としての道理を一つひとつ理解できたので、少しずつ、みんなに自分の考えを発表する自信がついてきた。教育を受けたことのない彼女は字が読めなかったが、慈済ボランティアに懇切にお願いして読み書きを教えてもらった。『静思語』絵本にある法師の教えを読み、「みんなと分かち合いたかった」からである。

ある「證厳法師が語る物語」の動画を見た彼女が感動に打ち震えていたことを、蔡さんは印象深く覚えている。その内容は、あるお金持ちが自分の傲慢さから様々な悪習に溺れ、ついには全ての財産を失ってしまうというものだった。

その話は彼女に深い影響を与えた。彼女は改めて自分の過去を振り返り、自分の悪習が分かったのである。引き続き村の人々への訪問ケアに専念し、勉強会で仏法を聞くうちに、心から自分がこれまで傷つけてきた人たちに申し訳ないと思うようになった。二〇一九年、間もなく台湾に帰って法師から認証を授かろうとしていた時、懺悔の気持ちは一層強まった。

彼女は敬虔な心で人々に語った。「私は間もなく法師の弟子になります。今までできませんでしたが、必ずこれまでに傷つけた人たちを訪ねて、謝って許しを請いたいと思っています」。

そして、彼女は自主的に、刃物をふるって傷つけた女性の家や放火した家を訪問し、許してもらえるよう心から詫びた。

相手はどちらも、「そんなことできるわけがない。絶対に許さん。この程度では謝ったことになっていない」と怒りを露わにした。

「私はどうすればいいのですか」と彼女が尋ねた。

相手は、警察に自首し、村人全員を集めて、みんなの前で自分たちに謝ってほしいと言った。

彼女はその要求を受け入れ、村の酋長と村長、村人全員に集まってもらった。大きな木の下で、警察も同席している中で、彼女は一つひとつ自分のしたことを告白し、許しを請うた。

そして警察に、あの放火犯人は自分だと告白した。

このように勇気を出して敬虔な気持ちで懺悔したことで、その場にいた全ての人が心を動かされた。そしてやっと彼女が心から懺悔していることが伝わり、みんなの許しを得た。警察も彼女に深く心を打たれ、情状酌量の余地があるとして、逮捕せずに処理した。

それ以降、村人の間で争いが起きると、警察は彼女に調停してほしいと連絡するようになった。彼女が自身の経験を語れば、一番説得力があるからだ。

「今では警察も私の友人になりました。法師の『静思語』を分かち合っています」と、彼女は言った。

2020年サイクロンの被害を受けた中部のニャマタンダで、アメリアさん(右2人目)はボランティアを案内して視察した。温かい食事を提供し、白米を配付して住民に寄り添った。(撮影・蘇柏嘉)

物資はなくなってしまうが、愛が枯渇することはない

アメリアさんは農業で生計を立てて二人の孫娘を養っている。刑務所に息子さんを見舞う時は、『静思語』絵本を忘れずに持参し、刑務所の職員にも息子にもその内容を紹介している。母親の教えと導きによって、息子も少しずつ変わり、服役を終えたら、母親と一緒に慈済ボランティアをしたいと望むようになった。

心がけが変われば、境地も変わり、家族にも変化が現れた。彼女は、「慈済という大家族が私を受け止め、受け入れてくれたことに心から感謝しています」と言った。

「私が不良娘だということは、村中の人が知っていて、みんな私を嫌って避けていましたが、慈済の皆さんだけは、真心で接してくれました。私に付き添って、私を変えてくれたのです」。

モザンビークは熱帯のサバンナ気候に属し、よく旱魃が起きて水不足になる。数年前、慈済ボランティアが台湾からマプトの連絡所を訪れた時、マフボ地区で初めて認証を授かった現地委員のアメリアさんの家を訪問した。そして、彼女の生活が苦しいことを初めて知った。

皆で遠く離れた草原を渡って、アメリアさんの木と泥でできた家にたどり着くと、中は家具も何もなく、仕切りが一つあって、ベッドが一つ置かれてあるだけで、その横は草ぶき屋根のトイレだった。生活用水は、二十分ほど歩いて溜池か川べりに水を汲みに行く。水は濁っているので、家に持ち帰ってしばらく置いてから使えるようになる。貴重な水だが、彼女はその水を近所に住むお年寄りと子供で生活している家に分け与えている。真心でケアし、世話しているのだ。

彼女の大変な暮らしぶりを見て、慈済のケア世帯として支援を受けないのはなぜかと尋ねた。

彼女は真剣な表情で答えた。「ケア世帯として支援を受けても、配付物資はいつかは使い終わります。しかし、ボランティアとして奉仕して愛を奉仕すれば、もっと多くの愛が得られるのです。法師様は完全に私の人生を変えてくれました。命の限り尽くすこと、私には人のために尽くす力があるのだと教えてくれたのです。自分のことだけを考えるのではなく、まず人のことを思いやり、無私の大愛で全てを許し、愛し、思いやるのです。もっと多くの人が私と同じように変わることを願っています。変わることでもっと楽しく、もっと平和に暮らせるようになるからです」。

アメリアさんの影響と励ましで、マフボ地区にはすでに五十二人のボランティアが誕生し、三百世帯余りをケアしている。

アメリアさん(中央)は2019年に台湾で認証を授かり、慈済委員となった。蔡さん(右)は彼女の変化を見届けた。(撮影・梁榮為)

良いことを分かち合う 出会った人に話す

この九年間、アメリアさんの償いの道のりは容易ではなかった。とても大変だったとも言える。彼女がどうやって慈済連絡所まで通っているのかを知るために、ボランティアは一緒に帰宅してみたのだが、その時初めて、どれほど大変なことかを体験した。

彼女の住む村から慈済の家までは、車でも片道二時間はかかる。貧しい彼女は車を持っていないので、徒歩とバスを使うしかない。勉強会の日には、早朝三時二十五分に家を出て、まだ暗い中をバス停に向かうのだが、途中で水に浸かりながら川を渡らなければならない。約二時間二十分かけて歩いた後、バスを四回乗り継いでやっと辿り着くのだ。

しかし、「心が近ければ道は遠くない」と言う彼女は、大変なことだとは思ってなく、不満を言ったこともない。彼女は慈済の家で奉仕をしたいと熱望しているし、法師の教えを学べる縁に恵まれたことの有難さが分かっているので、この縁をしっかりつかみたいと思っているのだ。

法師は、「出会う人々に、慈済について、環境保護について語ってください」と言っている。アメリアさんは「教えに従って実践」している。もう一人のボランティアであるパウロさんと同様、二時間余りの道のりで、出会う人に歩み寄って話をし、慈済に招いている。バスを待つ間も人々に「慈済の家」のことを話し、一緒に学ぼうと声をかけている。

『静思語』:「人生の豊さは物質ではなく、心にあります」。この言葉はアメリアさんの心に深く刻まれ、彼女は思いやりを持って人に愛を示している。

二〇一九年、強いサイクロン・イダイがモザンビークやジンバブエなどの国に甚大な被害をもたらした。慈済は、モザンビーク中部の被害が大きかった地区で緊急支援した後、人々の生活の再建を始めたが、慈済ボランティアが常駐して支援をする必要があったため、アメリアさんは手を挙げ、南部のマプト市から中部に移り住んで奉仕し、「慈済精神を当地に紹介する」ことを発願した。

彼女は中部の被災地に入って第一週目、ニャマタンダ地区の村で慈済について紹介した帰り道、スピードを出しすぎたオートバイに衝突されて、左腕を骨折してしまい、急ぎ病院に行ってギブスをはめることになってしまった。

それでも彼女は故郷に戻って休みたいとは思わなかった。「南部から来たばかりで、やるべきことがたくさんあったからです」。蔡さんは法師の教えを思い出した。「今有るものを見るべきで、無いものを見てはいけません」。そして彼女を励ました。「手はもう一つありますから、ボランティアできますよ」と。

彼女はすぐに答えた。「そうです、それに私は言葉で人々を慈済の志業に招くことができます」。

ある日彼女は、事故の相手に申し訳ないと思っていると言った。以前の彼女だったら、絶対に怒りを相手にぶつけていただろう。しかし今は、相手も驚いたはずだと思いやることができる。相手も脚に怪我をしたのである。

彼女はぶつかって来た人を探した。それは「賠償」を求めるためではなく、謝りたかったからだ。「私が気をつけて歩いていなかったから、彼はぶつかって来たのです」。

彼女の真剣な精進と広い心は、マプト地区の現地ボランティアと、特にニャマタンダ地区の新人ボランティアたちに、大きな影響を与えた。彼女の生活はいまだにとても貧しいが、慈済を通して、自分よりもっと辛い人を見て来ており、「実際、私にはまだ尽くす力があり、他の人を助けてあげられるのです」と語った。

今年六十六歳になる彼女は、人生の時間を無駄にせず、最期までボランティアをしたいと願っている。そして彼女の歩みが、多くの人の愛を啓発している。

「今、私たちは、アメリアさんが幸せで、彼女の魅力的な笑顔を見ることができます。みんなは彼女の笑顔を見ると『とても癒される!』と言います」。蔡さんは、法師が辛抱強く導いてくれたことに感謝している。ボランティアの温かい無私の心からの長期ケアのおかげで、アメリアさんは人生を再出発することができた。勇気を持って奉仕すれば、愛は永遠に枯渇することはない。

(慈済月刊六六五期より)