防疫模範生が焦眉の急を告げる

今年の上半期、慈済ベトナム支部は六千九百世帯余りに支援物資を届けた。普段なら困難なことではないが、コロナ禍の下では実に容易なことではない。

ボランティアが感染者でないことを保証するために、体調報告をしなければならない。

車の乗車人数も定員の半数を超えてはならず、彼らが接触する人々にはマスクを持っていない人もいる。ボランティアが外出しなければならない理由とは何だろう。

二〇二一年四月、アジアのコロナ禍は再び爆発的に厳しさを増し、東南アジア諸国の中で九千八百万人の人口を抱えるベトナムは、四月下旬に感染がピークに達した。六月中旬時点で、累計感染者数が一万人を超えたが、人口比で見ると、他のアセアン諸国と比べたらまだ「優等生」とも言えた。近隣諸国と比較してはるかに低い比率を維持できた理由は、政府の断固としたコロナ対策にあると言える。感染者が出た地区は直ちにロックダウンを実施したり、工場を閉鎖した。また感染者は直ちに病院に移送して治療を受けさせ、他の住民は外出自粛をして自宅待機し、再び解除されるまで政府が物資を届けるようにしている。

このような厳しい隔離措置は、感染拡大を断ち切る効果があり、感染者数も低い比率を維持できたのである。しかし、経済や国民の家計に大きなダメージを与えた。困難を共に乗り越える日々の中で、歯を食いしばってやり過ごす人もいれば、それを続けることができない人もいる。

「二〇二〇年から現在に至るまで、私だけでなく、全ての人の生活が覆されました。多くの企業は倒産し、人々は職を失い、どこへ行っても感染が心配になり、皆がパニックに陥ってしまったのです」。外資系企業に勤めているグエン・ティ・ル・ホアさんはこう語った。ホーチミン市で再び感染が確認されると、政府高官は、現地の工場従業員は近隣のタイニン省の工場に出勤してはならないという命令を出し、送迎バスも運行休止になった。

財務および経理の責任者である彼女は在宅勤務になったが、誰もがそうできたわけではない。「昨年、感染が拡大して以来、会社は運用コストを削減するために、従業員の五割を解雇しなければなりませんでした。他の仕事が見つかる人もいれば、見つからないまま失業手当を受け取るしかない人もいます」。

ベトナムの慈済ボランティアは今年1月、タイニン省友好協会と協力し合って、貧困家庭1世帯当たり10キロの米と物資セットを寄贈した。

場所と回数を増やして配付する

元々、比較的弱い立場にある家庭以外にも、コロナ禍で生活が困難になる人は増え続けている。ベトナムの慈済ボランティアは、政府と共に生活支援物資の配付を開始した。今年一月から五月にかけて、ボランティアはハイズオン、タイニン、チャーヴインの三つの省と南部の大都市であるホーチミン市で支援活動を実施し、六千九百世帯余りの生活困窮家庭に食糧を配付した。

これら支援活動は、実際に実施してみると、複雑で細かく、状況がよく変わる。特に感染が拡大して以来、ベトナム政府は市民に、マスクの着用、消毒、体調報告、ソーシャルディスタンスの維持、密を避けることを厳しく要求した。ベトナム語表記の頭文字を取った「5K」政策である。慈済ボランティアにとって、配付する時に密にならず、ソーシャルディスタンスを維持することは、思うほど容易なことではない。

「一月の時、合計六回の配付活動を計画したのですが、二回配付しただけで、感染が拡大し、全ての手順、時間、場所の変更を余儀なくされ、再通知しました」。ベトナム連絡所の責任者である陳大瑜(チェン・ダーユー)氏によると、当初、二日間で終える予定の大規模な配付活動を、政府の要請に合わせて、多数回の小規模な配付に変更し、一週間かけて完了したのだという。

ベトナム政府機関は、防疫のために時差出勤を採用したため、行政人員が減って、支援世帯の名簿作りにも影響が出た。行政スタッフが提供できる情報は、往々にして世帯数と世帯主の個人情報のみで、世帯人数や年齢、性別などの詳細な情報がない。

これらの問題に対して、慈済は臨機応変に対応し、一世帯を三人と考えた量を基準とした。陳氏は、ベトナム人の米食習慣に応えて、各世帯に十キロの米を用意した。白地に菩提樹の葉をデザインしたロゴと青い文字の「TZUCHI」が印刷された米袋から安心感が伝わった。また、ボランティアは、食用油一瓶、マスク一箱、調味料一パック、塩二パック及びインスタンラーメン四袋が入ったセットを準備した。

米と食品のセットは、三人家族ならば一カ月、五、六人家族なら、少なくとも十日か半月は心配することなく暮らすことができる。平日に日雇い労働で生計を立てていた人々が、困窮状態にあっても十分な食糧を得ることができれば、生活のストレスを軽減できる上、生活のために頻繁に外出する必要がなくなり、感染の可能性も低くなる。

物資の配付に加えて、慈済は低所得世帯の学生に就学支援金を支給し続けている。以前は、ボランティアが各県や市に支給拠点を設けていたが、コロナ対策に応じて、自治体と相談した結果、密を避けるために、複数の会場を設けて行うことに変更した。「たとえば、ハイズオン市では十一カ所、タインハ県で八カ所、トゥキー県とタインミエン県でそれぞれ六カ所の会場に分かれて行いました」。

今年の五月中旬にベトナム北部ハイズオン省で行われた就学支援金支給活動で、二十年のベテラン現地ボランティアのタティレンさんは、これはハイズオンの人々にとっての一大祝福であると言った。首都ハノイに近いハイズオン省では、今年一月に感染者が急増し、住民が故郷で規制を受けただけでなく、近隣の県や市でも厳しいコロナ対策が取られ、同省を出入りする人の流れと物流が規制を受けたため、省内の農産物の販売が滞った。

政府は、ソーシャルディスタンスを保つことに加えて、企業の従業員全般にスクリーニング検査を義務付けた。そして、検査の結果が全員陰性でなければ工場の稼働は認められない。また、輸送規制により原材料が入って来ないことから、商品も輸出ができなくなり、強行な防疫措置で、多くの企業が経営困難に直面している。

学校は暫時、休校になっているが、就学支援金は依然として重要な支援に変わりはない。陳氏は当初、ホーチミン市から北側にあるハイズオン省に向かって、就学支援金を配付しに行くことを考えていたが、協力関係にあった政府機関がそれを知った後、彼にそこには行かない方がいい、と言った。そこで、彼はハイズオンでの活動を現地ボランティアに託した。

防疫規定に応じて、「5K」原則を守り、配付回数を増やしたため、完了までの時間が長くなった。二百十五人の小学生に一人当たり百万ドン(約四千円)の支援金を配付し、三百六十四人の中学生と百三十二人の高校生にはそれぞれ、一人当たり百六十万ドン(約六千円)と二百万ドン(約七千七百円)の支援金を配付した。これら支援金は、長年支援を受けてきた学生たちにとって、適時の雨のようなもので、努力を積み重ねてきた彼らは、これで学校を中退しなくてもよくなった。

「学生はこのお金で授業料の一部を支払うことができるので、今後、学校に行くことを心配する必要はなくなりました」とタティレンさんは嬉しそうに言った。

慈済基金会のボランティアは、4月にタイニン省(左)、5月にハイズオン省(右)で就学支援金を支給した。彼らは政府の防疫規制を守り、誰もが1メートル以上のソーシャルディスタンスを保った。支援を受けている子供も紙の筒を受け取って善念を発揮した。

まだ「外出」できる時間を無駄にしない

慈済ボランティアは、防疫物資を主にカンボジア国境と接するベトナム南部で奉仕している国境防疫隊を対象に、赤十字社や友好協会を通じて、医療用マスク、手袋、防護服、ゴーグル、額式体温計などを最前線の防疫スタッフに寄贈した。これら必要最低限の物に加えて、ショルダータイプの消毒スプレーとソーラーライトも提供した。「国境に近いので、場所によっては電気が通っていないのです」と陳氏が付け加えた。

「これら防疫スタッフは、主に密入国者を取り締まっています」。陳氏によると、隣国カンボジアのコロナ禍がより深刻なため、国境防疫スタッフが増強され、それにつれて防疫物資の需要も増している。

慈済ボランティアはもっと現地のために何かしたいと思っているが、深刻化するコロナ禍による厳しい政府の規制に直面して、今後の活動を慎重に検討する必要がある。四月下旬に感染が拡大した時、多くの訪問ケアや調査日程が中止を余儀なくされたが、幸いなことに、誰もが機会を逃さず、まだ「外出できる」間に多くのことを成し遂げた。

「村人たちが物資を手に取って、喜びの涙を流しているのを見た時、とても感動しました。證厳法師が私たちに、村人と良縁を結ぶ機会を与えてくれたことに心から感謝しています!」法喜に満ちた慈済ボランティアのグエン・ティ・ル・ホアさんはホーチミン市の法縁者たちを励まし続けた。「政府は密にならないよう求めているので、リサイクル活動は延期しましたが、毎月ボランティアはいくつかのグループに分かれて、ケア世帯を訪問し、生活状況を尋ねたりして、この危機を乗り越えられるよう支援しています。私たちはまた、毎週火曜日と水曜日の夜に、オンライン読書会に参加するよう呼びかけています」。

ベトナム北部のハイズオン省のタティレンさんは、長年にわたる南部の法縁者の支えに感謝するだけでなく、法師の法に学び、縁を把握してできることをしている。彼女は、慈済五十周年の時、あるボランティアが共有した言葉をよく覚えている。「法師は細い肩で、世の中を支えているのです!私たちが菜食を広め、より多くの人に慈済を知ってもらい、愛の心を集めてより多くの人を助けましょう!」。

慈悲済世は世界中の慈済ボランティアの本分である。今、彼らの活動が一時的に制約され、特に五月末以降、ベトナムは再び変異株による新たな感染の波という試練に直面しているが、法師の「現地で得て、現地に恩返しする」という教えでもって、慈済人のベトナムでの奉仕とケアは、引き続き根を下ろして、拡大している。
(慈済月刊六五六期より)

コロナ禍の一年を振り返って
  • ベトナムはコロナ禍を四波経験しており、一波ごとに感染が速くなっています。ホーチミン市の全ての学校は一時的に閉鎖され、私の息子も寮から家に戻ってオンライン授業を受けています。私の両親は高齢で、体の抵抗力が弱いので、私たち一家は人と接触しないよう外出を避け、家では部屋を清潔に保ち、簡素な食事をして運動で体を鍛え、そして周りの人が皆平穏無事でいることに深く感謝しています。
  • 私は毎晩大愛テレビ番組の「人間菩提」を見て、法師の開示を聞き、恐怖心を行動に変えています。この期間、誰もが苦労していますが、もっと奉仕して、もっと多くの人に菜食を呼びかけ、共に感染が終息することを祈ることです。

    ─ ホーチミン市慈済ボランティア、グエン・ティ・ル・ホアより

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