愛は一切を成就する

心に愛があれば、不満を感じることはありません。喜んで奉仕するのは心の豊かな人です。

愛を大きくして、道心を広くする

モザンビークと慈済は特殊な縁で結ばれています。二〇一九年のサイクロン・イダイ被害が発生する前、蔡岱霖(ツァイ・ダイリン)師姐(スージエ)と夫のディノ師兄(スーシオン)は長年、南部のマプトで慈済志業を広めることに努めてきましたが、陳春發(チェン・チュンファー)師兄が「慈済の家」を建てるための土地を寄付したことで、数多くの現地ボランティアを精進の道に導かれました。そして、現地がサイクロン・イダイに襲われた後、慈済は緊急支援から中長期支援まで、途切れることなく中部の被災地であるニャマタンダ郡をケアし、慈済の種子を根付かせ、今その花が咲いて実を結んでいるのです。

二十二日のボランティア朝会で上人は、慈済が善意を啓発する話をしました。それは現地でこれほど多くの善良なボランティアを集めることができたことです。これほど多くのボランティアから愛の力が結集し、荒地を開墾して野菜や食物を植え、貧困救済や災害時に貧困者や病人、障害者、お年寄り、飢えた子供たちに提供することができるのです。ボランティアの多くも貧困者ですが、皆、心身の限りを尽くして奉仕することを望んでいます。支援を受けることから自力更生し、人を支援する人になっています。これは全て心の持ちようを変えたことから始まったのですが、慈済人の熱心な導きと教育も必要でした。

「モザンビークのボランティアは屋外で勉強会に集まった時、地面に一本の線を引いて、それに沿って靴をきれいに並べ、その内側に座って熱心に話を聞いていました。私はそれをみて大いに感動しました。屋根のない教室でも、彼らにとっては神聖な心の殿堂なので

モザンビークの現地ボランティアが大愛農場で野菜の収穫をしていたが、奉仕すれば、収穫が得られ、人助けもできる、という喜びに浸っていた。(写真の提供・慈済モザンビーク連絡所)

より広く関心を持ち、より深く考える

ソファラ州の若い現地ボランティアであるポールは、メティチュラ村初めての慈済ボランティアで、現地の大愛農場の管理を任され、仏法を広めると発願しました。「彼は体で静思語の道理を実践し、心に感じることが多くなり、使命感を持ってからは、見知らぬ人でも親しく挨拶しています。子供を背負い、手に荷物を持っている女性を見かけると、駆け寄って荷物を持ってあげ、歩きながら慈済の話や静思語を分かち合うのです。これこそ法を求めようとする心であり、体で実践すると同時に、弘法して衆生を利しているのです。《法華経》でもそう言っています。法を聞けば、説法して、伝法しなければならず、善道を歩むと共に、それをより広く開拓して人々を導くのです」。

上人は、皆が愛でもって行動していることを賞賛しています。人同士が互いに助け合えば、生きていけないほどの苦難はなくなるのです。「私たちの人助けは、直ちに豪華で頑丈な家を建ててあげるのではなく、一歩ずつ彼らに付き添って進み、彼らに知識と善行による希望が増えていくよう導くことにあるのです。自分の生活が改善されることだけを望むのは、欲望であって希望ではありません。モザンビークのボランティアは人々の考えを変えて、生活を改善し、社会全体をより良くすることを誓いました。この発心こそが善念なのです」。

「人は愛さえあれば、自分が貧しいと感じることはありません。人に奉仕することができれば、非常に富める人だと言えます」。上人はこう言いました。現地ボランティアが農地を耕して自給自足できる上に、人助けもできるようになったのです。ビデオの中で、彼らが慈済の歌を作物収穫の替え歌にして歌っているのを見て、彼らのとても楽しい気持ちを感じ取ることができました。慈済はさらに一歩踏み込んで、彼らに頑丈な学校を建ててあげ、子供たちに一貫した教育を受けさせたいのです。未来の社会に希望が現れ、世代ごとに益々良い方向に向かえば、モザンビーク全体の環境を改善できるだけでなく、「アフリカを立ち上がらせる」こともできるのです。

「衆生の環境やニーズに従って、一歩ずつ支援することで、少しずつその土地に愛のエネルギーと智慧の法水を吸収させるのです。一度にたくさん与えれば、却って吸収できず、直ぐに乾いてしまうでしょう。先ず、彼らが『自分にも学校建設を助ける力があるのだ。自分は決して貧しくない!』と認識するよう教育することです。慈済の最初もそうだったではありませんか?あらゆる志業は人々の愛を発揮させて成就してきました。少なくても多くても、人々は皆それだけ力を出すことができ、それが人の愛を大きくして、道心を広くしてきました。これも社会大衆に対する 『大いなる教育』の一つなのです」。

「今この時、皆さんは「止まって、聞いて、見る」べきです。心の欲望を止め、心を鎮めて道理を聞き、心してこの世の出来事に目を向けるのです。そして、平穏という幸福に感謝し、この世で互助による真心の大愛を自分の目で確かめるのです。感謝の心を持った人は、真心の愛を持っています。そういう愛があれば、奉仕する力が溢れて枯れることはありません」。


(慈済月刊六五七期より)

    キーワード :