電話口のヒーローが家庭の危機を救う

新型コロナウイルスの警戒期間中、外出して訪問ケアをすることができなくなると、私たちはすぐに電話による訪問を開始した。

電話口から聞こえてくるのは、出勤出席停止後の苦境である。家族と一日中一緒に過ごすことで生じる摩擦から起きる感情のはけ口を求める声や互いを思いやる温かい祝福……

ソーシャルワーカーとボランティアたちは、まるで電話口のヒーローのように、彼らを守る網を張り、コロナ禍で苦境に陥った家庭を受け止めている。

「こんにちは、慈済基金会のソーシャルワーカーです。コロナ禍の期間中、生活に影響はありませんか?」

「こんにちは、慈済のボランティアです。最近の生活はいかがですか?私たちに何かすることはありませんか?」

五月に新型コロナウイルスの感染が拡大してから、台湾全土で警戒レベルが3に引き上げられ、慈済のソーシャルワーカーとボランティアは、外出を伴う訪問ケアができなくなると、方法を変えて、すぐに電話による訪問ケアを開始し、いつもと変わらぬ思いやりを届け続けた。彼らは花蓮、台東、宜蘭地区だけで毎週平均して千本の電話をケア世帯にかけ続けている。電話をするたびに、コロナ禍で苦境に陥り、助けを求める無数の人々の声が聞こえてくる。一回の電話には約三十分を要するが、時には二時間に及ぶことさえある。ソーシャルワーカーとボランティアには、相手の顔が見えない電話訪問で誠実さと真心を届ける術を学ぶ忍耐強さが必要だ。

ある日、電話を終えたソーシャルワーカーの徐さんの目には涙が浮かんでいた。二時間に及ぶ電話の後で喉が渇いているはずだと思い、私は水を手渡した。彼女はそれをごくごくと飲み干してから、こう言った。「この電話をかけて、本当に良かった。この母親はぎりぎりまで追い詰められていたのです。まるで、この電話が命綱のようでした!」。

電話相手の林(リン)さんという女性は幼稚園の先生で、母親と同居しながら、十五歳の息子、阿杰(アジエ)君を育てていた。阿杰君は暴力傾向のある注意欠陥・多動性障害児だ。体格の良い彼は、しばしば感情を制御できなくなって、彼を世話している祖母を殴打していた。ソーシャルワーカーが訪問した際、阿杰君につねられ、青あざができたこともある。コロナ禍で学校が休校になると、阿杰君は一日中家で過ごすことになった。家族三人が自宅にこもりきりになり、林さんは初めて二十四時間、阿杰君と一つの空間で生活することになった。

学校へ行けなくなった阿杰君はさらに暴力的になった。学校や介護のデイサービスも受けられない。阿杰君はまるで、いつなんどき爆発し、林さんたちを粉々に砕いてしまうかわからない時限爆弾のようだと林さんは言った。林さんと六十歳過ぎの母親は、日々何度も阿杰君から暴力を受けていた。林さんは自分が孤立無援であると感じ、全ての希望を失ってヒステリー状態にあった時、ソーシャルワーカーからの電話を受けた。溺れる人の前に現れた流木のように、一筋の希望を与えたのだ。

二時間近い電話は、会話をするというよりは、林さんの話を一方的に聞き続けるものだった。ソーシャルワーカーは電話口で辛抱強く耳を傾け、タイミングよく慰めの言葉をかけた。最後に「ほかに何か助けが必要ですか?」と尋ねると、林さんは「経済的にはなんとかなっています。ただ、毎週、何度か私に電話をいただけませんか?この電話が私を救ってくれたのです」と答えた。ソーシャルワーカーは電話を終えてしばらく、感動で胸がいっぱいになった。たった二時間話に耳を傾けたことで、一人の母親を、そして家庭を救ったのだ。

電話訪問によってコロナ禍で苦境に陥った家庭に感情のはけ口や必要なサポートを提供するためには、豊富な訪問ケアの経験と共感する心が必要だ。(撮影・蕭耀華)

小さな私たちの大きな志

私はあの日、花蓮県瑞穂郷の視覚障害者、阿勇(アヨン)さんに電話をかけ、コロナ禍で外出できない彼がどのように生活しているのかを尋ねた。電話口の向こうの彼は、教会に行けず、介護スタッフも食事を家まで届けるだけで、家に入って掃除することができないと言った。彼はまた、幸運にも私たちが贈った「福富足小妙音」スピーカー内蔵MP3プレーヤーがあるので、毎日證厳法師の開示を聞いていると言った。

私が「では、どのお話が心に残りましたか?」と尋ねると、彼は「證厳法師は、良いことをしなさいとおっしゃいました。だから、私は毎日竹筒に小銭を入れています。竹筒はもう満杯になりそうなのに、あなたたちは取りに来ませんね」と言った。

私は彼に、コロナ禍の関係でしばらくは訪問できないことを伝え、また空き瓶を利用してその善行を続けるよう励ました。最後に「他に私たちにできることはありますか?」と尋ねると、彼は「ありません。ただ、毎日私に電話をかけて、話に付き合ってもらいたいだけです」と答えた。

電話を置いた私は、胸がいっぱいになった。彼らが求めているのは、一本の電話。こんなにも簡単なことだったのだ。

窓の外の青い空を眺めながら考えた。いつになれば、マスクをはずし、以前と同じ生活に戻り、家庭訪問を再開できるのだろう?当たり前に思えた生活が、これほど貴重なものだったとは。

そばにいる仲間たちは、毎日自主的に長期ケア対象の家庭に電話をかけ、或いは助けを求めてホットラインに掛けてくる電話に応対している。時には水を飲むこともトイレに行くことも忘れるほど忙しい。人々の負の感情を受け止め、頭を冷静に保ちながら相手の状況を確認する。彼らの困難をよく理解し、適切な支援を提供する。それを一日中続けるのだから、疲れないわけがない。

これが私たち支援スタッフの日常風景だ。このような些細な事を毎日続け、パソコンの前に座って話し続ける。事情を知らない人が見れば、おしゃべりにふけっているようにしか見えないだろう。だが毎回の電話には、真心と忍耐と時間が必要だ。忍耐強く、心を強く保ち、人助けを志した初心を常に堅持していなければ、これほど多くの電話をかけ続けて一つ一つ対応することなどできはしない。

「ソーシャルワーカーと師姑の皆さんも,お身体に気を付けて!」電話を切る前に、このような祝福の言葉をかけてくれることが多いのだと、あるソーシャルワーカーが言った。このような祝福が、終わりのない電話を一本、また一本とかけつづける力を与えてくれる。他人のために灯した光は、自分の周りをも照らしてくれる。他人を一心に思いやれば、人と人のかかわりの中で温かさを感じることができる。そして、その温かさが希望をくれるのだ。

コロナ禍の今、私たちはケア対象の家庭に比べて恵まれている。私たちは人助けの仕事ができるし、衣食の心配もない。コロナ禍による営業停止により、多くの家庭が経済的に苦しくなり、学校が自宅でのオンライン授業に切り替えても、授業を受ける設備もないのだ……。生活のリズムが失われ、次々と襲い来る問題の数々が家庭を圧迫している。

中部地区の慈誠(授証を受けた男性のボランティア)隊の「回眸慈善來時路(来た慈善の道をふりかえる)」活動で、證厳法師がおっしゃった言葉を思い出した。「一九九九年台湾中部大地震や一九九六年の台風九号では、まさに自然災害の威力を思い知りました。その威力を前にすれば、人間は本当に小さく感じられますが、しかし大事を成すこともできるのです」。

コロナ禍での非情な威力の前に、私たち人間はなんと小さいことかと思い知る。だが小さな私たちも、毎日人助けのエネルギーを積み上げることができる。電話訪問でケア対象の家庭の状況や安否を確認し、必要な時にはいつでも慈済を頼っていいこと、そして慈済は助けを必要とする家庭の後ろ盾であることを伝えている。小さな私たちが、電話口のヒーローになって「愛」の保護網を作りだし、コロナ禍で墜落していく家庭を受け止める。そして彼らに寄り添いながら、この困難な時期をともに乗り越えていくのだ。

コロナ禍が厳しさを増す中、私たちに必要なのは特殊な能力を持ったヒーローではない。私たちの一人一人の心の中にも無敵のヒーローが住んでいて、誰かが助けを求めている時に、手を差し伸べて引っ張ればよいのだ。


(慈済月刊六五七期より)

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