【菜食を更にレベルアップ】二十一日だけの健康で終わらない
菜食するのは慈悲心を表わす最も具体的な方法であると同時に、誰もが気候変動を緩やかにできる一番よい方法でもある。「健… Read More »
微光の力 二〇二二年慈済慈善活動の足跡
一日五十銭を貯金して寄付するという「竹筒歳月」に始まった慈済は、五十七年間をかけて「四大志業、八大法印」の志業を… Read More »
時代から置き去りにされないよう、精進し続ける
気象災害と人道危機に対して、多くの人が(生活様式の)転換を主張する中、私は、證厳法師の教えの下で、慈済では数多くの… Read More »
成仏への道は菩薩道から始まります
成仏への道の起点は菩薩道です。
この道は多くの人の力が結集してこそ、歩くことができるのです。
中途半端で投げ出すの… Read More »
コミュニティ復元力の要因
秋に発生した九一八池上地震から一カ月余りが過ぎた頃、慈済基金会は緊急支援と訪問ケアを終了し、台湾全土から専門家を集… Read More »
人生の価値を見直す
人として生まれるのは稀なことです。
人生の価値を上げるために、目覚めて分秒違わず正しい方向を進みましょう。
仏法を… Read More »
難民ではない、ボランティアだ
私たちは一緒に泣き、一緒に笑い、どのようにしてお年寄りや子供たち、更にもっと困っている同胞の家庭を助けたらいいのか… Read More »
気功と太極拳
モスクワの一角にスケート場を改装した臨時病院がある。病室の外にコロナの軽症患者二十人余りが集まっていた。ゆっくりと… Read More »
コロナ禍の千日
三年に渡る新型コロナウィルス感染症は収束を迎えたのだろうか。次の未知なる伝染病への備えは出来ているのだろうか?ウィ… Read More »
【進化した慈善活動】寄り添いボランティアのデビュー
「苦しみの声を聞いて救いの手を差し伸べる」精神と「誠実な愛」は、慈済ボランティアとしての基本的な条件である。様々な… Read More »
永続生存への試練
非営利団体世界経済フォーラム(WEF)は二〇二二年、これから十年間のグローバルリスクのランキングを発表した。気候変… Read More »
【より進化する環境保全】地球を愛する方法は多種多様
慈済が環境保全の推進を始めてから三十二年になる。「ゴミを黄金に変える」、「清浄は源から」などの段階を経て、より厳し… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
健康ing
表紙の物語
證厳上人のお諭し
行脚の軌跡
一月の出来事
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。
20240420
高山の石地に新しい教室ができた─仏陀の故郷への恩返し
慈済ボランティアは、仏陀の故郷に長期滞在して、現地の住民たちが自助と助け合いをするよう導いている。2023年11月にネパール西部で強い地震が発生した時は、山間部の小学校でプレハブ教室の建設を支援したり、ルンビニで職業訓練を受けている女性たちが編んだ毛糸の帽子を送ったりして、生徒たちが安心して授業を受けられるようにした。
20240320
日本・能登半島地震─大雪に見舞われた半野外の仮設厨房
【台湾の慈善団体は、なぜやって来たのか】
比較的積雪の少ない能登半島に大雪が続いたこの冬、炊き出し支援を計画したのは、断水と地震被害で閉ざされた生活を送る住民に、ただ温かい食事を届けたい一心からだった。住民の感謝は親しみに変わり、慈済ボランティアとの絆が深まった。(詳細はp.64-89)(撮影・鍾佳玲)