厳冬に苦しむ世界の難民

ウクライナから脱出した難民の9割が女性や子供だ。5月、ポーランドワルシャワの配付会場で、キャッシュ・フォー・ワーク(CFW)のウクライナ人ボランティアが支援家庭の子供の世話をしていた。

世界中で起きている衝突や迫害により住む場所を追われた人の数は、二〇二一年末で八千九百万人余りに上る。二〇二二年にロシア・ウクライナ戦争が勃発したことにより、第二次世界大戦以来最大規模の難民が発生している。

一時的に国外に身を寄せているウクライナ難民や戦争によるエネルギー危機、食料価格の高騰、インフレの影響を受けた国々の国民にとって、この冬は厳しいものとなっている。

ポーランドに滞在するウクライナ人

文/葉子豪
撮影/安培淂
訳/田中亜依

ポーランドに滞在するウクライナ難民の百人に二人から三人が慈済の援助を受けている。故郷が戦場と化し、帰る家を無くした人々に対し、慈済は中長期的な支援を展開している。

ロシア・ウクライナ戦争は全世界に影響を与えている。年末に近づくにつれて、九カ月を超える激戦を繰り広げているロシアとウクライナの両国は再び、過酷な天候に直面することとなった。ヨーロッパ、ロシア、ウクライナそしてポーランドが位置する東欧の大平原は、冬に入ると身を切るような寒さの吹雪に、無情にも呑み込まれる。

「一般的には電気やガスで暖を取りますが、薪を燃やす人もいます」。慈済大学に通うウクライナ人留学生のデニス・ダブリン(Denys Dubin)さんは、「戦争が始まった後、電気やガスに頼っていた人は大きな危機に直面しました。ミサイルはいつ飛んでくるか分かりません。もし電力施設や集中暖房システムが破壊されたら、凍えてしまいます」と言った。

彼の不安は、冬が近づくとともに一層大きくなった。特にロシアは十月中旬からウクライナの電力施設に対して激しい攻撃を展開し、多くの発電所が破壊され、首都キーウを含む多くの地域で電力使用が制限されたり、停電に陥ったりした。電気がなく、ガスも不足すれば暖房設備を稼働させることができず、インフラや建物も破壊されているため、薪があったとしても厳しい日々を過ごさなければならない。

緊急支援物資で暖を届ける

この冬を無事に乗り切るため、戦火に怯えることなく暖が取れる場所を求めようと、国外脱出を図るウクライナ難民の数が再度増加し始めた。ポーランド人の慈済ボランティアであるルーカス(Lukasz Baranowski)さんは、冬になる前に五十万人のウクライナ難民がポーランドに来るだろうと見込んでいる。

しかしながら、ポーランドに来た難民も多くの困難に直面している。戦争は食料とエネルギーの供給に大きな打撃を与え、物価上昇を刺激した。平穏な生活を送っていたポーランド国民もその影響を受け、社会全体の難民支援にも影響を及ぼしている。

「エネルギー不足問題はヨーロッパ全土に影響を与え、ポーランドの民間ガス会社も値上げを行い、五倍に跳ね上がった会社もあります。薪に切替えた家庭もありますが、大気汚染が心配されます」。おなじく慈済ボランティアである妻の張淑兒(チャン・スーアル)さんは、戦争の影響によるエネルギー危機やインフレに苦しむ各国の状況についてこう語った。ルーカスも「戦争のせいでポーランドや他のヨーロッパの国々も天然ガスが不足しており、この冬は厳しいと見込んでいます。ウクライナ難民だけでなく、ヨーロッパ全体が同じ問題を抱えているのです」と嘆いた。

慈済は、ウクライナに留まっていても、住む家をなくした人たちが緊急に冬季物資の配付を必要としていることを感じ、毛布や防寒衣類などをエアリンクの協力の下、無料でポーランドまで輸送した。そして、それを必要としている人々に届けるてくれよう、ウクライナへ戻る難民らにも物資を託した。ウクライナへの物資輸送業務の責任者である慈済アメリカ総支部執行長の曽慈慧(ゾン・ツーフェイ)さんは、薬品はイスラエルの国際人道支援組織と連携して、モルドバとルーマニアの物流センターからウクライナ国内へ輸送して、効果のある支援を行なっていると説明した。

厳しい冬を越すための物資をウクライナへ輸送するほか、慈済のウクライナ難民への支援は、難民収容数が最も多いポーランドに重点を置いている。十一月上旬の国連の統計によると、ポーランド国内で登録しているウクライナ難民は百四十万人余りに上った。帰る家を失った難民たちには、ポーランドでの新生活をどう安定させるかという問題が立ちはだかっている。

昨年2月の開戦後、キーウ郊外のホストーメリ空港とその一帯は瓦礫の山と化した。ウクライナ国内に留まっている人々は戦火の中で生活を続けているが、無事にこの冬を越せるかどうかが共通の課題である。

ポーランド社会に溶け込み、
次の一歩を踏み出す

「緊急支援は八月末で終了し、八月末から年末までは移行段階です。その後は中長期的な支援を行います」。慈済慈善事業基金会副執行長の熊士民(シュオン・スーミン)さんはこう説明した。十一月中旬までに延べ八万人以上を対象に支援を行ったが、今後のウクライナ難民に対する支援方法は、ヨルダンやトルコでシリア難民を支援している方法を採用するという。慈済ボランティアが駐在する首都ワルシャワやポズナンなどの都市で他組織と協力し、ウクライナ難民向けにポーランド語講座や職業訓練クラスを開設し、一日も早くポーランド社会に溶け込み、仕事を得て安定した生活を送れるよう支援する。

慈済とポーランド婦女基金会(Polish Women Can Foundation)の連携の成果はすでに表れている。キャッシュ・フォー・ワーク(CFW)の形で支援している他、ポーランドに逃れたウクライナ人医師によるウクライナ難民への医療サービス、とくに家庭医療科と産婦人科が重要な項目の一つとなっている。

「ウクライナ人は根こそぎ引き抜かれて、新しい環境に放り込まれたようなもので、それに慣れるのはとても大変なことです」。CFWに参加しているオサナさんはこう話す。慈済の支援のもと、熱意あるウクライナ人女性数名が既にボランティア研修に参加し、訪問や物資の配付、個別案件ケアに対するスキルを備え、慈済ボランティアのベストを着て町に繰りだし、就学や医療を必要とする同胞を支援している。慈済基金会宗教処職員の高薇琍(ガオ・ウェイリー)さんは、「ワルシャワでは慈済とポーランド婦女基金会が共同で拠点を設立し、ボランティアが家庭訪問を行っています。長期的な支援が必要な家庭をリストアップし、法律相談や心理カウンセリング、医療を必要とする人は、ポーランド婦女基金会が更なる支援を行います」と説明した。

ポズナンでは、ボランティアチームが家庭訪問を続けている。負傷したウクライナ兵がポーランドに移送されたことを知り、障害が残ってしまった兵士たちも訪問ケアの対象に入れ、買い物カードを贈るなどして支援を行った。

「負傷兵は様々なルートでウクライナを脱出しています。三月から五月にポーランドに入国した人もいました。ウクライナ人ボランティアが家庭訪問を行った際に発見し、出来る限りの支援を行いました」。曽さんによると、ポーランドに来るウクライナ難民は、SNSのグループチャットを使い、どの家庭が支援を必要しているか、子供たちはどの学校に通学できるか、どこそこの人が負傷したが、どの病院に行けばいいのかなど、同胞同士で連絡を取り合い、支援やリソースを探しているそうだ。慈済の「CFW」ボランティアに参加しているウクライナ人女性たちも、同胞からの問い合わせ窓口として、その力を発揮している。

「簡単に言えばローカライズです。難民支援業務をその国の事務にするのです」。熊副執行長は、「現地に住む華人や慈済ボランティアの力で、ポーランドでの支援拠点を慈済の新たなヨーロッパ拠点にしたい」とその思いを語った。

慈済の支援は、ウクライナ難民が老人や女性、子供が多数を占める現況を踏まえて、ポーランドでは女性の安心、安定した生活と子供の就学、心理カウンセリングに重点を置いている。台湾ではウクライナ難民に対する愛の募金を呼び掛けた他、全力でウクライナ人留学生が慈済の大学などで安心して学習できるよう支援している。

慈済は他の宗教団体やNGOと手を取り合い、ポーランドで難民支援を行っている。ボランティアの黄思賢さんは、5、6月の大規模配付に協力してくれたワルシャワのサレジオ会協会神父に感謝を述べた。

戦地の学生が花蓮に遊学

「学生たちはここで学ぶと同時に、オンラインでウクライナの授業も受けています。彼らが慈済大学に来た主な理由は身の安全です。砲撃を受けることのない、安全に学習できる場所を求めてやって来たのです」。慈済大学国際長の蕭心怡(シャオ・シンイー)さんはこう説明した。そして慈済大学は三月初めにウクライナ難民の学生を受け入れることを表明した。このニュースが発表されると中央研究院国際事務処から二百件以上の申請書類が送られて来た。

幾度かのオンライン面接を経て、慈済大学は二十四名のウクライナ籍学生を受け入れ、六名のウクライナ籍学者を招聘した。十一月初めに十名の学士と十三名の中国語研修生が入学し、残りの学生は旧正月後に台湾に到着する予定だ。

ウクライナ人学生の境遇に蕭さんはひどく心を痛めた。車中に乗客がいることをロシア軍に悟られないよう、難民を乗せた列車は窓に遮光テープを貼って、明かりが外に漏れないようにし、乗客は外の様子が全く分からないまま、びくびくしながらロシア軍に制圧された地域から脱出したという話を学生から聞いた。

生死の境をさまよう逃避行を経験し、残酷な戦闘の実情を目の当たりにしたウクライナ籍学生には程度の差こそあれ、PTSDの症状が見られた。慈済大学は心理カウンセリングを強化し、英語に精通し、且つ支援経験豊富な慈済ボランティアに要請して、学生たちの「懿德パパ」と「懿德ママ」になってもらっている。

ワルシャワの配付会場。慈済ボランティアとウクライナ人ボランティアが一緒にツーチーの手話曲〈家族〉を歌った。難民たちは有形の物資だけでなく、思いやりと、自分を助け、人をも助ける力をもらった。

引き続き愛で人助けする

戦火が続く中、宗教や国籍を超えた支援が続いた。慈済がウクライナ難民に行った物資の配付や語学・職業訓練、奨学金などの支援は今、戦争の傷跡を癒すだけでなく、再び平和が訪れた時のために備え、一番辛く苦しい時に善の種を撒くことなのだ。

物資や買い物カードの配付と同時に、ボランティアは、慈済人が継承してきた「竹筒歳月」の精神を忘れることなく、支援を受けた難民に説明し、手にしている買い物カードが、台湾や世界中の善の心を持つ有志たちから募ったものであることを伝えた。

「慈済が他のNGO団体と異なり、最も人の心を動かすのは、理念を共有し、竹筒歳月募金の精神があるからです」。ポーランド・オポーレ市の実業家であるアンデックさんと陳恵如(チェン・フェイルー)さん夫婦は、共同配付に慈済を招いた。陳さんは、ウクライナ人ボランティアが活動で、少額の募金によって人助けの力を集結させているという慈済ボランティアの話を聞き、最後の数日には、皆がこぞって「私たちも参加したい!」と競って竹筒を持って募金を募る様子を目の当たりにした。

「難民は支援を受けに来たのに、なぜ彼らに募金を呼びかけるのか、初めは理解できませんでした。しかし、彼らの笑顔を見て、自分も人も救えると気づくことで気持ちが安らいで、感動の涙を流すのだと分かりました」と陳さんが言った。

熊副執行長の説明によると、「ポーランドに滞在するウクライナ難民のうち、百人に二人か三人は慈済の買い物カードをもらっています」。そのカードや物資はいつか使い終わるが、支援を受けた人々の心の中に芽生えた愛と善は永遠に続く力となる。「愛で善の根を生やし、慈済の支援を受けた人は、将来、私たちと共に、ウクライナで一層の支援を行ってくれるのです」。

(慈済月刊六七三期より)

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