気功と太極拳

動と静の間・心身との対話

中国伝統の「養生功」の歴史は古く、明代の古書『修真秘要』には当時道教の修行として行われていた技が描かれている。気功や太極拳は近年、運動や補完医療にとどまらず、心身の健康法としてますます注目されている。

モスクワの一角にスケート場を改装した臨時病院がある。病室の外にコロナの軽症患者二十人余りが集まっていた。ゆっくりと両手を旋回し、前方に推し出す。患者の前につなぎの防護服を着た医療スタッフが立ち、太極拳の技の一つ「攬雀尾」の動作を実演しながら、「ベランダの雀を捕まえるところを想像してください。そっと近づいて、軽く尻尾をつまむように……」などと説明していた。

患者というとおとなしく横になって治療を待つものだと思われるが、ここはずいぶん違う。

「治療の合間に太極拳をしてもらっています。ゆっくりと動と静の間を切り変わる太極拳は、心臓に過度な負担をかけることはありません」。

自ら太極拳のコーチでもあるアリエフ医師はこう話す。患者の一人に聞くと、「ベッドで天井を眺めているよりずっといい」と言う。

太極拳や気功といった中国伝統の「養生気功」の歴史は長いが、台湾では「公園でお年寄りが手足を動かすこと」だとか「手を触れずに病気を治したりするペテン」という印象を持っている人も少なくない。しかし、欧米においては近年、東洋の養生気功がますます注目され、医学的、科学的な研究も増えている。イギリスやアメリカでは、太極拳や気功を正式なリハビリプログラムとして取り入れている病院も少なくない。また、ドイツでは医療保険の疾病予防インセンティブに含めている保険会社もある。欧米においてこれらは西洋医学による治療と並行する補完医療となっていると言える。

しかし、多くの研究によってその有効性が証明されているにもかかわらず、台湾人の心の中では長い間、気功や太極拳は神秘的で得体の知れないものと思われてきた。なぜだろうか。

新竹サイエンスパークで働く三十六歳のエンジニア、呉孟霖(ウー・モンリン)さんは、帰宅後どれだけ疲れていても十分から三十分間の気功を欠かさない。

「それまで信じていなかったのですが、小説に言う『任督二脈を通す』というのは本当で、『気』が体内を流れている感覚があるんです。言葉で表現するのは難しいですが」。

訳注・中医学において任脈と督脈の二脈が身体の中央を走っているとされている。

彼は大学院生時代にストレスで身体を壊したことをきっかけに、毎朝キャンパスで、あるおじいさんと一緒に太極拳をするようになった。健康を回復した呉さんは、それから十年以上も太極拳と気功を続けている。

「妻にも、太極拳や気功をすると体内の経絡や気血の流れがよくなると話したのですが、妻はあまり納得していないようでした。彼女は西洋医なのです」。呉さんは仕方ないというように苦笑した。

研究では、かなり前から気功や太極拳の予防医療における有効性が示されているが、医療の世界において広く受け入れられ利用されるには、まだまだハードルは高い。太極拳や気功は、体のバランス力を増加させ、骨粗しょう症の予防、血圧やコレステロールの低下、心血管機能の改善、不安・抑うつの軽減など、身体、心理、認知機能によい影響がある。太極拳は、ハーバード大学医学院から「動く薬」、「老後に最適な活動」とまで賞賛されている。

花蓮慈済病院の何宗融副院長は、モザンビーク災害支援で施療に行った時も、太極拳の普及を忘れなかった。(撮影・黄世沢)

動作、呼吸、意識の調和

「太極拳が幹細胞を増加させる可能性」という研究で、再生医療の国際誌『細胞移植』(Cell Transplantation)の表紙を飾り、その論文が特集記事となったことのある慈済花蓮病院副院長兼中医部主任の何宗融(ホー・ゾンロン)医師は、「養生気功の背景にある経絡や気血といった中医学の基礎原理は、現時点では実証不足は否めず、さらなる研究が待たれるところだ」と話す。

古代、気功や太極拳は精神修養や武術として行われていた。気功は独自の哲学思想を持ち、修行者は道教や仏教の信者が多かった。元来、太極拳は護身術であったが、武侠小説や武侠映画で人智を超えた神通力として描かれたことにより、神秘的なイメージがいっそう強まることになった。

「『導引』、『吐納』、『禅定』などは全て気功の前身であるが、今日『気功』と呼ばれる伝統的養生気功には、統一名称は存在しなかった」と話すのは、国際気功養生聯盟初代理事長の李章智(リー・ジャンジー)氏だ。今日よく知られる「気功」という名称が誕生したのは、一九七九年に中国政府が身体・呼吸・精神を鍛錬する伝統功法を「気功」と総称したことによる。

気功は練習法によって「動功」と「静功」に区別される。静功は精神集中と呼吸法をメインとしている。「動功」は全身運動をメインとし、太極拳、八段錦、五禽戯、易筋経、外丹功などがある。太極拳は、昨年国連から無形文化遺産にも指定され、二〇二六年ユースオリンピックの正式種目にも採用されることになった。これは歴史的な一歩だ。
李氏によれば、気功と太極拳の目的は時代につれ変化しているという。古代の格闘型や精神修養型から、現代では太極拳はコンテスト系や健康づくり系に変わっている。そのうち、健康づくり系では、「動作・呼吸・意識」の三つの調和を重視する。動と静の間で心身合一に至り、人体のエネルギーや回復力を高めるのだ。

「私のところで何年も太極拳を続けている七十歳のおばあさんがおっしゃるのです。『先生、私は今でこそこんなに元気ですが、一度は三途の川を渡りかけたのですよ』」。
二十年にわたって太極拳の普及に携わり、国内外で頻繁に指導している李氏は、印象深いもう一人の受講生の話をしてくれた。

胃がんで胃を全摘出したその受講生は、医師から術後のケアとともに太極拳を勧められたという。

「必ずしもお手本通りの動作ではありませんが、その方は、太極拳を始めてからは生活の質が改善し、顔色も気分も明るくなられましたよ」と李氏はうれしそうに語った。

太極拳の国際コーチである李章智氏は、「力を入れすぎて心身がこわばってしまう人が多い。そのままでは筋肉痛になる。力を適度にコントロールし、順を追って少しずつ進めるべきだ」と話す。

太極拳は「カクテル療法」

「たいていの薬は有効成分を一つしか含んでいません。それに比べ太極拳は『カクテル(多剤併用)療法』のように複数の『有効成分』を併せ持ち、健康に対して様々な効果が期待できます」。

『ハーバード大学医学院太極拳ガイド』(Harvard Medical School Guide to Tai Chi)を著した同大学統合医療研究センターのウェイン氏(Peter Wayne)は研究により、太極拳には「気づき」、「意識(意念)」、「主動的なリラックス」、「全身運動」など、健康改善に寄与する八種類の有効成分があり、多くの慢性疾患の改善に役立つことを発見した。

中医師で国家級太極拳指導者の資格も持つ何医師は、「全身運動」であることが太極拳と他の運動とを区別する大きな特徴の一つだと指摘する。
「太極拳は、身体を相互に結びつける一つのシステムと捉えます。あらゆる動作で全身が動いています。たとえば、座って本を取る時も必ず腰から動きます。腰から胸、それから背中、肩、腕、手へと動かしていき、決して手だけ動かすのではありません」。
李章智さんも言う。

「ジョギング、水泳といったフィジカルフィットネスでは、筋持久力や心肺機能、柔軟性などに重点を置いています。それに対して、気功や太極拳は単一の機能を強化するものではなく、体と心に注意を向ける心身運動なのです。運動強度も低めなので、お年寄りや運動に自信がない人にもぴったりです」。

言い換えれば、心肺機能を高めたいならジョギングやサイクリング、筋持久力を高めたいならウェイトトレーニングの方が、効果は現れやすいということだ。しかし、そのような強度の運動が適当かどうかは、それぞれの身体能力を見て判断しなければならない。

李さんは、「大事なのは、あなたの達成したい『目的』が何かということです。目的によってトレーニングのプロセスや効果が決まります」と強調している。

「True Yoga太極ヨガクラス」は、受講生が気軽に始められるよう、ヨガ、気功、太極拳を融合したものだ(上)。台湾大学の選択科目「気功」は、伝統気功の秘密を探ってみたいと考える若い学生に人気がある。(左下)。新店崇光社区大学の養生太極クラスでは、素手のほか、カンフー扇を組み合わせてバリエーションに富んだ練習をする。(右下)。

太極拳か太極体操か?

月曜日の午前中、新店崇光社区大学(カルチャーセンター)の養生太極講座に、十数人の受講生が次々とやって来て、各々静座瞑想し、レッスンが始まるのを待っていた。

「仲間づくりが目的の人や身体を動かしたいだけの人も中にはいますが、大部分の受講生は本当の太極拳を学びたいと思っています」。

太極拳クラスの講師であり、新北市楊派易簡太極拳推手研究会理事長の丘奕祥さんはこう説明する。

「太極拳は心身の修練に最適な方法です。太極拳では『一層の功夫に一層の理(それぞれの段階にそれぞれの理がある)』と言いますが、どの程度まで心を静めることができるかが大事です。心が静まれば、体は自ずとほぐれ、意識は自ずと集中します」。もしも「今日は株が暴騰したぞ」とか「お昼は何を食べようか」などと考えていたなら、それは太極体操であって、太極拳ではないというわけだ。「もちろん心が静まらず、太極体操になったとしてもそれはそれで構いません。体を動かせば『体』は健康になります。健康のレベルが違うというだけです」。

養生気功は動作・呼吸・意識を整え、心身が調和することを追究する。なかでも最も困難なのが意識を整えること、すなわち「心を静める」ことである。初心者のみならずベテランであっても、他のことに気を取られたり、雑念が生じたりすることは避けられない。

「生徒から『瞑想中にあれこれ考えてしまうが、どうしたらいいか』と聞かれた時は、私自身の経験を話します」。台湾大学体育室の黄欽永(ホワン・チンヨン)教授は、ハンドボール・ナショナルチームのコーチだ。丹道気功を三十四年間続けて気功の選択科目も開いており、興味を持った若い学生が集まってくる。

丹道気功には、ストレッチの動功と静座瞑想の静功がある。静座瞑想の際は呼吸をしながら心を「今この瞬間」に集中しなければならない。「私も以前は時々、教授への昇格や何やらに悩み、肉体はここにあれども心は修練にあらず、心がざわついて静まらないということがありました」と話す。

その後、彼はやり方を変えた。修練に集中できないなら、瞑想の時間を利用して今悩んでいる問題を考え、先に問題の糸口を見いだしてから修練の状態に入ることにしたのだ。

「正当な修練の方法とは言えませんが、頭の中が混乱しているよりはまだ良いです。過渡的な段階と言えるでしょう」黄さんは、初心者に対していつも呼吸を数えることで雑念を取り払うようアドバイスしているという。一念をもって万念に代えるというわけだ。気功が身体にもたらす効果は、たった一学期学んだだけでもはっきりと感じられたという生徒もいる。

「ある医学部の学生が、学期末にこんな話をしてくれました。その学生は、子どもの時から鼻のアレルギーがあり、毎日ティッシュペーパーを一箱使い切るほどだったのですが、気功を始めてから、週に一箱に減ったそうです」。

とはいえ、気功は病気の治療をするものではなく、一種の補助であって、身体を延ばし、血行を良くし、経絡の流れをスムーズにするものだと、黄さんも注意を促している。
気功や太極拳の先生らに「学習者によく見られる問題」を尋ねると、異口同音に「力を入れすぎること」を挙げた。力を込めすぎると心身がこわばってほぐれなくなり、その状態を長期間続けると筋肉痛になることもあるという。身体を鍛えることが目的なら、なおさら焦らずに順を追って進めるべきである。
「太極拳は緩やかな運動ですが、実は体を痛めることも少なくありません」。

太極拳で膝を痛めた患者を診た何医師はこう注意を促す。

「膝を曲げてかがむ動作を行う時は、無理して他の人と同じ高さまでかがむ必要はありません。個人の能力に応じて行ってください。何事もほどほどが肝心です」。

リラックスしてこそ
心身の変化を感じ取ることができる

「True Yoga」というヨガ教室では、受講生たちが翁憶珍(オン・イージェン)先生の動作を真似て、山のポーズ、太陽礼拝のポーズ、椅子のポーズ等のヨガのポーズを取りながら呼吸を導いていく。一区切りが終わると、先生は陳氏太極拳の五式精髄をやって見せる。チーシー(最初の姿勢)からタンビエン(五番目の動作)まで、生徒は一つ一つの技を繰り返し練習するので、今自分が太極拳をしていると意識することは全くない。

ここはヨガ教室ではあるが、実はヨガだけでなくピラティス、気功、太極拳などの運動を融合させた「太極ヨガ」を行っているのである。類似のクラスは国内外にもある。ヨガのインストラクターとして十八年の経験を持つ翁さんは、二〇〇六年にこのようなクラスを開講して指導内容をより多様化した。

「太極拳を学び始めた時、ヨガよりもずっと難しいと思いました。ヨガのポーズは一つ一つ学ぶことができますが、一連の身体動作に数十種の技が含まれる太極拳は、覚えるのに長い時間がかかるため、入門のハードルが高いのです」。

そこで、動作がつまらないとか、連続した動作が難しすぎると言って敬遠していた人たちに、「自分もできそう」と感じてもらえるようにと、気功や太極拳をヨガのプログラムと融合させたのである。
実際、太極拳とヨガという東洋の二つの養生運動には、動と静のバランス、深くゆったりした呼吸など多くの類似点がある。両者の違いは、ヨガが柔軟性と筋肉のストレッチを重視するのに対し、太極拳はスムーズな動きと全身運動を重視するという点だ。

「太極拳にせよヨガにせよ、ゆっくり学ぶことが大事です」と翁さんは言う。ゆっくりだからこそ心身の変化が実感できる。そして、ゆっくりだからこそ難しい。「でも、無理矢理やろうとしなければ難しくありません。すべてを流れに任せて自然に行いましょう」と翁さんは話している。

幼少から四十年にわたり、気功、少林寺拳法、柔道、柔術、太極拳などさまざまな武術を練習してきた何医師は、医療の世界では数少ない「武術医師」であり、太極拳がいかに健康に有益であるかを広めることに全力を注いでいる。
「太極拳の真髄である円融(一体になる)・中庸・陰陽は、実は日常生活や立ち居振る舞いに活かすことができるのです。例えば誰かに罵られた時、直接言い返すか、円融に受け流すかを選ぶようなものです」。

彼の太極拳はより深い境地にある。「身」だけでなく、「心」でも太極拳を行うことができるというのは、一種の生き方なのである。

「身を養うは動、心を養うは静」。

何医師は、このような先人の名言を引用して気功や太極拳などの伝統的養生気功について説明してくれた。それは修行であり武術であり、運動であり補完医療であるが、何よりも心身の調和を目指す健康の道なのである。

(経典雑誌二八一期より)

気功や太極拳は、一般にイメージされるような神通力などではなく、心身の調和をつくる養生運動なのである。

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