成仏への道は菩薩道から始まります

(絵・陳九熹)

成仏への道の起点は菩薩道です。
この道は多くの人の力が結集してこそ、歩くことができるのです。
中途半端で投げ出すのではなく、世の人々が代々伝えていくことが大事です。

十二月五日から歳末祝福会のために、二回目の行脚が始まりました。北に向かいながら、各地で「法味(仏法の妙味)」を感じる体験談を聞いて、大変喜ばしく思いました。皆さんは善友とふれあい、法の源に近づき、仏法を聞いて愛の心を啓発し、その上、法悦を分かち合っていました。よく、「弘法して衆生を利する」と言いますが、それは経文を講釈して説法することではなく、自分を利し、他人をも利して、自分の慧命を愛おしみ、さらに人々に発心して菩薩道を歩むよう呼びかけ、皆で善い言葉を口にし、善いことをすることなのです。

十二月九日から十一日にかけて、高雄ドームで五回にわたり経蔵劇「静思法髄妙蓮華」が上演されました。参加者は、国内外の七万人余りに上りました。私はこの舞台を参観しようと十二月十日にそのために、台北から高雄に行きましたが、それを見て心がとても揺さぶられました。舞台の上ではプロの劇団が演技し、舞台の下ではボランティアがそれに合わせて随時、隊列を変え、数秒のうちに整然とした仏法を象徴する模様が現れていました。一挙手一投足に至るまで緻密な練習が行われた成果であり、皆さんの真心を感じ取ることができました。

「優人神鼓」と「唐美雲歌劇団」の二組が、仏法が人間(じんかん)に存在していることを聴衆が見て理解できるよう、一心に仏法を表現していました。また、慈済五十数年の出来事も演じましたが、それは要約だけであっても、全部行き渡っていました。経蔵劇に参加した人は皆、普段は居住地で仏法を実践しています。一万人近いボランティアは異なった地域に暮らしていても、経蔵劇のために集まっていました。その中には古参の高齢ボランティアも少なくなく、皆、年齢や社会的背景に関係なく同じ身分になって、心を一つに、素早く隊列を変化させていました。それは一人でも抜けたら、成り立たちません。こうやってその状況を説明するのは簡単ですが、彼らは成功させました。私は参加したボランティア一人ひとりに感謝したいと思います。

慈済の美しさは和合協力にあり、仏法を人文と融合させているからです。もし、人々に敬虔な真心がなく、志が一つに纏まっていなかったら、このように美しさと善を現すことも、真に人文のある教育を達成させることもできません。

法華経の精髄は無量義経であり、それは即ち成仏の道、悟りの道なのです。成仏への第一歩は菩薩道を歩むことで、最も誠実な道であり、また慈済が歩まねばならない道なのです。五十年このかた、皆さんは心を尽くし、力を尽くし、行動をもって人間(じんかん)菩薩の道を敷き、一歩一歩最も誠意と真心をもって歩み、初めから今に至るまで中途半端で終わらせることはありませんでした。ある慈済人は中年から始め、老年になっても、諦めることなく、社会大衆の中で継承者を見つけ、代々にわたって引き継ぎをしています。

慈済人は最初に一念を発心したその瞬間から身を以て努め励み、地道に、迅速に歩を進め、今日まで正に生命と争って頑張って来ました。私はよく、「心に何も求めず、気にかけることなく、正しいことは行動に移せばいいのです」と言って来ました。皆さんが自分の人生を振り返れば、その価値を見い出すことができ、この生涯でどれだけ善いことをしたかが分かります。

人として生まれるのは容易ではなく、人生は貴いものです。良縁に導かれ、仏法を信仰することができたことに感謝すべきです。慧命の方向が見つかれば、絶対に立ち止まってはなりません。自分は何をすべきかをはっきりと見極め、真面目に正しいことをして、正しいことを話せば、価値のある一分一秒となり、今生で智慧を積み増して、慧命を伸ばすよう精進しましょう。

人生は振り返ると同時に、反省しなければならず、過ちがあれば改めなければなりません。人との間に葛藤や争いがあれば、直ちに懺悔して和解すれば、間に合います。業の因と縁を携えて行くべきではありません。過ちがあれば謝るべきです。決して計算高く、相手を打ち負かしたり、相手の方が自分に謝るべきだと怒りを持ち続けてはいけません。心から恨みの種をなくし、できることなら、相手と良縁を結ぶことこそが修行になるのです。既に菩薩道を歩んでいるからには、聞き入れた法の通りに行い、報いるのは恩であり、仇であってはなりません。怨念と言いますが、恨みがあれば帳消しにし、恩を持って絶えず感謝するのです。

人生の道が険しいのは仕方なく、時には歩き難いものです。逆境に遭ったら、警戒心を持って慎み深く行動し、人に対して恨み心、そして自分に対しては怠惰心を起こさず、仏性の良知をもって善縁を啓発しなければなりません。慈悲済世とは、目に見える苦を取り除くだけでなく、生活に不足はなくても、満足できない苦しみがあり、断ち切れない煩悩を抱えた人もいます。天下を自分のものにしたいと思っても、人には二本の手しかなく、どうやってそれを手にできるでしょうか?手で虚空に描いても、痕跡さえ残りません。何を気に掛けることがあるでしょうか。縁を把握することはしても、気に留めてはいけません。気にすると苦しく、因縁を把握して行動すれば、間違いありません。それこそが真の法悦なのです。

慈済は人間(じんかん)の大蔵経であり、この経は人々が歩んで出来たものです。大道は一人で切り開くことはできず、大勢の人の力を結集させることが必要です。この路が大きく広がり、遠くにまで至るには、代々に亘って引き継がれなくてはなりません。皆さんが法を聴いて心に留め、その力を輝かしく発揮し、法を以て人々を済度することに期待しています。果てしない大海を進む一艘の慈悲の船が衆生を済度し、更に多くの人が発心するよう導き、一緒に正しい航路で精進するのです。皆さんが心を尽くすことを願っております。

(慈済月刊六七四期より)

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