百四歳の心願:子も孫も私同様に─法悦に満ちて欲しい
今年百四歳を迎えた黄蔡寛さんは、今も人助けの信念を貫いている。
子や孫たちが彼女のように、
人生の真の価値と喜びを… Read More »
窓の外
隔離が必要だと通達された時、速やかに準備しておいた身の回り品のバッグを持って新しい環境に移った。毎日、窓の外にある… Read More »
善と悪の綱引き
心に欲がないということは何も求めないことであり、何も求めない善の念が大きくなれば、誘惑に負けて悪に向かうようなこと… Read More »
世界に目を向ける
「毎日ビクビクしていました。寝ている間に屋根が突然落ちてくるのではないかと心配で……」。劉さんは話しながら目がみる… Read More »
愛があれば、どこでも菩薩は姿を表します
人心に愛があれば、力が結集し、
直ちに苦難の人を助けることができます。
しかし、無明があると、自ら妨げてしまいます… Read More »
二月の出来事
1月下旬、アメリカ・テキサス州ヒューストンで竜巻による被害が発生し、ボランティアが直ちに支援活動を展開した。28日… Read More »
幸福と智慧に溢れる 目出度い年を迎える
感謝の心で旧年を見送り、
喜びでもって新年を迎えるにあたり、
敬虔な心で天に届くよう、共に祈願しましょう。
幸福を… Read More »
トルコ・シリア地震─世界の愛を被災地に届ける
トルコ・シリア地震の被害は余りにも広範囲に及び、
極寒の中で、建物は酷く損壊していた。
緊急救助と捜索だけでなく、… Read More »
東西医学の融合と地域介護─三義慈済中医病院が開業
多くの高齢者と家族は、病院に行くことに困難を感じている。
高齢者人口が多い苗栗県では、
中医が在宅医療をするのに相… Read More »
私が元気でいれば、皆安心
お年寄りも人間。何ごとも学ぶべきで、出来なければ、聞けばいい。
そうすれば、できることが一つ増える。
体を動かし… Read More »
在宅介護には中医学が必要
冬に入り、濃霧に覆われた苗栗県三義郷で十二月中旬、慈済医療志業初の中医学専門の病院である、三義慈済中医病院がオープ… Read More »
あなたの宝はどこにあるのか?
静思精舎の勉強会で《靜思法髓妙蓮華》を読んだ。《法華経・化城喻品》の経文と物語の中の「寶處在近,可望不遠」の話がず… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
特別報道二
世界に目を向ける
聞・思・修
證厳上人のお諭し
お板さんが法の香に浸る
グローバル慈善
行脚の軌跡
元気に歳を取る
二月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。