あなたの宝はどこにあるのか?

静思精舎の勉強会で《靜思法髓妙蓮華》を読んだ。《法華経・化城喻品》の経文と物語の中の「寶處在近,可望不遠」の話がずっと頭の中に残った。私は思わずこう考えた。もし、宝が目に見えて、近くにあるのなら、何故、化城にする必要があるのだろうか? この道がこんなにも遠いのであれば、人を疲れさせ、だらけさせるだけではないのだろうか?

そう考えながらも、現実は私を前に推し進めた。その時は丁度、慈済の五十五周年の活動が行われ、ずっと会議で忙しく、その密度は普通の何倍にもなった。

活動が終わった翌日、気が楽になり、いつも通りに出勤した。しかし、日常に戻って、朝からコーヒーを淹れ、食器洗いなどをして、精舎の副執事の仕事に精を出していると、突然、心の中に響く声を聞いた‥私の宝はここにあるのだ、と。

一瞬、少し感動的になった。日常の諸々を見て、多くの事柄が輝くのを感じた。

私は『羊飼いの少年ファンタジーツアー』という本のことを思い出した。主人公の男の子が同じ夢を繰り返し見たため、旅に出て、夢の中に出て来る所へ宝物を探しに行く、という話である。ようやく到着したと思ったら、ある集団に殴られて危うく死ぬ所だった。彼に暴行を加えた人に夢のことを話したら、その集団のボスが、夢を信じるような馬鹿なことはしない、と言ったが、逆に見下した感じで、彼自分も夢を繰り返し見たと言った。それは、スペインのある壊れた教会の中の廃棄された更衣室に、一本のイチジクの木が植えられてあって、木の根元に宝物が隠されている、というものだった。

そこは正に羊飼いの少年が初めに夢を見た所だった。

物語の最後に、主人公は仕方なく神様に、「あなたは明らかに全てを理解しているのに、…何故、良いことをせず、私に面倒を掛けるのですか?」と聞いた。彼は風の中にある声を聞いた、「いいえ、もし、先に教えたら、あなたはピラミッドが見えなくなります。綺麗だと思わなくなるでしょう」。

経文に戻って私は、簡単な物事が時には、逆に人に信じてもらえないこともある、と思った。人生の経験という、自分の宝物がここにあるのだが、それを忘れないためにもこの旅を歩み続けるのである。

あなたの宝はどこにあるのか?

(慈済月刊六六九期より)

慈済基金会職員の阿板(凌宛琪)(アバン=リンワンチー)さんが聞いた仏法に対する心境を、ネットで、漫画方式で分かち合った。

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