重被災地のハタイ県で、被害状況の視察にきた慈済ボランティアたちが倒壊した建物で遺留品を探す民衆に声をかけた。(撮影・余自成)
トルコ・シリア地震の被害は余りにも広範囲に及び、極寒の中で、建物は酷く損壊していた。
緊急救助と捜索だけでなく、将来の復旧もさらに困難を極めるだろう。
台湾を出発した慈済の視察団はトルコ・イスタンブールのボランティアと合流すると、全世界の心温まる愛を被災者家庭に届けた。人生で最も困難な冬を一緒に乗り切るのだ。
なぜこれほど被害が
大きくなったのか
強い地震と脆弱な建物、そして零下十数度にまで下がった強い寒波。二月に起きたトルコ・シリア地震では、殆どの致命的な要素が重なったと言える。トルコ国内だけでも死者四万人余り、負傷者約十万人、被災者は一千万人を超えた。
トルコ現地時間の二月六日午前四時十七分(日本時間同日午前十時十七分)、トルコ南部のガズィアンテプ県は一回目のマグニチュード七・八の強い地震に襲われた。多くのアパートや住宅は、住民が寝静まっていた間に瓦礫と化した。その九時間後、再びマグニチュード七・五の強い地震が起き、カフラマンマラシュ県に一層甚大な被害をもたらした。
三つの地殻プレートが交叉する地点に位置するトルコは、以前から何度も地震が起きている。一九九九年には二度もマグニチュード七以上の地震が発生したが、強い地震は全て東部と北西部で起きていて、南部では一世紀以上強い地震の発生がなかったため、新しい建物も古いものも耐震性の問題を抱えていた。
稀に見る二度の本震とその後の余震で、被害はトルコ南部の十一の県に広がり、その面積は台湾の国土の三倍に相当する。そして、国境の南にあるアレッポなどシリア北部の被災状況はもっと厳しい。
シリア北部は長い間、反政府勢力が制圧し、二○一一年の内戦勃発以来、戦火は止むことなく続いている。残っていた建物も早くから砲撃で崩れかかっていたため、地震で持ちこたえることは全くできず、戦乱の苦しみを味わっていた住民から多くの死傷者が出るという惨憺たる事態となった。そして、トルコ南部に逃れたシリア難民は、家族を失った悲しみに加え、流浪する苦しみを味わっている。
先ず毛布を凍てつく地域に
凄まじい災害は世界を震撼させ、六十カ国余りが精鋭の救助隊を被災地に派遣した。台湾も内政部消防署から前後して百三十人の救助隊員が派遣された。一回目のチームは二月八日に重被災地のアドゥヤマンに到着し、民間ボランティアで組織された中華捜索救助隊も出発して捜索活動に当たった。
災害支援の「第一線の後方部隊または第二線の先鋒部隊」と位置付けられている慈済も素早く行動を起こし、災害視察と同時に、物資の支援と愛の募金活動を開始して、後方支援を行っている。
「災害が広範囲に及んでいるため、どこを拠点にするにしても、トルコ政府及びその認定機関と協力しなければなりません」と慈済慈善基金会の顏博文(イエン・ボーウェン)執行長が言った。トルコ政府の被災地と支援物資に対する統制は厳しく、被災後は先ず、救助隊とメディアだけが被災地入りすることを許可され、物資は災害緊急事態対策庁(AFAD)が統括して管理と調整を行っていた。言い換えれば、国外から送られてくる支援物資は全て、原則としてトルコ政府の手を通して配分され、配付も政府機関のコントロールの下に行われているのだ。
トルコのエルドアン大統領は南部十一の県に緊急事態を発令し、政府が一切の救助活動や人の流れ、物流を厳しくコントロールした。支援物資を免税で通関させ、自ら貨物を受け取り、搬送して配付するのは極度に困難だった。それでも慈済チームはトルコ政府と掛け合う努力を惜しまなかった。
慈済花蓮本部は二月八日台北内湖連絡所に、トルコに空輸する厚手の毛布を緊急に八千枚梱包するよう指示を出した。北部のボランティアは徹夜で慈済のロゴを印刷すると同時に、貨物の書類を作り、翌日には梱包し、ステッカーを貼って、トラックへの荷積みを終え、その日の夜に空輸が始まった。
「台湾の皆さんにお礼を申し上げます。地震後皆さんはこんなにも大きな心でトルコを支援してくれました」。駐台北トルコ貿易事務所での毛布の寄贈式典で、トルコ駐台代表のベルディベック氏は、顏執行長と来場していた全てのメディア関係者を通じて謝意を表した。「私たちが倉庫と寄付による物資を必要としていた時、慈済は私たちに関心を寄せ、毛布の寄付を申し出てくれました。これで何百、何千人の命が救える、と私は思いました」。
二月九日、慈済が毛布を梱包したその日、駐台トルコ貿易事務所の人員も慈済内湖連絡所に場を借りて、北部のボランティアの協力を仰ぎながら、台湾の民衆に愛の物資を募る活動を始めた。送られて来た物資の量は予想を超え、受け取りを停止した後も、その整理は二月二十日まで延長してやっと終了したほどだった。四百トンを超える愛の物資は数回に分けて空港の倉庫に送られ、トルコ事務所が本国への輸送を行った。
慈済はイスタンブールで毛布を1万枚買い付け、数回に分けてマンナハイ国際学校に配送して配付の準備を整えた。学校の教職員がボランティアとなって荷物を運んだ。(撮影・モハメド・ニムル・アル・ジャマイ)
吹雪の中を重被災地まで
千里の道を進む
地震が発生した週の土曜日、台湾を出発した災害視察団が空路でイスタンブールに着き、現地ボランティアと合流して、支援活動で動員する人力と物資の準備を行った。
何度もの話し合いを経て、奔走していた慈済のチームは、引退した元副知事のアリ氏の紹介で首都アンカラに飛んで副大統領に会うことができ、やっと重被災地に入る許可を得た。現地時間の二月十五日未明、慈済視察先遣隊は車でイスタンブールを出発すると、吹雪の中を千キロ余り駆け抜けて、トルコ最南端のシリアと国境を接する重被災地ハタイ県に到着した。
ボランティアたちは、アリ氏の友人がエルジン市で経営するホテルに災害支援センターを立ち上げ、直ちに被災者が身を寄せる避難所を訪れると、他の支援団体と活動の相互協力について話し合った。
「ハタイ県付近にも視察に行き、配付を行う範囲について検討しました」。慈済慈善基金会の熊士民(ション・シーミン)副執行長によると、先遣隊は経路を確認し、配付対象や物資の輸送状況及び倉庫の場所を見極めるのが目的である。「『直接、重点的』を原則として、どの地区で物資を手渡せるかを把握します。もし建物の建設を支援する縁があれば、それも一緒に査定します」。
北西部の大都会であるイスタンブールでは、地震の後、親戚を頼って南部の被災者が大量にやって来た。慈済はボランティアを動員して家庭訪問し、リストアップしてから、二月十七日から三日がかりで千四十四世帯を対象に、指定したチェーンストアで日用品が買える買い物カードと毛布、マフラーなどの防寒物資を配付し、生活上のストレスが和らぐようにと願った。
「家屋が倒壊してしまった彼らは、親戚や友人を頼るしか無いというのに、全てを失い、食べ物を買うお金さえないのです。慈済は被災地からやって来たそのような家族に、暫くの間でも食事と住む所を提供しています」。トルコの慈済ボランティアである胡光中(フー・グォンヅォン)さんが説明した。現地では三百人近いシリア人難民のボランティアを動員して、被災者世帯のリストを作成した。その過程で、被災者が最も必要としているのは防寒物資であることを知り、ボランティアは直ちに各方面と連絡を取って、緊急に毛布を買い付けた。
嬉しいことに、二十四年前、一九九九年のトルコ「八一七地震」の時に、特別価格で慈済に毛布を提供してくれた工場が今でも経営を続けているだけでなく、今回も同じように協力に応じ、特別価格で昼夜を分かたず製造して出荷してくれた。
配付活動の前日、大型トラックがマンナハイ国際学校に到着し、先ず二千六百枚余りの毛布が届けられた。学校の男性教職員や生徒が全員出動した結果、三十分で全ての毛布を倉庫に運び入れた。真っ先にトラックの荷台に上って荷下ろしをしたのは、校長のジュマ教授だった。「人に奉仕できるのは最も幸福な人であり、とても楽しく、その幸福感を分かち合いたい、と皆思っています」と言った。
イスタンブールで親戚を頼る被災者をケアすることも、重被災地で緊急支援をすることも、どちらも大量の物資と人力を必要としている。幸いにも、慈済はトルコにおいて、シリア難民の子供たちのためにマンナハイ国際学校を設立し、加えて難民家庭を長期にわたって支援しているので、長年の間に堅実な人材の集まったチームができていた。初期に学校に通っていた難民の子供たちは、優良な教育を受けた青年に育ち、奉仕する心も能力も持ち合わせて視察と支援の任務を担った。
「私たちが必要としているボランティアは、トルコ語とアラビア語、英語ができる人です。誰それがどんな才能を持っているのか、どこの大学で何を学んでいるか、何年生なのか、どの言葉が話せるのか、何月何日にボランティアとして来てくれるのかを、学校側に選り分けてもらっています。そういう資料を集めています」とボランティアの胡さんが言った。ボランティアとして募集しているシリア難民の子供は、高校二年生と三年生及び大学に通っている我々の卒業生で、マルチリンガルの学生を優先的に、台湾の団体の通訳として協力してもらっている。対象がトルコ国民であれ、シリア難民であれ、親しみを携えて話を聞く姿勢が必要な時なのだから。
慈済はトルコ南部の被災地だけでなく、シリア北部の状況にも関心を寄せている。ヨルダン慈済ボランティアの陳秋華(チェン・チュウフワ)さんによれば、慈済ヨルダン支部は既に一万枚余りのジャケット、靴、帽子、手袋を用意している他、台湾の起業家が冬服の提供を申し出ている。もし状況が許されるなら、慈済の支援物資は国連の手で、ヨルダン北部からシリア南部に入り、政府軍がコントロールしている地域を通って、様々な反政府勢力が制圧している北部の被災地に送り届けられる可能性がある。
ボランティアは前線で精力的に視察し、資源を被災地に送り届けているが、台湾の人々も募金活動で被災者を支援したり、善意の心でこの世に災害がなくなるよう祈ったりして、実質的に行動を起こしている。慈済はこのような寄り添いケアを、これまで既に展開してきたのだ。今回も、世界中の善意の人々の愛が途絶えることなく、被災者のケアを続けられるようにと願いを込める。(資料提供・寧蓉)
(慈済月刊六七六期より)