今年百四歳を迎えた黄蔡寛さんは、今も人助けの信念を貫いている。
子や孫たちが彼女のように人生の真の価値と喜びを見つけてほしいと願っている。
今年7月、彰化地区の慈済ボランティアは、黄蔡寛さん(中)を訪問して104歳の誕生日を祝った。(撮影・施宜良)
「子や孫たちが慈済に参加して、人間(じんかん)を利するのが私の最大の心願です」と今年百四歳を迎えた黄蔡寛(ホワン・ツァイクアン)さんは、一字一句はっきりと、こう誕生日の願いを述べた。彼女の和やかな笑顔は昔と変わらない。
蔡寛さんは七十歳の時、「慈済列車」に乗ったことがきっかけで、人生の脚本を書き換えた。彼女は慈済の菩薩道を歩むことを固く決意し、慈済委員の認証を授かった時の誓いを実践した。慈済の志業に全力で投入し、コミュニティーで楽しく永遠に引退しないボランティアになったのである。
二○二二年七月十六日、蔡寛さんの誕生日の前日、慈済彰化地区のボランティアがお祝いに訪れた。林梅香(リン・メイシアン)さんは、この二年間はコロナ禍のために多くの活動が中止となり、今でも防疫に気を緩めてはいないが、蔡寛さんは私たちの精神的な模範で、員林地区の法縁者たちの宝とも言える方なので、今日は皆を代表して祝福に来ましたと言った。
蔡寛さんは満面の笑顔で敬虔に手を合わせながら、こう言った。
「敬愛する上人、私はいつも上人に心を寄せています。コロナにも感染しましたが、今はすっかり元気になりました。励ましのお手紙をありがとうございました。上人も健やかで平穏無事でありますように」。
第二次世界大戦を経験し、夫を亡くして一人で四人の子どもを育てた蔡寛さんは、人生の前半を振り返ると、辛いことの方が多かったかも知れない。しかし、折り返してから後の人生は、精彩のある着実なものになった。
「慈済の活動に参加すれば、歳をとらず、悩みもなくなり、実にいいですよ。それに老若男女を問わず誰もが楽しく参加できます」と何度も言った。
体調がいい日は、電子ブックを使って募金を集める。リサイクルステーションは彼女にとってなくてはならない場所であり、彼女の姿があると、皆は自然と頑張る気になる。また、彼女は彰化静思堂の受付の仕事を一度も休んだことがない。彼女の柔和な顔つきが慈済の顔であり、ボランティアとして最高の表情である。かつて、上人は「誠実に善行するのが最も価値のある人生です。生命を最大限に活用し、人生の道を逸れないことこそ、百歳を超えた長者の価値だと言えます」と褒め称えたことがある。
華麗に一世紀を超え、助産師から慈済ボランティアになるまで、蔡寛さんの人助けに対する信念が揺らいだことは一度もない。それは人助けが喜びをもたらす根源であることを深く体験したからである。彼女は、子どもや孫たちも、彼女と同じように人助けする過程で、人生の真の喜びと価値を見つけてほしいと願っている。
黄蔡寛さんの健康の秘訣
- 「健康の秘訣は何ですか?」とよく人に聞かれます。「簡単ですよ!それは規律正しい生活をすることです」。私は毎晩決まって九時に寝て、朝は四時過ぎに起き、「法の香に浸る」活動が終わると、ウォーキングして、八時に朝食を摂ります、といつも笑顔でこう答えています。
- 私は、「年寄りは役に立たない」という考えを当たり前だとは思っていません。人は老いると身体を動かすのが億劫になり、やがて外出しなくなり、食事、就寝、子供の来訪を待つだけの、「三待ち(三級)人間」になってしまうのです。ですから、私は毎日必ず歩くようにして、膝の老化を防いでいます。膝の調子が良くないと余計に動かなくなり、体の他の機能も段々と弱っていきます。
- 公園へ運動に行く時は、先ず何周か歩いてウオーミングアップします。それから鉄棒にぶら下がって、足をぶらぶら振り、熱く感じるまで背筋を伸ばし続けます。その後、ストレッチをします。その時に痛みを感じても、気丈に耐えます。ストレッチを終えると全身の血の巡りが良くなって、足はだるさを感じなくなります。健康維持の大事なことは持続することで、毎日ストレッチを三十分すれば、体はまるで充電が終わったように、元気ハツラツになります。
- 慈済ボランティアの訪問ケア活動で、私は「生きるには、体を動かすこと」を痛感しました。元気でいれば、子どもに迷惑をかけずに済むからです。更に「生涯学習」を心がけることで、常に時代の流れについていけますし、人から疎まれることはありません。私は、毎日楽しく、忙しく過ごして時間が足りないとさえ感じています。ですからため息をつく暇もないのです!
- 高齢者は必ずしも若い世代の後について行動する必要はなく、もっと積極的に前に進み、人生で少なくなっていく時間を善行に使わなければいけません。彰化地区の師兄(スーシォン)、師姐(シージエ)は、私に模範生モデルになってほしいそうで、連れ出してくれるのですよ。喋る必要はなく、立っているだけでよく、誰もが私の白髪と笑顔を見るだけで幸せな気持ちになれるからと言います。誰かが私を見て、愛の種子が啓発されるかも知れないと思えば、表に出るのは当然でしょう。
- 私は自分の歳をあまり意識しないのですが、体の衰えや堅いものを噛めなくなったり、以前ほどさっさと歩くことができなくなったりしてきたとは感じます。これは自然の摂理です。いつか体の機能が徐々に失われるでしょうが、私は自分の人生に後悔はなく、とても満足しています。
(『広い心で一世紀‥時代の女性‧黄蔡寛のストーリー』より抜粋)
文‧洪美香(彰化の慈済ボランティア)
七十歳になってやっと慈済に出会ったことが悔やまれるので、一層励まなければいけない。
ボランティアの出動が必要な時は、絶対に断らない。優れた品性を持つ彼女は、物静かで自分の意見に固執せず、いつも笑顔で人に接している。正に、徳に溢れた菩薩である。
黄蔡寛さんと私は、一九九二年に一緒に慈済委員の認証を授かっただけでなく、同じチームのメンバーになった。当時、蔡寛さんは既に御歳七十三歳、私は若干三十八歳だった。私たちは三十五歳も離れていたが、世代間の溝を感じることなく、むしろ特別な縁があった。
蔡寛さんは三十四歳の時に夫を亡くした。四人の子どものうち一番年上は、十一歳だった。彼女は生計のため、助産師の仕事をしていたが、どんなに遠くても、悪天候でも、妊婦の元に向かった。その人生は苦労の多いものだったが、彼女は歯を喰いしばった。幸いなことに、今は辛いことも楽しく感じるようになった。それは、子供や孫たちはとても親孝行で、その上おばあちゃん孝行だからだ。
「七十歳になってから慈済の菩薩道を歩み出したのは遅かった」といつも私に言う。そこで私は、何か活動があると、必ず彼女に声をかけることにしている。そして、彼女は一度も断ったことはない。
「美香さん、とても感謝しています。あなたがいつも世話してくれたから、私は精進することができたのです」。蔡寛さんは、いつもこう言う。
「私の方こそ感謝しています。成し遂げる機会を与えてくれたのはあなたですよ」と私は答える。二〇一一年、『法は水の如し』という経典劇が上演された時、彼女は最後までやり遂げた。若い人に負けないその精神力には、敬服せずにいられなかった。これは本当に容易なことではない。
毎月の訪問ケアでは、いつも最初に蔡寛さんを誘う。彼女の相手に対する優しい愛のこもった言葉は、母親のような心から出たものであり、ケア対象者は皆彼女を慕っている。
品があって物静かな彼女が腹をたてることは一度も見たことがなく、その修養は素晴らしく、年寄り風を吹かすこともない。もし誰かが意見の食い違いを見せても、彼女は決して口を挟むことなく、黙って聴いているだけで、実に修養ができている。彼女は自分の意見に執着せず、みんなと仲良くし、いつも笑顔で人に接している。実に人徳のある菩薩である。
以前、リサイクル活動していた時、彼女は回収してきた資源ごみを軒下に保管し、私は路地裏に置いていた。彼女が頭を働かせて自分の末の子に回収物を取りに来させたのは、参加して欲しかったからだ。ある日、その子は、「車いっぱいの回収物を売っても、ガソリン代にもならない。なぜそんな苦労をするの?」と私に聞いた。
私は、「大切なのはお金ではなく、人々の環境保全に対する意識を啓発することで、行動に移してもらうことが目的なのです」と説明した。その後、蔡寛さんを迎えに行くと、いつも息子さん夫婦が回収物の分別を手伝っていた。
私がよく蔡寛さんを慈済の活動に連れて行ったので、息子さんは高齢の母親が疲れないかと心配したことがある。すると蔡寛さんは、「母さんが毎日楽しく慈済に出かけるのだから、あなたは安心すべきよ。もしある日、私が起きられないようになった時こそが面倒な時なの」と智慧のある言葉で息子さんに言った。息子さん夫婦も心を開いてくれるようになり、退勤の時間に合うと、いつもニコニコしながら「母がお世話になり、ありがとうございます」と挨拶してくれる。
蔡寛さんは百歳の時に、将来子供たちに残してあげようと思っていたお金を、それぞれ子ども名義で寄付した。「子どもたちは皆安定した暮しをしていますが、旅行が好きでお金を使うので、母親として代わりに寄付することで、彼らの福徳を祈願したのです」。誠に賢明な決断である。
蔡寛さんが百四歳を迎えた。今日、私はボランティアに誘って敬意を表わそうと、彼女を訪ねた。「彼女が健やかで意欲的で、いつまでも若い世代の模範であるように」と皆は心を込めて祈った。
黄蔡寛さん(中)は、70歳になってやっと慈済に参加したので、もっと精進しなければ、と感じている。積極的にボランティア活動に参加し、日々充実した晩年を送っている。(撮影・黄筱哲)
文‧簡淑絲(彰化の慈済ボランティア)
路地に入ると、右側の家の門に対聯が貼られていた。「慈済ボランティアは進んで奉仕し、如来の家業を喜んで担う」。そして、「互愛協力」(互いに愛し、協力し合う)という横書きの紙も貼ってあった。そこが正に蔡寛さんの家だ。網戸を引いて一歩足を踏み入れると、彼女と息子さんが応接間にいて、いつもの笑顔で迎えてくれた。
十二年前、彼女が九十二歳の時、慈済彰化分会で電子ブックの講習会に参加したことを思い出した。彼女はスイッチを入れることからパネル操作に慣れると、更に、タッチペンを使って、先生の指示に従って熱心に学んだ。改訂版電子ブックになっても、真剣に学ぶ姿勢は変わらなかった。今でも、彼女は耳も目もしっかりしていて、老眼鏡をかけなくても、スマホの電源を入れて、SNSのメッセージをはっきり読むことができる。
彼女は背筋を伸ばし、正面のキャビネットにある證厳法師の写真を見上げ、「私は上人にお会いしたくて仕方がありません。上人が早く彰化に来られますようにと待ち望んでいます」と言った。四年前の七月、法師が彰化に行脚した時、ちょうど百歳を迎えた彼女は、群衆の中に立って法師に挨拶しようと待っていた。法師は彼女を見て「食事に行きなさい」と勧めたが、「上人、もう食事は済みました。私は数珠を病気の娘にあげてしまったので、もう一本いただけませんか?」と答えた。法師はうなずいて、「私について来なさい」と言った。
蔡寛さんは法師に、「私は、訪問ケア、医療ボランティア、リサイクルボランティア、受付など何でもしています」と報告した。法師は彼女に数珠をつけてあげながら、「私は猫背になるといつも、蔡寛さんのことを思い出すのです。そうすると、また真っ直ぐになるのですよ」と言った。彼女は、「上人、お体をご自愛下さい。年末にまた来てくださいね!」とよく通る声で言った。
その光景を見て、師匠と弟子が深い絆で結ばれているのが分かった。かつて法師は、「蔡寛さんはいつもにこにこして楽しそうです。日々仏法を取り入れて、熱心に善行を実践しています。本当に価値のある人生です」と言ったことがある。正にその通りである。私も彼女の意志と精神に見倣って、もっと慈済の因縁を大切にし、前を向いて充実した日々を送り、寸秒も無駄にしないようにしようと思っている。
(慈済月刊六七〇期より)