四月の出来事
04・01
「植境複合式概念館」がオープンした。中にはレストラン、スーパーマーケット、静思書軒、料理教室、ベーカリ… Read More »
関渡静思堂を参観─親しみやすさと清らかさ
開放的な志業パークには塀がなく、靴を脱がずに入場できる。
親和関係の構築を第一に建てられ、
すべての来訪者を迎え入… Read More »
若い人材を育む
どんな仕事に就いても志業精神で取り組む――
仕事で奉仕するだけでなく、
志を立てて人間(じんかん)を利する。… Read More »
トルコ・シリア地震─被災地に残る
トルコ・シリア地震の被災範囲は、台湾の三倍ほどの広さに及ぶ。慈済ボランティアが重被災地に入って目にしたのは、倒壊… Read More »
愛の泉が湧き出る
二月六日に発生したトルコ・シリア地震は、この一世紀近くの間に現地で起こった地震の中で、最も多い死傷者の数を記録した… Read More »
奉仕できることは幸せ
幸せであることを知って、それを大切にすれば、毎日感謝するようになります。
何事も辛いと思わないのは、「行動に移せる… Read More »
重量級の愛 ぶれない心
スリランカは年間を通して政治的、経済的混乱が続いているが、
慈済人はいつも通りに苦しんでいる人々のために奔走してい… Read More »
愛で宝と化した買い物カード
買い物カードを持つ被災者は、
特約のスーパーマーケットで生活必需品を買うことができる。
それは実用的なだけでなく、… Read More »
人間菩薩
人生は無常で世は苦難が多いのです。
慈悲による救済を立願して行おうとする、
人間(じんかん)菩薩を広く募っています… Read More »
子供に愛の傘を差す─『関心を寄せる言葉は優しく話そう』作者の序文
母親の愛が、家庭内暴力に遭っていた一家を支えた。
先生が愛で進学を支えてくれたおかげで、私の人生は変わった。
世帯… Read More »
これで友達と言えますか
私は、友人に優しく、何かにつけ人のためを考えますが、
友人は私が何かして欲しい時は何もしてくれません。
私はバカな… Read More »
プラントベースミート(植物肉)─菜食のもう一つの選択
プラントベースの原材料から薄切り代替肉ができるまでの距離はさほど遠くはない。現代のフードテックにより、大豆、小麦、… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
地域の良き隣人
草花シリーズ
世界に目を向ける
證厳上人のお諭し
健康の玉手箱
親と子と教師、三者の本音
グローバル慈善
行脚の軌跡
四月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。